インフォームド・コンセント | 神経芽腫の娘のこと

神経芽腫の娘のこと

2017年12月3歳9ヶ月、小児がん神経芽腫と診断され、再発を繰り返しながらも懸命に生きた証、治療や娘との大切な時間をどう過ごしたか、それからの事、子どもを亡くした母親の気持ちを綴っています。2023年2月14日永眠。アメンバー申請の際は自己紹介メッセージをお願いします


2022年12月


病院も翌日から年末年始のお休みに入ろうとしていたこの日、



予定になかったICが急遽入って、少し落ち込んでいました。



ICは、大阪の病院の主治医、看護師さん、ケースワーカーさん、私の4人で。



あぁー。これは、嫌な感じの話なんだな。



まぁ、この状況で、良い話なんて無いよね。と、思いながら、



重い足取りで部屋に向かいました。



嫌な空気なんですよね、このICの場は。



何度経験しても胸騒ぎがします。



早速、主治医から、その日の採血結果と、



今後の事を尋ねられました。



いつまで治療を続けるか。



また、治療するなら、どこでするのか。まだ名古屋へ通うのか。



という話から。



いつまで治療を続けるのか。



出ました。この質問。



前にも名大病院の担当医に尋ねられ、返事をしないまま帰ってきたから、



それの再確認だな。と、思いました。



この日の採血結果では、ケモが終わって一週間経ったタイミングでもあったからか、



爆上がりしていたLDも三分の一近く下がっており、



と言っても、元が高過ぎて、下がっても高いのですが、



痛がっていた場所の痛みは治り、



少なからず、ケモが効いていると私は思いたくて、



ギリギリのところだけど、娘の身体が許す限り、続けたい。



と、伝えました。



何故なら、2月の息子のお誕生日、



3月の娘のお誕生日をお祝いしたい。



それまでは。それを目標にというか。



まだ少しでも命を繋げられる可能性があるなら、



治療を辞めたくないんです。



と、気持ちを伝えました。



治療をしたからといって、お誕生日を迎えられるかわかりませんが、



治療を辞めてしまえば、すぐに勢いをつけてくるのはわかってます。



9歳のお誕生日は迎えたい。



そんな、切な過ぎる願いや想いを自分で話していると、



なんだか悲しさと悔しさが込み上げてきて、



ずっと我慢していた涙がぼろぼろ出てきました。



ICでは泣かない。と決めていたけど、



ちょっと無理でした。



ここ数日で色んな事があり過ぎて、



出来なくなってしまった事が増えてしまい、



24時間、気を張り続けて、寝る間もなく、精神的にも肉体的にも、



いっぱいいっぱいになっていたのかもしれません。



大切な我が子の為だから。



娘の方が何倍も何百倍も、痛くて辛い思いをしているのに、



私なんかが弱音を吐いていてどうする。



と、奮い立たせていました。



主治医も看護師さんもケースワーカーさんも、



私の思いに、「うんうん。」と、頷いてくれていました。



そしたら、治療はどこでするか?



娘は、治療は名大病院をずっと希望しています。



何故なら、



環境や、信頼している医師、安心できる看護師さん、大好きな院内学級の先生がいる名大病院が好きだから。



長年、築き上げてきた、信頼関係がそこにはあって。



そこは、娘の第二の生活の場所でもあります。



娘も私にとって、安心できる場所の一つなのです。



受け持ちの看護師さんからも、



次のお誕生日も私もまた一緒にお祝いしたいです。



と、嬉しい言葉を言ってもらいました。



しかし、ICに立ち会ってもらった看護師さんから、



遠いと、何かあった時に帰れなくなる可能性もある。



それは、急変した時や、ICUに入ってしまった場合など、



移動が出来なくなってしまった状態になってしまった時、帰れなくなる。



それに、家族がすぐに駆けつけれない。



と、言われました。



それは、わかっています。



名大病院は、北海道から九州、全国からたくさん患者さんが集まっている病院ですから、



地元が離れていて、治療が難しくなってしまった子は、同じような事を言われていました。



『移動できるうちに、地元に戻った方がいい。』と。



わかっています。



しかし、娘の気持ちは、治療をするなら名大病院がいい。



きっと、大阪の病院でなら、治療しない。というだろう。



そんな娘の想いを、尊重してあげたい。



小学生になって、色々考えられる年齢になってからは、娘の気持ちを第一に決めてきました。



何でこの期に及んで、娘は我慢しないといけないのか。



好きな場所で、安心できる場所で、じゃダメなのか。



最悪、入院中に急変した場合、



娘の大好きな人たちがたくさんいる名大病院で、



そんな人達に見守られながら、



最期を迎えてもいい。とも、思っています。



決して大阪の病院が悪い。という訳ではありません。



昔はお世話になっていたといえ、病棟の看護師さんもガラッと変わっていて、



私自身も相談できる看護師さんや付き添いのお母さんがいない環境で、



また一から関係を築き上げないといけない所へ戻って、



このデリケートな時期を過ごす方が、



私はしんどい。と、思いました。



頼れる緩和ケアの先生がいないのも私の中では大きく、



物理的な問題は何とか方法があるんじゃないか。



名古屋から大阪なら、車で2時間。めちゃくちゃ遠い訳ではないんじゃないか。



お金がかかってもいいから、ドクターカーを使わせてもらったり、



何か方法があるんじゃないか。



気持ち的な問題を解決するのは、なかなか難しいです。



親子で望む、安らげる場所で治療を受けたい。



看護師さんから、



『説明して、説得したら、〇〇ちゃんなら解ってくれるはず。』



と、言われましたが、そんな事が簡単なら、



とっくに大阪の病院に帰っています。


この時から、娘の意思は固いです。



なんだか、モヤモヤしました。



とりあえず、次の治療は、出来たらまだ、名大病院でお願いしたい。



と、伝えました。



気持ちは変わるかもしれませんが。



まずは、娘の身体が、次も治療ができるかどうか。



というのが大事なのですが。



『お母さん、何でも一人で考えて答え出さなくてもいいからね。



みんなでどうするか、一緒に考えていきたいから、



些細な事でも何でも相談してね。



一人で全部抱え込まないで。』



と、言われ、その優しい言葉と、



自分の娘なんだから、まず自分がしっかり考えないと誰が考えてくれるの?



と、色んな想いが込み上げてきて、また涙腺が崩壊し、



もう、ぐちゃぐちゃでした。



どうすべきか。



抗がん剤は続けるのか。続けられる体なのか。



今の娘を見ていると、治療に耐えられるのかという不安はある。



治療をやめた方がいいのか。



もし、続けるなら、どっちの病院でするか。



考える事がたくさんありますが、



娘がどうしたいか。が大切。



その気持ちを一番に尊重してあげたい。