江戸時代の比の感覚 | メタメタの日

 「比」と「比例」は、似ているようで、本質的に違うものだということに、ようやく気が付いた。

 比と比例は、小学校の教科書では連続して扱われるが、その順番は、比が先で比例が後である。

 私は、塾で小学生に教えていたとき、先に比例を教えてから、後で比を教える方が自然ではないかと思った。比が成り立つ、つまり比例式が書けるということを確認するためにも、比例を先に教えておくべきではないか。二つの量が比例するときに、比例式が書ける、つまり比が成り立つのだ、と。

しかし、文部科学省の指導要領も、それに倣った学校の教科書も塾の問題集も、比が先で比例が後になっていた。それは、戦前からそうであり、遠山啓氏や数教協は、50年以上前から、この順番を批判してきている。私が、20年以上前に数教協に惹かれた最初の理由は、このことだった。

 それから20年以上経つが、相変わらず、学校の教科書は、比が先で比例が後であるのが気にかかっていた。これで良しとし、この方が自然だと思う感覚は、いったい何なんだろうとずっと不思議だったが、最近、ようやく分かってきた。

 つまり、比は、数(自然数)の対応、つまり、数の関係だが、比例は連続量の関係なのだ。だから、算数で量の考えをとらない(意識的にとらないのではなく、無意識的にそういう問題意識がない)人にとっては、数の対応関係の「比」が第一次的なものであり、関数の考えの萌芽である「比例」は、第二次的なものになるのだろう。

「自然数の対応関係」と「連続量の対応関係」とでは、どこが違うかというと、ゼロのときを考えるかどうかだ。2:4=3:6という比では、0:0は考えない。y=2χという比例では、0=2×0の場合は考える、というか、きちんと確認する。

江戸時代には関数(比例)や連続量の考えがなかったが、その理由の一つに、ゼロの概念が未成熟だったことが挙げられる。

 江戸時代には、比例はなかったが、比はあった。

江戸時代にあった比はどんなものかというと、布○尺が銀□匁のとき、布●尺は銀何匁になるか、というような比例式になる問題である。もちろん、比例式という式表現はないし、「比」や「比例」という言葉もない。

この問題の解き方は、何=□×●÷○と計算しています。○:□=●:何という比例式で、内項の積=外項の積から解く方法と同じになっています。

 つまり、布の数と銀の数の対応関係が「比」ということになりますが、この数の対応が「比例関係」であることの確認はしていません。江戸時代の人には、片方が増えるともう片方が増える場合には、○:□=●:■という、比が成り立つことは「自明のこと」だったのでしょう。決して自明でない場合も、比の関係にならない場合もあるにも関わらず。

 たとえば、次のように考えています。

 ○丈の道に人が□人いるとき、●丈の道には■人いる。○:□=●:■とやっています。

 原文は、こうです。仮令(たとへは)惣尺数(そうしゃくかす)二十六丈 (そう)人数(ひとかす)六百二十人のつもりにして尺数七丈八尺の人数百八十六人ニ成」(今村知商『因気算歌』1640年)。

比例式で書くと、260:620=78:186で、この数値の比例式自体は正しい。しかし、道に人が並んでいる場合なのに、まったく植木算的発想はありません。人のいる地点が長さの起点になっていないのです。道の長さという「数」と人の「数」との間に、数と数の対応が成り立つ(比例する)ことを夢にも疑っていない、というのが江戸時代の先入観のようです。

 つまり、一方の数が増え、他方の数も増える場合は、江戸時代では、その「比」は同じと考えてしまうのが自然だったらしい。それを知れば、井原西鶴の次の話に江戸時代の人が感心したわけも分かります。『本朝桜陰比事』にある話です。

35歳になる男が15歳の娘と結婚の約束をしたが、娘の親は『男の年齢がせめて娘の年齢の2倍くらいだったら我慢できるが、これは年齢が離れ過ぎている』と奉行所に訴え出た。奉行は、5年後に結婚させれば、男40歳、女20歳で2倍になるではないかと、名裁きをした。」

(数楽者さんのサイトから抜粋。

http://masanori432.ameblo.jp/masanori432/entry-10005060275.html

 江戸時代の人の感覚は、35:15と40:20は同じ「比」ではない、ということに虚を突かれてしまうような「初期設定」だったようですね。