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道普請人_http://coreroad.org/のブログ

道普請人HP, http://coreroad.org/

整然とした農地、稲穂の様子。

 

 

 

農業農村整備事業として、村づくりが行われている。

 

地域の財産としての農業水利施設。農業用水の多面的な利用(洪水調整、景観、レクリエーション、防火用水)

 

 

まだかまだかと水路沿いを南下。そして、ようやく見つけた円筒分水工。これ以降、多くの円筒分水工を見ることができた。

 

写真右側の水路から、ハンドルを回して水門開け取水。道路下を通って左側の円筒上の分水工へ。そこからさらに左側、谷側の田へ水を送る。

 

円筒分水工側から水路を見る。

 

円筒の中心部に小さい径の円筒がある。水路から取水し道路下を通り、ここから噴き出す。分水工から延びる水路沿いにある田の広さに応じて、円筒側面の窓数が調整されていて、各水路に流れる水の量が配分される。

 

土のうで窓をふさぐなどして、水量が調整されているのだと思う。

 

分水工から水が流れていく田

 

農業用水は沿線の利用者からなる団体、土地改良区で、管理されてきた。改築の記念碑。

 

記念碑の側の太陽光パネル。21世紀の農村風景?

 

 

水路沿いに進み看板を過ぎてしばらく行くと、水路橋(旧、現在は車道)を渡る。橋の奥、写真左側には中央自動車道が見える。

 

水路橋の説明看板。昭和3年完成とあるので、約90年前に完成した橋。コンクリート構造物の寿命は100年とも言われるが、状態は良好なのか。色合いからは歴史を感じる。

 

橋の全景

 

鉄筋がむき出しになっていたり、錆が目立つ。下に道路がない径間の底部はむき出しになっていた。

 

道路が通る箇所はネットで防護。剥落対策か。

 

橋脚の状態。

 

インフラメンテナンスの重要性、農村部、地方部でどう維持管理するか、日本の抱える問題を実感した。

 

 

 

 

日本の農村風景、特に農村インフラとされる農業水利施設に興味があり、西天竜幹線水路を辿ってみた。ちょうど稲穂のきれいな、収穫、稲刈りの季節だ。

 

幹線水路沿いにある看板。水路の歴史や施設の解説、そして清掃への呼掛けの内容。小学校6年生の活動の一環らしい。地域に根差している施設となっている。

 

大正から昭和にかけて、約90年前に建設された農業用水路、延長26 km

 

水路を、川筋の谷を渡すための工夫。水の性質を利用した工夫に感心した。

 

サイフォンが設置される前は、橋で渡していたらしい。人や車だけでなく、水を渡す橋がある。

 

実は今回の農村ツアーを思いついたのは、この円筒分水工(土木遺産)を見たいと思ったことがきっかけである。この水路上にあると聞き、上流側からここまで来たが見当たらず、不安に思っていたところ。ここから下流側に行けば、きっとあるのだろう。

 

小学生による水路管理の取組紹介。地域で管理していく気運を盛り上げている。

 

上流側で取水し、下流側に向けては川側から離れた高台をゆるやかな勾配をとりながら、流れる水路

 

水路を横断するように流れる川、谷を渡す水路の橋。これは小規模だが、看板中にある水路橋はもっとスケールが大きい。

 

田んぼ、畑、住宅、空き地にある太陽光パネル

 

ブーゲンビル自治州で行っている道直しの様子を紹介してみる。

 

最初にコミュニティを訪問、道に関する問題や彼らの作業へ参加意欲を確認した。

 

シニアエンジニア吉田氏にも手伝ってもらっている。道路を調査し、予算内でコミュニティ参加でできる道路整備内容を技術的な知見から判断し整理した。

 

まずは道路全容の確認のために、草刈

 

その後、側溝の整備。

 

バックホウを借り、近くの石灰岩の砕石場で山斜面を削り砂利を確保した。対象道路沿いのコミュニティが地主で、無償で得た。

 

バックホウは時間ベースで借り、トラックは砕石場と道路との往復回数で課金される。バックホウを借りている時は人力より機械で積み込む方が経済的であった。

 

窪地は土のうで補強しながら盛土した。フィールドコーディネーターのジョンによるデモ。

 

写真はドライバーのマイケルが撮っていた。

 

ジョンは几帳面で丁寧に説明した。

 

締固めが大事

 

Department of Technical Serviceの施工監理者(写真左端)による、視察。単なるNGOの事業とならないよう、できるだけ自治州政府行政官を巻き込むようにした。

 

土のう路盤の上に表層材を撒きだした。

 

表層材も人力で可能な限り締固めた。

 

このコミュニティは初期の段階では、日当としてもらえる労賃にこだわり、時間あたりの単価を上げてほしいと何度も言ってきた。その度に、プロジェクトはビジネスでなく、彼らが使う道路を改善することに協力しようとしていることを説明した。外国人や行政官を見ると、お金を取れるチャンスと見てしまう習性が、あるのかもしれない。

 

砂利を路面に敷き始めて、当初予算で可能な台数を終えた。まだ坂部の一部に十分砂利が行届いていなかった。すると人々は、無償で敷き均し締固め作業をするから、なんとかもう少し砂利を敷いてほしい、と言ってきた。

 

作業は住民の道を改善したいという気持ち次第で実施可能だけれど、砂利をその道に敷くにはお金がかかる。彼らの気持ちはよくわかるし、ようやく、プロジェクトのやり方や趣旨を理解してもらえたのか、と思った。

 

また、プロジェクト最初からこのように理解してもらえるように住民との対話に工夫する必要があると感じた。

 

事業開始前の様子

 

事業後の様子

 

今週、プロジェクトとして初めてワークショップを行った。ブーゲンビル自治州で活動間もない日本のNGOが実施するワークショップ。スタッフも真面目さや熱心さはあるものの素人で、手探りだが、今回の自分の滞在のなすべきことの一つだ。

 

自治州政府のキーパーソン(Deapartment of Technical Service)と(Department of Community Government)に事前相談し、招待すべき人々の名前リストや連絡先のリストを得た。

 

周りの小島から来る人もいたり、レターが届かない可能性もある、ということで、地元ラジオでワークショップ開催をアナウンスし、招待者の名前を読み上げてもらった。

 

ここでミスを一つ。ブーゲンビル自治州では、二つの時間、パプアニューギニアタイム(日本時間より1時間進む)とブーゲンビルタイム(日本時間より2時間進む、ソロモン諸島と同じ)が混在している。招待状に、ブーゲンビルタイムでの予定表であることを明記すべきだった。

 

ワークショップでは人の集まり具合をみて、結局ブーゲンビルタイムの9時半より開始した。

 

自治州政府、Department of Technical Services(公共事業を担当する省)のSecretaryが開会の挨拶をしてくれた。

 

自分の趣旨説明等の発表ののち、フィールドコーディネーターのジョンが3か所ある道路の整備状況を写真で順に説明。資料作成には手間取ったけど発表はさすがだった。

 

小雨がする中であったけれど、現場視察を決行。約30人の参加者をチャーターしたバスで現場まで運び、プレゼンした道路の様子を実際に見てもらった。

 


質疑応答ののち、閉会の挨拶、そしてランチ。前列右から二人目の青いシャツで座っている男性は、Technical Serviceの大臣である。自治州政府のある選挙区選出の議員でもある。

 

自治州政府の行政官に、コミュニティ道路を沿線住民と一緒に直すやり方に大きな関心は得られたようだった。大事なことは彼ら自身が、適切にコミュニティと対話し資機材の段取りをして協力して作業を推進することだ。

 

自分自身にとっても、またスタッフにとっても、手応えを感じられたワークショップになった。

 

 

ブーゲンビル自治州は主にブカ島とブーゲンビル島からなる。紛争後自治州の州都はブカ島のブカタウンに置かれている。以前はブーゲンビル島のアラワにあったそうだ。

 

ブカ島とブーゲンビル島の間には、海峡がある。橋もなく陸続きではないため、船での移動になる。

 

ブカタウン、マーケット側の船着き場から対岸のブーゲンビル島を望む。

dingey(ディンギー)と呼ばれる小型の船が、人々の足である。ブカ島とブーゲンビル島の移動は片道2キナ。5分程度の乗船である。夜でも十分な明かりを付けずに、行き来している。

 

この日はブカ島からブーゲンビル島のアラワへ調査に行く。ブーゲンビル島側の船着き場のあるココパウで車を借りると高い。船で車を移動させた方が安い。

 

 

まるで、「ノルマンディー上陸作戦?」の気分?

 

海岸沿いに面した給油所。車にも、ディンギーにも給油できるし、また水陸両交通手段で供給もされる。給油は手まわしポンプで5リットルごとだ。

 

待ちに待った?コンテナ船が寄港。いろいろな物資が供給される。道路整備関連資機材で言えば、セメントも注文したら、運び込む段取りをしてくれるという。

 

 

2017年3月より、外務省の助成を得て、ブーゲンビル自治州での事業を開始した。2019年には独立の是非を問う住民投票が行われる地域である。

 

開発に向けて自助努力を活性化させることも大事で、私たちNPO法人道普請人は、村へ入り生活道路の改善を村人たちと一緒に行う。

 

助成申請のための調査に初めてブカ島に来たのが2016年5月で3日間滞在、助成確定し開始のための準備に2017年4月に一週間滞在した。現地職員雇用、事務所の設置、村人との交渉と道直しを開始したのが6月~7月である。そして事業の出来高も約50%でワークショップを実施したのが8月。

 

島での滞在にも少し慣れてきた。

 

 

ブカタウンの入り口付近にある、事務所のある建物(左側赤い屋根の倉庫)

 

現地の知合いの紹介で雇用したスタッフ。事業内容を理解してもらうため、動画を見せてみた。

 

シニアエンジニアでの吉田氏の指導の様子

 

プロジェクトチーム

左から運転手兼フィールドオフィサー(工事現場で働いていたことがあるようで、作業の効率性などをきちんと判断できる。でも、運転はあまりうまくない。。。)

会計のジュリエット(真面目に作業はこなしてくれるが、経験不足は否めない。時にはエクセルの使い方も教えている)

フィールドコーディネーターのジョン(生真面目で正直者。要領がもう少しよかったり、全体を見て行動方針を決めてくれるといいのだけれど。経験不足だけど、この事業を通して色々身に着けてほしい)

 

 今回の滞在期間中の業務を通して、だいぶ距離が近くなったように思う。自分の価値基準だけで判断してはいけないことに気づかされる。彼らも彼らの環境の中で真面目に生きて来て、今がある。自分の常識が彼らにとっての常識とは限らない。

 

こういうことにお互いに気づき、それでも力を合わせて事業を進めることが醍醐味と思う。

 

今年の終戦記念の日は、激戦区であったソロモン諸島群のひとつ、ブカ島で迎えた。戦時中とは違い、地元の人々のくらしの豊かさにつながるように、との活動で現地に立てることをありがたく思う。

 

平和への思いを強く持ちたいと思う。

 

当時の面影を見ることがある。

 

ブカ空港の片隅にある地対空砲。何の説明書きもなく、無造作に置かれたままの状態である。

 

草に埋もれかけであるが、地元の人によると戦時中の日本軍のものらしい。

 

また運転手が、ブカ島幹線舗装道路ぞいにトンネルの入り口があると教えてくれた。海岸沿いの岸壁に通じており、岸壁中腹に飛来する飛行機を迎え撃つために銃座を置いていたらしい。

 

ブカ島とブーゲンビル島の間にあるソハノ島に設置された、ソロモン諸島群における戦没者慰霊碑

 

ソハノ島からブカ島方向を見た様子。戦争の面影は感じられない、きれいな景色。

 

ソハノ島からブーゲンビル島方向を見た様子。砂浜の島が点在している。

 

サンゴ礁に設置された船着き場。海がきれいな青色である。

 

世界平和を願い、それに貢献していきたい。

 

 

 

 

農家グループへの園芸作物生産に関する研修とセットで、よりよい品質の作物を市場で需要があるときに余すことなく出荷するために道路状態を改善する活動を、カウンティに報告した。

 

今後、カウンティとして(地方自治体として)、同様の活動、ここでは特に農家グループ、コミュニティとの部分補修活動を実施してほしい、という狙いがある。

 

カウンティ農業政策立案のトップ、Chief Officer (CO)(事務次官相当)、カウンティの道路行政官も含めて、報告会を実施した。

開催の挨拶をするCO。

 

中央政府農業省、プロジェクトユニットのプロジェクトコーディネーターによる趣旨説明。

 

カウンターパートによる説明。担当していたカウンターパートが不幸にも一週間前に交通事故で負傷。代役だが、しっかりと説明してくれた。

 

報告後、COが次年度予算を確保して、いくつかのグループ対象に部分補修もやってみましょうとコメント。

 

報告後、土のう工法の簡便でもを、会場すぐそばで実施。農業土木技術者が自分の言葉でしっかりと説明。

 

カウンティオフィスゲート前であり、多くの人が立ち寄る。部分補修という説明をすると、納得してもらえるようだ。礫質土の山も昨日、カウンティ農業土木技術者の努力で調達できた。

 

最後にCOが農業セクター、道路セクター、カウンティが一体となってコミュニティに公共サービスを提供していこうと前向きなコメント。報告会としては成功だったと思う。今後の動向に注目し、カウンティ自身が実施していくえで、適宜支援ができたらよいと思う。