当事者が死を選んでしまったら、

真相は闇の中。

 

生きてる人間に真相を糾そうととしても、

当事者は話せる訳が無い。

 

だって「自分は正しいことをした」と思ってる人に、

「あんたは間違ってっる」ことを前提に、

話しをしようとして、どうでしょう?

 

私だったら、話す気は有りません。

 

自分に対する間違いを糾す勇気はあっても、

自分の正義の間違いを糾す気持ちは無いかもです。

 

私も、保育園児の頃から、

何故か、自殺願望がありました・・・が、

いまだに生きています。

 

誰にでも、自殺願望は起こり得ます。

 

打たれ弱くても、生きてる人間いるし、

打たれ強くても、違う世界を求める人がいます。

 

自死した子供の責任を、

行政に求める親が多くなりましたが、

果たして、それで心は満たされるのでしょうか?

お金で心は満たされるのでしょうか?

 

どういう教育方針だったかは、解りかねますが、

子供が「死」を選ばなければならなかった、

家庭環境って、どうなんでしょう?

 

子供の帰属先は、学校ではないのです。

 

家庭であり、家族が子供に対して責任を負うのです。