トゥルシーキルタンの余韻 | micolog

トゥルシーキルタンの余韻

「では、みんなは歌うとき“誰に”歌っていますか?」
昨日のキルタンの会は、そんな質問からはじまった。

こだまのようにまっさきに答えを返してくれたのは、幼稚園生のこころちゃんだった。
「神さま~~!」

うわあ!ブラボー!と拍手したくなる。
迷うことなく答えを持っているのは、いつも子どもたちのほうなのだ。
そんなちいさな大先生を輪に迎え、私たちの声の円環はどこまでも、どこまでもその虹色の色彩を増してゆくのだった。



誰のためではなく、私たちのハートに身体に、歌いかけるのがキルタン。
でも、不思議なことに心の奥底に入っていくと、つながるのは宇宙そのものであって、それはつまり、神様に歌うことと同義なのだ。

ここ最近は特に強く感じるのだけれど、Inner Gardeningの会であれ、新潟の海カフェリトリートであれ、こうした音結いは、参加者全員のかたがたの意志によって結われているのだということ。
たとえば、かたち上、毎回、それは発起人となる主催者と場でガイドを務めさせていただく私が中心となるわけだが、実は私たちは見えない糸で有機的にネットされていて、やろうよ~!歌おうよ~!と、お互いに無意識のうちに影響しあい、その声を拾いあい、「よし!この日にやろう」となるわけです。

時には、多忙なスケジュールの中、私を含めた主催者一同、「このタイミングで開催すべきだろうか?」などと、不安になることもある。
ただ、蓋を開けてみて、いつも涙、涙の大調和に終わるのは、つまり、そういうことなのだろう。

ガネーシャを歌っている時、大きいな発見があった、と涙ながらに語ってくれたのは、こころちゃんのお母さんの麻衣さん。

ほんとうの夢を叶えるマントラを歌っていて、「ほんとうの夢」に気づくことができた、という。

そうなの。
ガネーシャって実は、そういう波動…

今のこの社会で、「ほんとうの夢」といっても、「ほんとうの夢がなんだかわからない」という人もたくさん。

ガネーシャは、まず夢を叶える前に、夢に迷っている人を、夢に導くところから手を取ってくれる。
だから、まず、どのマントラよりいちばん最初にシェアしているんです。
その迷いが消えたとき、一段先のステップには、もう、クリシュナでも、シヴァでも、サラスワティでも、ラクシュミでも、あらゆる神様(可能性)が両手を広げて待っている。
6年前の私がそうであったように……。

少人数だからこそ、一人、一人の名前を歌いあい、そっと身体に触れあいながら迎えたOm Shanti。
私のターンでは、大好きな友人であり、バイロン、インド、ここ日本といつも私のキルタンに寄り添ってくれているなおちゃんがリードしてくれました。
それぞれ、私の名のうちに、まだ名のない赤ちゃんへの祈りを込めて、みんながお腹に触れてくれるのがうれしかった。
この子は、生まれる前からなんと、大きな愛に包まれているのだろう……。

歌の会の後は、みんなでホーリーバジルのティータイム。


神様は歌となり、また香りとなり、味となり、いつでも私たちを歓ばせてくれる。




“もっと、開いてごらん、感じてごらん。
私はいつでもあなたの傍にいる”

イーシュワラ(この世界を維持する存在)のやさしい声が聞こえた気がした。


最後に、声をかけてくれたシスターのKumiちゃん、Naoちゃん、
すてきな会場を快く開放してくださったAmiさん、
この度もその透明なアンテナで私たちを見つけ、その声を、愛を捧げてくれたお一人、おひとりに心よりお礼を捧げます。

8月18日は満月キルタン
8月23日のInner Gardening vol,5
9月1日は新月キルタンと、再会の機会をご用意しております。
今後のスケジュールはコチラ

またの響き逢いを楽しみに…


Hari Om Tat Sat

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