ブロ友T&S・・ときどき味醂の
和歌山ニンニン神社仏閣めぐり編
ラスト~!!
夕方近くなってきて少し曇ってきましたが
なんとか一日、雨も降らずにすみました
とっても楽しかった和歌山の旅
も・・・この神社で最後になりました。。
こちらは
刺田比古神社(さすたひこじんじゃ)
鳥居
社標
神社の図
刺田比古神社は別名:岡の宮と呼ばれているんだって
目の前の駐車場には『岡の宮専用駐車場』と書かれていたので、
別の神社のだと思って止めませんでした(笑)
ここの駐車場だったんだ
Sさんは、事前にチェックする派の様で・・
色々と下調べをする良い子ちゃん{私は全くしないマン
『ここって確か・・・拾い親の何とかって言う所だよね~』
って、、大人な会話をTさんと繰り広げておられました
私はと言えば・・・境内できょろきょろ
性格って出ますよね(爆)
さて、、鳥居をくぐりまず末社が
二社・・・
二例二拍手一礼~
手水舎
このぐらいの時間になると神社ってちょっと寂しい感じの空気に変わりますね~
静かで・・ざわざわ~って木の葉のすれる音が響いて来て・・
いつもは独りぼっちだと、怖くなって早々退散しちゃいます
でも、今回は三人なのでへっちゃらさ
拝殿
あっピンク色の可愛い拝殿
御祭神は
道臣命
大伴佐氐比古命
大伴佐氐比古命
どちらも武神強ーい神様
道臣命は、刺田比古のお子様で東征の時は先鋒を務め
神武天皇即位の際には宮門の警衛を務めた神様で
大伴佐氐比古命は、朝鮮半島に派遣され武功を挙げた道臣命の十世孫なんだって
狛犬さん
岡崎現代型狛犬さん(だったとおもう)
古ーい石燈籠
元禄とかって書いてありますね~
~由緒等~
数々の兵乱により古文書・宝物等を失っているため、古来の祭神は明らかとなっていないが
927年成立の『延喜式』神名帳では紀伊国名草郡に「刺田比古神社」と記載され、式内社に列している。
社道臣命十世孫の大伴佐氐比古命が功により当地「岡の里」を授かり、命の後も代々治めたとする。
その後、二十世孫の大伴武持が当地に住むにあたってこの地に祖神を祀ったのが創祀といい、
里人はそれを「国主ノ神」「大国主神」として祀ったという。
刺田比古神社側では、境内にある「岡の里古墳」という古墳を大伴氏の墓と見るほか
『続日本紀』巻30にある「名草郡片岡里」から出た大伴部の記載から、
当地と大伴氏との関係の深さを指摘している。
by、ウィキペディア
拝殿横のお社~ず
吉宗ゆかりの神社で、神馬は吉宗の愛馬
他、この刺田比古神社の裏には
大きな古墳が有るそうです。。
御朱印を頂いた後、皆できょろきょろと散策していると
神主さんが現れ、素敵なハスキーボイスで色々と教えて下さいました
この地域の地名の由来とか・・色々
感謝感謝
そして・・・
御朱印を頂いた時に、参拝記念のプレゼントまで頂いちゃいました
中を見ると・・種銭みたい小さな大黒様とえべっさん
夕方の、そろそろ閉門の頃に伺ったのに親切に対応して頂いて
有難うございました
大切にお財布に入れました
御朱印はコチラ↓↓
これで今回の和歌山の旅は終了です。。
スゲー楽しかった
スーパーガイドを引き受けて下さったTさん
そして・・久しぶりの遠出に本当は緊張していたのに
ちゃんと目的地まで連れて行って下さったSさんに
感謝感謝です
数日後から、一人で電車でプチ遠出を始めましたが
無事、イケてます
これからも御厄介お掛けしますが、宜しくお願いします(笑)
そんな感じで・・・
和歌山編(完)
※ハマったので第二弾もすぐかもしれない
刺田比古神社
住所 和歌山県和歌山市片岡町2丁目9
アクセス