怒れる小さな茶色い犬-120612a

今や写真もデジタルな時代で
それこそ親が撮る写真の数は数千枚とか、、
多いと何万…なんてこともあるんだろうな。
まぁそれはそれとして、いずれも数の多さは問題ではなく、
例え100枚に満たない写真だからって相応に愛しいもので、
いや逆に少ないからこそ生まれる愛着があるのも事実。
加えてセンスというのは機能に全くリンクしない…
あ、それは記事とは全く関係ないけど、、。

気付けば一人前?の大人どころか、
あれ?あれ?随分と歳を取ったもんだなぁ。
だからって全く実感がないのはどうしてだろうか?
いや確かに体力の衰えは多少感じるけどね。
白いものも随分と増えたし…同期の彼らだって、、
脂っこいのも続けては厳しい感じだ(笑)
そう、"物理的"な衰えはやはり否めない。
ただ反比例してしかるべく大人な"精神"にはまだほど遠いような…
どちらかというと与えられて育った世代のあたしらは、
自ら生み出す事なんて何もできず、
故に精神的な成長はなかなか難しいのかもしれない。
でもだからって残された時間を"正しく"は
生きたいと思ってみたりするのです。

~偉くなくとも正しく生きる(故エンペラー吉田)~

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