No.7 旧柳澤君江邸:制作2011年12月、銅板24㎝×18㎝

 

   旧柳澤君江邸(世田谷区大原1丁目)へは、京王線の代田橋駅で下車し、環7通りを南下すると徒歩7、8分で到着する。この木造平屋建ての住宅は、伊東安兵衛(1908~72)の設計によって、昭和26(1951)年に建てられた。書家であった柳澤君江(1919~2011)は、生前に財団法人を設立して、土地と建物を寄付するという遺言書を残した。その御陰で、建物は敷地とともに保全され、平成23(2011)年、国の登録文化財となった。

   伊東安兵衛は、昭和7(1932)年、法政大学哲学科を卒業後、独学で建築を習得した。やがて民芸運動に共鳴し、戦後、銀座にある民芸品販売の老舗「たくみ」に勤めながら、数多くの住宅と店舗を設計した。民芸とは民衆的工芸の略語で、大正末・昭和初期に、柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司らによってはじめられ、日常の生活用品はもとより、家具、建具などに美的価値を認めようとする大きな運動となった。

   建設時の施主は君江の姉の千代鈷で、姉妹とも民芸に関心があり、「たくみ」を介して、伊東安兵衛に繋がったのだと推察する。

 建築における民芸の影響について、主として3つの特徴が指摘されている(参照、『民芸運動と建築』、淡交社、2010)。

➀柱、梁、建具などの木部は黒に近い焦げ茶色で塗られ、葦簀(ヨシズ)張りの天井や煤竹(ス  スダケ)、曲梁など民家に範をとり、屋根には厚熨斗(アツノシ)瓦の上に青海波(セイガイハ)、さらに 厚熨斗瓦を重ねるなど富裕な地主階級の民家を彷彿させる。

②照明器具と建具に、卍崩しをはじめ朝鮮の意匠が現れる。

③暖炉を設置し、畳の間にソファを置くという洋風化が図られる。

   旧柳澤邸は切妻造で、棟に3枚の厚熨斗瓦を重ねた上に丸瓦を載せる。妻壁を南に向け、計4段の梁とそれを受ける束による縦横の木組みを露わにし、白漆喰壁とコントラストを付け、前方に庇を張り出させる。伊東はこの種の造りを好み、「信州の民家のスタイル」と呼んだ。因みに、長野県には本棟造(ホンムネヅクリ)と呼ばれる類例の古民家がある(次回に続く)。