「交換法則が成り立つかけ算」と「成り立たないかけ算」(その2) | メタメタの日

(つづき)

話がちょっと横にそれた。元に戻すと,かけ算が「被乗数×乗数」,つまり,「モノ(コンテンツ)×ハタラキ(オペレータ)」だったとき,交換法則とは,

被乗数(3)×乗数(4)=被乗数(4)×乗数(3)

であって,「被乗数×乗数」の順序は守られていた。

 遠山が,かけ算を「累加」や「倍」で導入することを批判したとき,乗数は,累加の回数や,倍という割合だった。「操作」や「関係概念」というハタラキは,子どもには理解しにくい,と遠山は批判して,乗数を実体(量)として目に見えるモノにした。それまでは,3×412とは,たとえば1枚のお皿に3個のモノを「4回乗せた」ときのモノの総数ということだったが,これを3個ずつ「4枚のお皿」にあるモノの総数とした。つまり,乗数を目に見えるお皿などのモノの数に変えた。

 現在の教科書では,乗数としては,(ミカンなどの乗った)お皿の数や,(子どもの乗った遊園地の)車の数など,モノの数量が採用されている。被乗数には「1つ分の数」ということばを使い,「1あたり量」という数教協の用語こそ使っていないが,かけ算の式は,「モノの数×モノの数」になっていて,決して,「モノの数×ハタラキの数」ではない。数教協の主張を換骨奪胎したようにみえる。

 文部省は,1986年に『小学校算数指導資料 数と計算の指導』を刊行した。これは,1961年の『数と計算の指導Ⅰ』,1963年の『数と計算の指導Ⅱ』を「全面的に見直し,再構成したものである」(まえがき)。その177頁,「指導事例」にこうある。

「乗法の意味の導入に,「1つ分の大きさがどれもおなじ大きさの2で,その26ばいのことを2×6と書く」の扱い方と,「1つ分の大きさがどれもおなじ大きさの2で,その26つぶんのことを2×6と書く」の扱い方が考えられる。すなわち,「倍」のことばを乗法導入前に指導しておいてここで用いる扱い方とそうでない場合があるが本時の扱いは後者の展開にしている。」

 つまり,和田義信が中心になって進めていた,かけ算を「倍」として導入する扱い方を全面的に見直したと宣言している。

 文部省がこう宣言した80年代半ば以降,現在の教科書のかけ算の理解は,「量」という用語こそ使っていないが,「量×量」です。となると,かけ算の式の順序の議論はどうなるのか。

かけ算の式の順序の議論は,「被乗数(モノ)×乗数(ハタラキ)」として教えられていた60年代,70年代にもあった。「6人の子どもに4個ずつミカンをくばる問題」の「正解」は,「4(個,モノ)×6(人分,倍というハタラキ)」だった。遠山の批判は,トランプ配りなら,「6(個,モノ)×4(回というハタラキ)」という式も成り立つ,ということだった。この時代には,「6(人分,倍というハタラキ)×4(個,モノ)」でも,同一事象を表しているから良いではないか,という批判は存在しなかったようだ。

 モノとハタラキは種類が違い,モノに対してハタラキがあると考えれば,モノ・ハタラキという順序が「当然」という理解だったのだろうか。

 しかし,「量×量」,「モノ×モノ」として導入される現在ではどうなのか。4個ずつミカンが乗った6枚のお皿という事象で,4個のミカンというモノと6枚のお皿というモノのどちらを先に認識するかはケースバイケースだろう。6人の子どもと4個のミカンであっても,子どもの数は「6人分」というハタラキから,「6人」というモノの量となっている。6人と4個は,ともに量として認識するようになっている。

 田中博史さんは,交換法則が成り立つのは「抽象的な数になり2つの数が対等になったとき」というが,モノとモノとして,量と量として対等になっているのではないか。銀林浩さんは,量と量でも量の性格が違うというが,量であるということでは同じである。少なくとも,乗数はオペレータではなく,コンテンツとなっている。それが遠山の意図したところだった。

 (3)(×4) ではなく,(3)×(4) となった。「×」記号の後の乗数は「ハタラキ」から「モノ」に変わった。

 「被乗数(モノ)×乗数(ハタラキ)」の順序で教えていたときは,被乗数と乗数の交換法則もすぐ教えていたし,英語圏では「被乗数×乗数」の順序と解していた数式を,20世紀のいつ頃からか,「乗数×被乗数」の順序と解することの方が主流となった。日本では,遠山率いる数教協が,「1あたり量(モノ)×いくら分の量(モノ)」としてかけ算を教える(導入する)ことを提起し,80年代からは,教科書も,「1つ分の数(モノ)×いくつ分(モノ)」として教える(導入する)ようになった。しかし,教科書は,「被乗数×乗数」の交換法則は明記しているが,「1つ分の数×いくつ分」の交換法則は明記していないばかりか,解説書では,あからさまにこの交換法則を否定している。

 同じ事象を,「1つ分の数×いくつ分」の順序で書こうが,「いくつ分×1つ分の数」の順序で書こうが構わないではないか,という良識が通用しない量式に数学的あるいは教育的根拠があるのだろうか。(つづく)