天皇陛下は23日、80歳、傘寿の誕生日を迎えられました。
天皇陛下は、誕生日を前に、皇居・宮殿で記者会見に臨まれました。
この中で天皇陛下は、80年を振り返って最も印象に残っているのは、
日本人のおよそ310万人が犠牲になったと言われる先の戦争のことだと述べ、
「前途にさまざまな夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、
本当に痛ましいかぎりです」と話されました。
そして、「戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時のわが国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています」と述べられました。
また、「戦後60年を超す歳月を経、今日、日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても、
人と人の絆を大切にし、冷静に事に対処し、復興に向かって尽力する人々が育っていることを、本当に心強く思っています」と話されました。
そのうえで天皇陛下は、「傘寿を迎える私が、これまでに日本を支え、今も各地でさまざまに、わが国の向上、発展に尽くしている人々に日々感謝の気持ちを持って過ごせることを幸せなことと思っています」と語られました。
また、これからの人生の歩みについては、
「年齢による制約を受け入れつつ、できるかぎり役割を果たしていきたい」と述べられました。
さらに、「天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました」と話し、
「皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、
これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています」と語られました。

一方、オリンピックの招致活動などを巡って論議が見られた皇室の活動と政治との関わりについて、
天皇陛下は、「日本国憲法には『天皇は、国政に関する権能を有しない』と規定されています。
この条項を遵守(じゅんしゅ)することを念頭において、私は天皇としての活動を律しています」と述べられました。
そのうえで、「問題によっては、国政に関与するのかどうか、判断の難しい場合もあります。
そのような場合はできるかぎり客観的に、また法律的に、考えられる立場にある宮内庁長官や
参与の意見を聴くことにしています」と話されました。
皇居では23日に一般参賀が行われ、天皇陛下は皇族方と共に、午前中3回、宮殿のベランダに立ち、お祝いを受けられます。
天皇陛下の80年の歩み
昭和天皇の長男で、皇太子として生まれた天皇陛下は、戦争が続くなかで子どもの時期を過ごし、11歳で終戦を迎えられました。
戦後の復興期に青春時代を送り、大学生活を終えた翌年、軽井沢のテニスコートで皇后・美智子さまと出会い、25歳で結婚されました。
一般の家庭からおきさきを選んだのは初めてで、祝賀パレードに50万人を超える人たちが
詰めかけるなど、多くの国民から祝福を受けられました。皇后さまと、国内外で公務に励むと
ともに、3人のお子さまを手元で育て、新たな皇室像を示されました。
昭和天皇の崩御に伴い、55歳で、今の憲法の下、初めて「象徴」として天皇に即位されました。
天皇陛下は、翌年の記者会見で、「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴として現代に
ふさわしく天皇の務めを果たしていきたいと思っています」と述べられました。
天皇陛下は、一貫して先の大戦と向き合われてきました。毎年8月15日に全国戦没者追悼式に出席して、戦争が再び繰り返されないよう願うおことばを述べられています。
戦後50年を迎えた平成7年には「慰霊の旅」に出かけ、被爆地広島と長崎、そして地上戦が行われた沖縄などを訪ねられました。

さらに、戦後60年には、太平洋の激戦地サイパンを訪問されました。
天皇陛下の強い希望で実現した異例の外国訪問でした。
天皇陛下は、また、皇后さまと共に、全国各地の福祉施設を訪れるなどして、
社会で弱い立場の人たちを思いやられてきました。障害者スポーツにも強い関心を持ち、
全国身体障害者スポーツ大会が開かれるきっかけを作るとともに、
平成に入って皇太子ご夫妻に引き継ぐまで、大会に足を運んで選手らを励まされました。
大きな災害が相次ぐ平成の時代。
両陛下は、被害を受けた人たちに心を寄せ続けられてきました。始まりは平成3年。
雲仙普賢岳の噴火災害で43人が犠牲になった長崎県島原市を訪れ、体育館でひざをついて被災者にことばをかけられました。その後も、平成7年の阪神・淡路大震災など大きな災害が起きるたび現地に出向き、被災した人たちを励まされてきました。
おととしの東日本大震災では、発生から5日後にテレビカメラを通じて国民に語りかけ、
その後、7週連続で東北3県の被災地などを回られました。
その後も再び東北の被災地を訪問するなど、天皇陛下は、皇后さまと共に国民に寄り添い、
世界の平和と人々の幸せを願い続けられています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131223/k10014040061000.html
天皇陛下は、誕生日を前に、皇居・宮殿で記者会見に臨まれました。
この中で天皇陛下は、80年を振り返って最も印象に残っているのは、
日本人のおよそ310万人が犠牲になったと言われる先の戦争のことだと述べ、
「前途にさまざまな夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、
本当に痛ましいかぎりです」と話されました。
そして、「戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時のわが国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています」と述べられました。
また、「戦後60年を超す歳月を経、今日、日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても、
人と人の絆を大切にし、冷静に事に対処し、復興に向かって尽力する人々が育っていることを、本当に心強く思っています」と話されました。
そのうえで天皇陛下は、「傘寿を迎える私が、これまでに日本を支え、今も各地でさまざまに、わが国の向上、発展に尽くしている人々に日々感謝の気持ちを持って過ごせることを幸せなことと思っています」と語られました。
また、これからの人生の歩みについては、
「年齢による制約を受け入れつつ、できるかぎり役割を果たしていきたい」と述べられました。
さらに、「天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました」と話し、
「皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、
これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています」と語られました。

一方、オリンピックの招致活動などを巡って論議が見られた皇室の活動と政治との関わりについて、
天皇陛下は、「日本国憲法には『天皇は、国政に関する権能を有しない』と規定されています。
この条項を遵守(じゅんしゅ)することを念頭において、私は天皇としての活動を律しています」と述べられました。
そのうえで、「問題によっては、国政に関与するのかどうか、判断の難しい場合もあります。
そのような場合はできるかぎり客観的に、また法律的に、考えられる立場にある宮内庁長官や
参与の意見を聴くことにしています」と話されました。
皇居では23日に一般参賀が行われ、天皇陛下は皇族方と共に、午前中3回、宮殿のベランダに立ち、お祝いを受けられます。
天皇陛下の80年の歩み
昭和天皇の長男で、皇太子として生まれた天皇陛下は、戦争が続くなかで子どもの時期を過ごし、11歳で終戦を迎えられました。
戦後の復興期に青春時代を送り、大学生活を終えた翌年、軽井沢のテニスコートで皇后・美智子さまと出会い、25歳で結婚されました。
一般の家庭からおきさきを選んだのは初めてで、祝賀パレードに50万人を超える人たちが
詰めかけるなど、多くの国民から祝福を受けられました。皇后さまと、国内外で公務に励むと
ともに、3人のお子さまを手元で育て、新たな皇室像を示されました。
昭和天皇の崩御に伴い、55歳で、今の憲法の下、初めて「象徴」として天皇に即位されました。
天皇陛下は、翌年の記者会見で、「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴として現代に
ふさわしく天皇の務めを果たしていきたいと思っています」と述べられました。
天皇陛下は、一貫して先の大戦と向き合われてきました。毎年8月15日に全国戦没者追悼式に出席して、戦争が再び繰り返されないよう願うおことばを述べられています。
戦後50年を迎えた平成7年には「慰霊の旅」に出かけ、被爆地広島と長崎、そして地上戦が行われた沖縄などを訪ねられました。

さらに、戦後60年には、太平洋の激戦地サイパンを訪問されました。
天皇陛下の強い希望で実現した異例の外国訪問でした。
天皇陛下は、また、皇后さまと共に、全国各地の福祉施設を訪れるなどして、
社会で弱い立場の人たちを思いやられてきました。障害者スポーツにも強い関心を持ち、
全国身体障害者スポーツ大会が開かれるきっかけを作るとともに、
平成に入って皇太子ご夫妻に引き継ぐまで、大会に足を運んで選手らを励まされました。
大きな災害が相次ぐ平成の時代。
両陛下は、被害を受けた人たちに心を寄せ続けられてきました。始まりは平成3年。
雲仙普賢岳の噴火災害で43人が犠牲になった長崎県島原市を訪れ、体育館でひざをついて被災者にことばをかけられました。その後も、平成7年の阪神・淡路大震災など大きな災害が起きるたび現地に出向き、被災した人たちを励まされてきました。
おととしの東日本大震災では、発生から5日後にテレビカメラを通じて国民に語りかけ、
その後、7週連続で東北3県の被災地などを回られました。
その後も再び東北の被災地を訪問するなど、天皇陛下は、皇后さまと共に国民に寄り添い、
世界の平和と人々の幸せを願い続けられています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131223/k10014040061000.html