フェイク(偽)ニュースが発信される現場の映像を見たことがあります。マケドニア共和国やジョージア(旧グルジア)の若者たちが、広告収入を得るためにこぞってフェイク(偽)ニュースサイトを作り、発信していました。
 その時は、(自分が気をつけよう!) (自分が見なければいい) と、自分自身の問題だと考えていました。
 しかし、スラブ主義、西欧に反発し、ロシアを中心とした民族の農業共同体を知るにつれ、情報のソース(出どころ)に関心を持つようになりました。
 かつて、オスマン帝国の再興を目指したIS イスラム国がクルド人により、イラク、シリアから追放され、かつての権勢を失い、脅威ではなくなっています。国同士の戦い、それぞれの政府の関係性だと思っていました。
 大学時代に、ハンガリーから亡命し、スペイン国籍の神父さんから、マルクス主義、社会主義の実情を聞いたことがあります。『4ヶ月、3週と2日』の映画は、衝撃的でした。

 英国のオックスフォード辞書は、「2016年の言葉」に、「ポスト真実」(post-truth)を選びました。この「ポスト真実」の、ポストは、「~の後」「脱~」を表すので、「真実後」「脱真実」と訳されます。
 ドナルド・トランプ氏は、「この世界には事実などない」「オピニオンさえあればよい」と言い放ち、ツイッターで過激な考えを発信し続け、多くの人々から支持されました。が、後に大統領を辞すると、ツイッターのアカウントは凍結されました。
 そうした動向を助長したのが、フェイク(偽)ニュースの拡散もあると言われています。
 両大統領候補陣営ではお互いをののしる言葉の攻撃はおなじみですが、
フェイク(偽)ニュースサイトが誕生し、アクセスしたページの総数、PV数を稼げたのは、皮肉にもトランプ候補のフェイク(偽)ニュースを流し続けた国外のサイトだったのです。彼らにしてみれば、トランプ支持者に有利になるようにそうしたのではなく、それは半ばジョークだったということです。しかし、それを事実だと受けとめたトランプ支持者のツイッターやSNS(エスエヌエス ソーシャルネットワークサービス)によって拡散された結果、トランプ候補を後押しする力となったというのです。
 自身の勝利に一役買ったフェイクニュースの弊害を軽んじたのも、侮ったのも、逆に利用しようとしたのも、それが理由なのかもしれません。
「変な人。アメリカは救いがたい…」なんて、話していましたが、大統領がバイデン氏になると、まったく別のアメリカになったかのようです。
トランプ氏の指さしと劇場型パフォーマンス、高圧的で一方的、批判、非難のオンパレードは、一新され、アグレッシプさよりも知的で落ち着いたイメージとなっています。

 今日(こんにち)のインターネット社会は、結果的にその信念や思想でつながる人々の広がりを強力にサポートしています。そして、レコメンド機能、「こちらの商品はいかがですか?」のようなサイトのおすすめの表示。
 異なる意見や他の見解を持つ人々の存在を、自分の世界から簡単に排除できてしまうのです。自分と同じ意見を持ち、同じ世界を見ている人たちだけでつながることが実に容易に可能になっているのです。
 自分が信奉(しんぽう)する生き方や考え方が何の修正も受けることなく、何の練磨も経ることなく、強固な信念になってしまう。
 多種多様な人々と異なる意見や主張が混在しながら全体が1つであろうとする「社会」は分断され、そして、信頼するに値しない考え方や主張が淘汰されてゆく仕組みを失ってしまったかのようです。

 

著作権フリー

 

 情報をバランスよくとる。いろいろな体験をすること、いろいろなことを聴くこと。様々なジャンルの情報に万遍なく触れる。
 わが家では、一時期、仕事柄、何紙もの購読をし、読み比べをしていたことがあります。
 海外では、テレビと新聞は違う会社だから、それぞれ違うことを言うが、日本では新聞社とテレビ局が同じ会社だということを聞いたことがあります。

 もともとインターネットには真実ではない情報が跋扈(ばっこ)しやすいという問題点が指摘されていました。
 ところが、多くの人々は、メディアに正確な情報を求めるわけではなく、自分が望むものであれば、事実であるかどうかは関係ない。人々の意志決定には必ずしも事実かどうかの検証は必要でないことも明らかになったことが指摘されていました。
 つまり、見たいものを見て、見たくないものには目を閉じてしまう…。見えていても見ず、見えなくても見てしまうことだということです。
 事実や真実であることの重要性が大きく後退してしまう。それが「ポスト真実」の意味するところでした。

 だが、新型コロナウィルス感染拡大に、エセ専門家、製薬会社から報酬=製薬マネーを受けとっている評論家、コメンターに厳しい目が向けられています。医師でも、専門が違うとうかつなことは言えない。
 きちんとした感染症科の医師の意見が聞きたい、感染を防ぐための有効打、治療や薬の正確な情報を知りたいという人が増えています。

 かつて、今も宗教がドクマ(独断的な説)となって、過激な行動を生み出したり、憎しみや怒りを増幅し、争いを誘発してしまったりすることもあります。
 信仰に対して、慎重に接しなければならない。
 その信仰によって、私たちはいったいどこに向かうのか。私たちは本当の意味で自由に近づくのか。それを見極めなければなりません。
許しと愛、心の穏やかさ、忍耐、寛容さを失い、独断と偏見に深く染まってしまうなら、そのような信仰は危険なものでしかありません。
 しかし、信念をもたらすのは、宗教の専売特許ではない。
「お金以上に大切なものはない」
「医者にならなければ意味はない」
「東大に入れば人生安泰」
「SNSで『いいね』をたくさんもらうことが幸せ」
という信念もあります。
宗教とは無縁な人たちの中に、信仰以上に行動に大きな影響を与える、人生を大きく左右する強固な信念、思想、価値観が存在していることもあります。

 


著作権フリー

 

 そして、個人の行動、生き方のみならず、世界にも光と闇を際立たせる、影響を与える価値観、信念もあります。