私がアオちゃん(毎度トップ画像にしている猫)を飼うもっと前、自分の手で育てたさくら(仮名)という犬のチワワがいました。

 飼い出したきっかけは、アオちゃんの時と同じ。アニマルセラピーのためでした。

 高校受験の冬、お正月前から不正出血が3ヶ月続き、冬季講習に行こうとしたある日に大量出血と強烈な痛みで病院に行くことになりました。

 そこで病院を何件も回っても原因がわからず、男性医師からは今も忘れられない「そんな痛みぐらい我慢できるでしょ」の一言。そして中学生で未経験の私に容赦なく内診。ピル処方の治療で吐き気が止まらず。病院に入るだけで涙が出るようになって、通院をやめ、残っていたピルは飲み続けたものの副作用でどうしても授業に耐えられず、受験のタイミングで2ヶ月近く、半ば保健室で過ごすようになってました。

 出血や痛みが酷いのもピルでは改善されずで、いつも夜用でなければならない有様。

 そんな中、不安を抱えつつ、何とか試験を受けて合格。かなり偏差値の低い高校になってしまいましたが、高望みしていた高校をムリして受験して合格していたら大学(推薦)に行けていなかったので満足しています。

 そこで両親から、合格祝いにと、前々から飼いたいと思っていたチワワを与えられました。ちなみに、実家はほとんど絶えず犬猫やら亀やら生き物を飼い続けるような家だったので、私も産まれた時には捨て犬の雑種の大型犬に、ペルシャ猫、雑種の三匹の猫に囲まれて育ち、物心ついた時には大型犬とペルシャ猫しかいなかったのですが、それぞれ私が小学生の時に亡くなって以来、犬猫は飼っていませんでした。

 ペルシャ猫のブリーダーもやっていた関係で知り合いの獣医さんの伝で激安価格で飼うことになったさくらは、まだ産まれて1ヶ月しか経っていませんでした。

 学校を卒業してすぐに与えられたので、春休み中はヨチヨチ歩きのさくらを四六時中見守るような生活を送っていました。犬と同じベッドはよくないと言いますが、当時はそんな知識なかったので、自室にあったソファベッドにさくらと一緒に寝ていました。


 するとマジでアニマルセラピー効果なのか、不正出血や過多月経などの月経困難症はまだあるものの、かなり症状が和らぎ、普通に登校できるようになりました。さくらのお陰だと思っています。


 そんなさくらとは中学の春休みから高校卒業までの3年間を共に過ごし、大学生活を一人暮らしで送ることになった私は泣く泣く立派に成長したさくらとおさらばしました。


 長期休暇に入ったら実家で過ごし、大学生活の間に人間の食べ物を平然とあげるようになっていた両親に怒ったこともありました。


 そして就職で飛行機の距離になる場所で働くことになり、やっぱりさくらは飛行機の便に乗ったり、一人暮らしで働く私の手元では育てられないだろうとの両親の判断で泣く泣くおさらば。


 実家は嫌いですが、さくらに会いたいがために帰郷することもありました。


 そうして夫と結婚した際、引き取りも考えたのですが、ボケ防止にと祖母の家で育てられるようになっていたさくらを無理矢理飛行機に乗せて来させることもできず、結局たまに会うだけになってしまいました。


 そんなさくらはコロナ発生年に老衰で亡くなり、訃報を受けた時はかなり落ち込みました。


 ですがあまり現実味がなく、特に泣くことはなかったのですが、先日、両親から「本当は直接飛行機に乗って手渡ししたかったけど、情勢が変わらないから送る」とのことで、さくらの遺骨が送られてきました。


 それまで「遺骨がやっと届くか」程度にしか思っていなかったのですが、いざ段ボールの中に入っていたさくらの骨壷を見た瞬間に涙が溢れ出てしまい、骨壷を開けてバラバラになった小さな骨を見て暫く号泣。付属されていた尻尾の毛を見つけて更に号泣。自分でもまともに過ごしたのは3年間なのに、ペットの死でこんなにも泣くものかと驚きました。


 その後は泣き疲れて寝るというお子ちゃまみたいなことをしていました。発作で泣くことはあっても、ここまで泣かないので、泣くって結果疲れるものなのだなと思いました。


 ちなみに祖母はさくらが亡くなってから急激にボケが酷くなったので、やはりボケ防止になっていたようです。


 さくらは躾に失敗して、たまに粗相はするし、来客には手厳しいところがあって吠え癖もありました。ですが、夫が実家や祖母の家で会う時には、加齢のけいかもしれませんが、全く吠えずに受け入れていました。


 私のことはいつも忘れずに、二、三年帰らない時があってもちゃんと覚えていて尻尾が取れるくらい振って歓迎してくれていました。やはり育ての親というのは強いのか、家族の誰よりも愛されており、家族がいても真っ先に私のところに来ていました。


 私の性格が移ってしまったのか、インドア派で、チワワはたいした散歩は必要ないとは言うものの、たまに外に散歩に連れ出してもすぐに帰ろうとし、帰路に向けて小さい身体を踏ん張って何とか私を家まで誘導しようとする始末。実家の敷地まで来てリードを外すと自ら玄関に入っていくある意味賢いところがありました。


 私の実家は広い庭があるので、そこでリードを外して遊ぶこともありました。芝生みたいな柔らかい土の上はわりと好きだったのかも知れません。


 ロングコートでしたが、抜け毛が少なく、当時はよくブラッシングしてやれていたので、アオちゃんとは違ってさくらは抜け毛で悩まされることなく、3年間と大学の長期休暇など、私が実家にいるときはいつも一緒に寝ていました。布団をめくったら自ら飛び乗ってきて、いつも私の脇のあたりで寝ていたところが愛おしかったです。


 自分で飼いたいと決めて飼ったさくらでしたが、進路の関係で無責任な形で置いていくことになったのに、年老いても、いつまでも私が来ると喜んでくれる忠誠心と愛情深さに嬉しかったものです。


 当時学校にもまともに通えなくなるほど悩まされた月経困難症を解消してくれたことに感謝しつつ、線香を焚く日々を送りたいと思いました。合掌。