『永遠のゼロ』とは | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 DVDで『永遠のゼロ』を見ました。それほど醒めた気分で見終わることはなく、一所懸命生ききることの大事さ、ということは一つテーマにあるのだな、と感じました。

 無駄になった死と生き残った者の生。特攻作戦とはまさに、戦争のむごたらしさ、無意味さ、恐ろしさ、狂気の集約のようなものだと思います。若くて、真面目で、将来有望な、若者の命がたくさん無駄になったのでしょう。

 徹底して「敵」は出てきません。出てきても、それは「客体」としての描写です。ある意味、「敵」という概念は「客体」であって成り立つのかも、と思いました。
 人格ある、心ある主体的存在としての敵兵士など「敵」とは描けないのでしょう。

 戦争自体はやむを得ないこと、やるしかないこと、あるいは、天災のように起こってしまったこと、という大前提になっているように感じました。特攻作戦の無意味さを端々に出しながら、結局は、特攻隊として零戦に乗るという選択しか出来ない兵隊たち・・・。

 しかし、この大前提になっている戦争をしなければならない理由、それこそが私たちにとっては永遠のゼロではないでしょうか。
 あの戦争・・・・真珠湾攻撃も、ミッドウェイ海戦も、すべて、帝国主義戦争であり、1%の利害に「其々の」国の人々が動員された戦争です。アメリカにもドイツにも兵士の個人と家族の物語があったはず。

 敵、という概念の設定は、それを無視すること、見えなくすることだと思います。それを見えなくしてナショナリズムで戦争に、特攻に「動員」する仕組み・・・それこそが憎むべきでしょう。

 特攻隊が死ぬことの意味・・・そんなものはない、ゼロです。無駄死にです。それを言ってはいけない空気・・・生きたいと言ってはいけない時代・・・だとしたら、それはオカしい。