”人生は、クエスト”だ。


楽しい人生のために、何が一番必要か。



それは、ずばり、クエスト=探求、ではないでしょうか。



探求って何でしょうか。


知らないことを知る、であったり

体験したことがないことを体験し、実感してみたい、であったり


と言えるかと思いますが、究極、


それじゃないでしょうか。


なので、知らないことを、どんどん知ろうとする、


知識欲を満たせたら、とどのつまり、何でもいいわけですね。


言い方を変えると、味わう、という表現がいいかと思います。


なので、その最大で最小の欲求を満たす動き、


デイリー、でできること、

スペシャル、でできること、


とに分けて、


デイリーでできることは、どんどんと、やってみる。

デイリーでやっていることが、経験値となり、

普段できない、スペシャルになる、ということなので、



ボーっとしているなんてもったいない。わけですね。


結婚ラッシュ、子育てラッシュ。


それももちろん大事なことですが、

それ以上に、個々が、満足できる生き方ができていますか、ということも

忘れないほうがいいわけです。




広い世界とつながれなかった、時代は、


知るための、きっかけ、がそれしかなかった、から、


それ、だっただけで、


別に、何かにこだわる必要ってもうないわけですよね。


こだわる時代は、もう古い。


やりたいことを、やればいいわけです。


何かを思い込んで、毛嫌いして、行動が遅れて行く前に、

さっさとやればいい。


なんでも。


なじみがあるから、やる。

安全だから、やる。

大人になれば、なるほど、経験で判断していくので、

ますます、冒険しない、探求しなくなる。


それは結果、どうなるかというと、

新しいことに好奇心をもつことも、挑戦することもなくなるので、


口癖が、歳だから、でごまかすようになる。


いやいや、嘘いうんじゃないでしょうよ。

ってボクは思うんですね。


あれが、あって、これが、ない、とか、

これができて、あれは、できない、とか。


それは、変えたほうがいい現実なのです。


ガツンと、何かをやるんではなくて、

お勧めなのは、ちょこ食い、つまみ食い、的な行動です。


何がどうなって、どうなるか、なんて、

野球で言えば、ピッチャーがボール投げないと試合は始まらないわけで、


投げるの怖いから、って投げないでいい理由にはならないわけですね。


楽しいと思ったこと、深く味わってみたいと思ったことは、続ける。

新しく取り入れたもの、から何を感じたか


行動の範囲のキャパシティには、制限があるわけだから、

これは、今日やって、それは、明日やってとか、

振り分けるか、あるいは、集中的にやるほうがいいわけなので、

やらない、と決めるとか、が必要なわけですね。


確かにそは大事な要素だが、

それが、人生を狭くしてしまっているわけですね。


安全とか安心とか、どうやったら手に入るのでしょうか

その正体って何でしょうか。


ずばり、信用信頼、ではないでしょうか。


自分の力が弱い、自分に自信がない、から、

なんでもかんでも、怖くなってしまう。


なんで、怖いのでしょうか。

知らないからですよね。

知らないし、やらないからですよね。


最初から、うまい、人なんていないという事実を無視するからですよね。

誰でも、最初は、ド素人なわけです。


でも、なぜ、人によって、

それが、プロになったり、なれなかったりと

わかれるのかというと、続けないから、ですよね。


なんのプロか、味がある、とはどういうことか。

結局、独自性を追求すること、なんですよね。


ニッチな、とか、ブルーオーシャンな、とか=独自性=ブランド、ですよね。


そうです。独自性を簡単に最終的に捨ててしまう、から、うまくいかない。



ですが、それと同時に気をつけないといけないことは、


何もかもが簡単にできるようになってしまったので、


価値が見えづらくなってしまった、ということが言えるわけですね。


価値が何かは、自分の体験からでしか、捉えることはできないのです。


なので、自分が何をしていたら、一番心躍るか、感動するか、

その本当の気持ちに気づくために、気持ちを磨いていくべきなのです。



小さなことから、コツコツと。

逆にいうと、コツコツが、普通。


足し算で考えられる人は、努力を続ける。

努力とは、新しい何かに出会い、それを迎え入れることを止めないこと。