おとといの夜更かしで身体のリズムが崩れたのか、今日は朝からだるくて…
1日何もしないで過ごしました。
こんな日もたまにはね。ある意味すごい贅沢笑
たいせいの月命日なので、お花とケーキを買いに行ったくらい。
お花は、やっぱり向日葵を中心にオレンジ系でお願いしました。
たいせいの前でアルバムを開きながら、ふたりの時間を過ごしました。
でも、今日は涙は出ませんでした。
穏やかな時間の中で、たいせいと触れ合えた日々を思い出して、幸せだった気持ちに改めて気づきました。
ケーキを買う時も、ごく当たり前のように3人分選んでいたり。
本当ならまだケーキ食べられない年齢だけど笑
私たちは3人家族で、他の家族とは違うけどこれが私たちの家族のあり方なんだと思えるようになり、最近はわりと穏やかです。
でも夜のTVで仏教的な意味のある歌を紹介する番組の中で『精霊流し』や『防人の詩』、『贈る言葉』を聴いて、その歌詞に泣いてしまいましたが
2回めの月命日を迎えて思うこと。
愛する人を喪うという、大きな悲しみ(=悲嘆 )を乗り越えようとするとき、そこには12のプロセスがあるそうです。
(アルフォンス•デーケン氏による悲嘆プロセス)
1段階 精神的打撃と麻痺状態
愛する人の死という衝撃によって、一時的に現実感覚が麻痺状態になる。
頭が真空になったようで、思考力がグッと落ち込む。
心身のショックを少しでも和らげようとする本能的な働き、つまり、防衛規制。
頭が真空になったようで、思考力がグッと落ち込む。
心身のショックを少しでも和らげようとする本能的な働き、つまり、防衛規制。
2段階 否認
感情、理性ともに相手の死という事実を否定する。
「あの人が死ぬ訳がない、きっと何かの間違いだ」という心理状態。
3段階 パニック
身近な死に直面した恐怖による極度のパニックを起こす。
悲嘆のプロセスの初期に顕著な現象
なるべく早く抜け出すことが望ましく、またこれを未然に防ぐことは、悲嘆教育の大切な目標のひとつと言える。
4段階 怒りと不当感
不当な苦しみを負わされたという感情から、強い怒りを感じる。
「私だけがなぜ?」「神様はなぜ、ひどい運命を科すの?」
※ショックがやや収まってくると「なぜ私だけが、こんな目に…」という、不当な仕打ちを受けたという感情が沸き上がる。
5段階 敵意とルサンチマン(憤り、怨恨、憎悪、非難、妬み)
周囲の人々や個人に対して、敵意という形で、やり場のない感情をぶつける。
6段階 罪意識
悲嘆の行為を代表する反応で、過去の行いを悔やみ自分を責める。
「こんなことになるなら、生きているうちにもっとあれこれしてあげればよかった」という心境。
過去の行いを悔やんで自分を責めることになる。
7段階 空想形成・幻想
幻想ー空想の中で、故人がまだ生きているかのように思い込み、実生活でもそのように振る舞う。
例1:亡くなった子供の部屋をどうしても片付けられず何年もそのままにしている
例2:いつ子供が帰ってきてもいいよう、毎晩ベッドの上にパジャマまで揃えおく
例2:いつ子供が帰ってきてもいいよう、毎晩ベッドの上にパジャマまで揃えおく
8段階 孤独感と抑うつ
健全な悲嘆のプロセスの一部分、早く乗り越えようとする努力と周囲の援助が重要。
葬儀などが一段落し、周囲が落ち着いてくると、紛らわしようのない寂しさが襲ってくる。
9段階 精神的混乱とアパシー(無関心)
日々の生活目標を見失った空虚さから、どうしていいかわからなくなり、あらゆることに関心を失う。
10段階 あきらめ・受容
自分の置かれた状況を「あきらか」に見つめて受け入れ、つらい現実に勇気をもって直面しようとする努力が始まる。
※「あきらめる」という言葉には「明らかにする」というニュアンスが含まれている。
※「あきらめる」という言葉には「明らかにする」というニュアンスが含まれている。
11段階 新しい希望・ユーモアと笑いの再発見
ユーモアと笑いは健康的な生活に欠かせない要素で、その復活は悲嘆プロセスをうまく乗り切りつつあるしるし
※悲嘆のプロセスを彷徨っている間は、この苦しみが永遠に続くような思いに落ち込むものだが、いつかは必ず、希望の光が射し込んでくる。
こわばっていた顔にも少しずつ微笑みが戻り、ユーモアのセンスも蘇ってくる。
12段階 立ち直りの段階・新しいアイデンティティの誕生
愛する人を失う以前の自分に戻るのではなく、苦悩に満ちた悲嘆のプロセスを経て、新しいアイデンティティを獲得し、より成熟した人格者として生まれ変わることができる。
これに私の場合を当てはめて考えてみると。
第1〜3段階は死後から1〜2週間くらいに起こりました。
当初は現実かどうかもわからない、長い悪夢を見てるんだと思いこんだり、思考が停止して判断できなかったり。
パニックはそれほどなかったように思いますが、過去のブログ記事を読んでみると多少ありますね。。。
第4〜7段階は、通夜の頃から1ヶ月近くまで思いっきり感じていました。
「なぜ私だけ?」「どうしてたいせいなの?」
そしてやり場のない憤り、罪悪感。
※第7段階はまだあるかもしれないです。
第8〜9段階は、葬儀が終わり2ヶ月経つ前まであったと思います。
どうしようもない寂しさ。空虚感に襲われる感覚。身近な死の恐怖。
第10〜11段階←イマココ?
病院に詳しい原因や検査結果を聞きに行ったり、不妊クリニックへ報告をし、現実を受け止めようとしている行動がそれに当たるのかなと。
そしてたいせいが短い命だったのは運命だったとようやく受け入れることができ、新しい希望に向かって少しずつ光が見えてきている感じがします。
12の階段の内容は個人差があり、順番に経験することもあれば入れ替わることも、同時に経験することも、そして順番を飛び越えることもあるそうです。
その期間も個人差があり、半年から長い人では数年にも渡ると言われています。
それに比べると私は少し早い気もする…
だからまた前の段階に戻ったりしないかという不安もあります。
でも私自身は無理をして早く抜け出そうとは思ってなくて、気がつけばここにいた、という感じです。
過去の記事を読み返すと、確かに段階的にこのプロセスを経てきているなと気づきます。
その最中にいる時は自分では気づかないので、ブログに残しておいたことは、客観的に自分を把握できてよかったと思います。
2ヶ月の間は、本当に抜け出せるのかわからない暗闇の中にいて、いつでもどこでも泣けるくらい涙が止まらず、目が腫れて顔が変わる程でした。
今思うと、たった2ヶ月とは思えないほどものすごーく長く感じました。
私もまだこの過程の途中ですが、もっと長い時間をかけて過程を経ていく人もたくさんいると思います。
私だって先のことはわからない、また戻ってしまうかもしれない。
私は比較的早く社会に復帰して、一時はどうなるかなと不安でしたが、職場でも理解してくれる人がいたし適度な刺激になった…それが私にとってはいい方向に働いたのかなと今では思います。
それから、最初の頃いろいろな方のブログや誕生死に纏わる本を読み、悲しい感情に蓋をしないで、泣きたいだけ泣いた方がいい、と教わったこともよかったと思っています。
また、この悲嘆プロセスを早い時期に知っていたので、怒りや抑うつも誰にでも起こりうる事で、私だけがおかしいわけじゃないと理解していたことも大きかったと思います。
『贈る言葉』にもありますが
悲しみこらえて微笑むよりも
涙枯れるまで泣く方がいい
人は悲しみが多いほど
人には優しくできるのだから
今、改めて聴くと心に沁みますね。
これは悲嘆プロセスにおける大切なメッセージなんじゃないか、と思いました。
愛する人を喪う、ましてや我が子を亡くす悲しみは、一生消えることはないと感じています。
時が経つにつれ薄れてはいくでしょう。
でも、愛情が薄れるわけでは決してない。
悲しみは乗り越えるのではなく、悲しみとともに生きていくのだと思います。
ともに生きられるくらい薄くなった悲しみとともに。
その時は自然と来るから。
無理してではなく、自然と笑顔でいられる時がきっと来ますように。
そして、この12段階めを経た自分こそが、たいせいが残してくれたギフトなのかなと思います。