こんばんは。
きょうは、12月23日ということで
上皇陛下のお誕生日ですね。
若い人には、イブイブですけど・・
ことしはクリスマスらしさをあまり感じませんが
みなさんのブログから実感しています・・
ちょっと、お写真を拝借しますと
『はこだて雪ん子』さん
『ひまわりの約束』さん
『クリスマスの不思議な物語』さん
* * * * *
きのう読んた記事によりますと、
『実は12月24日の日没から12月25日の
日没までが本当のクリスマス!』
ということは、いまは日没後なので
「クリスマスの前日」という事になるの?
クリスチャンではないので、いいのですが
その記事は、つぎの言葉で締めくくられていました・・
大切なことは、自分の特別な人に
感謝や愛を表現することです。
だから皆さんも、恋人や家族と特別な
クリスマスの時間を過ごしてくださいね!
読書の感想
このあいだ 三浦綾子さんの「ひつじが丘」 という本を読みました・・・
まだ20代の頃に買って、何度も読んでいますが
若い頃には意味がわからなかった所が
年をとると、わかるようになります。
いま読んでの感想は
「キリスト教は、おっかない」 ということ。
(作中の 良一の言葉)
とても人に勧められない
こわい話です・・
『罪深さ』というものを考えるからですが
たとえば、こんな描写があります。
(奈緒実:主人公)
(杉原良一:奈緒実の結婚相手)
(父:牧師)
(母:愛子)
≪娘に父と母が結婚を諌める場面≫
父 「奈緒実。人を愛するって、どんなことか知っているかね。
お前も愛するということが、
単に好きということではないくらいは知っているだろう。
愛するとは、相手を生かすこと。
お前は果たして、杉原君を生かすことができるかね。
お父さんがにらんだところでは、
それはひどく骨の折れることだと思うがね。
とても奈緒実には 生かしきれまいな」
奈緒実 「ひどいわ。わたしだって
人一人ぐらい愛することができるわ」
「そうかね。愛するとは、ゆるすことでもあるんだよ。
一度や二度 ゆるすことではないよ。
ゆるしつづけることだ。
杉原君を お前はゆるしきれるかね」
奈緒実 「あの人、そんなに
ゆるさなければならないことをするとは思えないわ」
愛子 「さあ、人間ですからね。
ゆるしたりゆるされたりすることばかりの繰り返しよ。
杉原さんはもしかしたら・・・
結婚しても女の人のことで苦労させる人じゃないかしら」
(後略)
≪父が、良一と奈緒実に 自分の過失を告白≫
「どうだ、奈緒実。お前は良一君と もう一度やり直すつもりなんだろう」
奈緒実「わたし、自信はありませんわ」
良一「わたしも、女にも酒にも弱いし
いつどういうことになるか自信がないんです」
「男というものは、弱いものだからね」
それから、奈緒実の父は こんな話をはじめます。
「二十何年も前のことだ。ある一人の男がいた。
その男は結婚して妻が出産する時になって
、過失を犯してしまった。
しかも、それは妻の姉だった。
その姉は結婚していて人妻だった。
出産してから、その事実を知った妻は
なんと言ったと思う」
わたくしは神と結婚したのではありません。
人間と結婚したのです。人間というものは、完全ではありません。
いつも何かしら過失を犯しています。
過失を犯さなければ生きて行けないのが人間です。
そう言って、その妻は自分を裏切った夫と、
妹を裏切った姉をゆるした。
その妻はキリスト信者だった。
それからその男は信者になり、
会社を辞めて神学校に行き牧師になった。
その赤ん坊は病気で死んでしまって、
あとに生まれたのが奈緒実なんだよ」
奈緒実は、ひとごとのように聞いていたその話が
事もあろうに信じきっている父の話と知って青ざめた。
(後略)
この「ひつじが丘」という小説の主題は、
(良一の)信仰告白です。
ただ、そこに至るまでにわたしは
キリスト教ってこわいと思うわけです・・
クリスマスを楽しくお祝いするには
ふさわしくないおはなしでしたが、
愛するということの延長上には
そういうことがあるのかなと思いました・・
* * * * *
おわかれに、クリスマスソングを数曲・・
クリスマスイブ
恋人たちのクリスマス/マライアキャリー
恋人たちのクリスマス / Jazz
Have a good Christmas ☆彡