メタメタの日

パンセ


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 1,2,3,・・・
という書き方を初めて見た(知った)のはいつだったのだろう。
気にしているのは,「・・・」のところなのだ。
 現在の小学校の教科書では,「・・・」の書き方は出てこないようだ。
 小2で数直線,小4で億,兆を超えて,「無量大数」まで出てくるが,「・・・」の書き方は出てこない。
 教科書での初出は,中1の「正負の数」の単元のようだ。
 啓林館『数学1』13頁には,
          整    数
……,-3,-2,-1,0,1,2,3,……
    負の整数      正の整数
とあり,「正の整数1,2,3,……を,自然数ともいいます。」とある。
 私の頃も,算数・数学の教科書で,「・・・」が出てくるのは同じ時期だったのかもしれない。

 「1,2,3,……」を,人はどう理解するか。「数(自然数,整数)はどこまでも続いていく」「数に終りは無い」「数は無限にある」等々だろう(この「等々」も「……」と書けるだろう!)。
 「1,2,3,……」の「……」の部分を書こうと思ったら,100もそうだし,99999999もそうだし,999999999999999もそうだろうし,とにかく無限にあって,無限にあるものは書ききれないから,「……」と表わすのだ,と思っていた。
 そして,私は(漠然と)思っていた。自然数の個数が無限にあることを「……」という省略形で書くのだから,どんどん大きくなっていく自然数も「……」という省略形を使って表すのだろうと。つまり,「1,2,3,……」の「……」のところにある数には,68795123……753もあるだろうし,111111111111…………もあるし,9999999999…………もあるだろう。
 「自然数が無限にある」ということは,自然数の個数が無限だということであり,自然数の大きさが無限に大きくなることであり,それは,無限桁の整数で表されるだろう,と思っていた。

 今回,小2の教科書を見直したら,東京書籍4年上10頁に,「同じ数字を何回使ってもよいことにすると,いちばん大きい10けたの整数はいくつですか」という問題があった。もちろん,この答は,「9999999999」だが,その下に「算数のおはなし」というコラムがあって,「兆よりも大きい数があります。千兆の10倍を,「一京」といいます。そして,数はまだまだ続きます。」として,「那由他 不可思議 無量大数」まで記されている。このとき,無量大数より大きい数はないの? と聞かれたら,あるよ,それは,数字を何桁もどんどん書いていけば良いんだよ,でも書ききれないから,その先の桁は,……と書けばいいんだよ,と数ヶ月前の私は答えてしまっていただろう。
 そう答えてはいけないのだ。
(この項は続く。……)
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2,3年前,Eテレの「にほんごであそぼ」で「いちじゅうひゃくせん」という歌が流行った。「一,十,百,千」から「那由他,不可思議,無量大数」までの位取りの名を織り込んだ歌詞は,ことばに関心を持ち始めた年頃に受けたようで,親戚の小1の子から,「むりょうたいすうより大きな数はないの」と聞かれた。あるよ,と答えたが,そのときは,大きな数の呼び名はなくても,数字をどんどん書き連ねていけばどんな大きな数も表せると思っていた。
今回,数字を無限に書き連ねた自然数については,いろいろ不都合が生じることに気づいて,いろいろ調べたり考えているのだが,結論は出ていない。

数字を横に無限に連ねた数字列を自然数とみなすことで生じる不都合は以下のようになる。
(1)数字を無限に連ねた数字列を縦に無限に並べた数字列の集合は,対角線論法によれば非可算無限集合となり,可算無限集合である自然数と矛盾する。(Googleで「無限桁の自然数」で検索すると,同じ疑問に囚われた人の発言がいくつもヒットする。)
(2)無限に数字を並べた数同士の大小を決められない。「‥‥3333」という表記を,Σ記号を使って,初項3,公比10の無限等比級数で表すと発散することがわかる。「‥‥5555」についても同様に発散する。発散して値の定まらない無限級数同士の大小は決められないし,値の定まらないものを数,まして自然数とみなせない(そのように定義する)というのは理屈として分かるが,他方,自然数はどこまでも大きくなるのだから発散することを定義から排除してよいのかという疑問は残る。
(3)‥‥99999という表記を認めると,これに1を加えると,‥‥00000となり,「最大の数(に見えなくもないもの)」の直後が最小の数になってしまう。

 これらの不都合の根本的要因は何なのだろう。
 (2)でいっていることは,自然数は無限に存在するが,自然数の桁数は有限で,数字を無限に連ねる表記は許されない,ということなのだろうか。つまり,(1)でいっていることは,自然数を縦に無限に並べるのはよいが,数字を横に無限に並べる記数法はだめだということか。しかし,有限桁の自然数だけで,無限個の自然数が作れるのだろうか。
小数では一位未満の方向に無限に数字を連ねる無限小数表記は許されているのに,一位より上に数字を無限に連ねる無限整数表記が許されないとしたら,それは何故なのか。上述のような矛盾が生ずるからというのなら,無限整数表記されたものはいったい何なのか。p進数(pは素数)ではそのような表記は許されるようだが,十進法で表記した場合は,その数字の連なりはいったい何と理解すべきなのだろうか。
どうも不都合の根本的要因は,無限の理解に関わってくるようだ。

数(基数の自然数)は,先ず物の多少という量を表すものだった。ところが現実に存在する物は無限に存在するように見えても有限だから,物の数を表している限り,数は有限で事足りた。アルキメデス(紀元前3世紀)は,「砂粒を算えるもの」で,宇宙全体を埋めつくす砂粒の数も無限ではなく,10^63 より少ないことを証明している。その際,大きな数の命名法として,万個の万を億とし,億を第一級の数として第二級の数の単位として億まで算え,億の第二級を第三級の数の単位として億まで算え,・・・と億の第億級まで呼び名を付けて第一期の数とし,第一期の終わりの数を第二期の第一級の単位とし,以下同様にして,億の第億期の第億級の数(10^(8・10^16))まで例示している。(世界の名著「ギリシアの科学」所収)
ギリシアの記数法は位取り記数法ではなかったから,数字を無限桁並べるという発想はなかったし,アルキメデスも,彼の方法(解釈)で数字をどこまでも書き続けていくことは可能のはずだが,「砂粒を算えるもの」では,そのように無限に書き続けることを示唆していない(から,無限まで書き続けた数が自然数か否かも問題にしていない)。

次の論点。
‥‥99999という表記を許すと,‥‥00000という表記を許すことになる不都合は,0を使わない位取り記数法で避けられる。
最近,東京大学の「知の開放」プログラムがネットに存在することを知った。(加藤和也さんの「素数の不思議」の1時間半の講義も聞けた。「素数の海は私たちのふるさとである」と自分でレジメに書いておきながら,「これはいったい何でしょう。私も初耳です,皆さんも初耳でしょう。こういう人にはちょっと付いていけない,まーまー放っておきましょう」という天然ボケツッコミはチョーウケタ。)
斎藤毅さんの「数の体系を創る」も勉強になった。ただ,11分50秒あたりで,「位取りのためには0が必要」とおっしゃっている。私もそう思っていたが,実は0という数字を使わなくても完全な十進法位取り記数はできる。0の代わりに10を表す数字を使えばいいので,仮にこれをJとすると,以下のようになる。
10 → J,11 → 11,19 → 19,
20 → 1J,21 → 21,29 → 29,
30 → 2J,31 → 31,
90 → 8J,91 → 91,99 → 99,
100 → 9J,101 → J1,102 → J2,
110 → JJ,111 → 111,
200 → 19J,201 → 1J1,
210 → 1JJ,211 → 211,
220 → 21J,221 → 221,
300 → 29J,301 → 2J1,
900 → 89J,901 → 8J1,
1000 → 99J,1001 → 9J1,
1010 → 9JJ,1011 → J11,
1100 → J9J,1110 → JJJ,1111 → 1111

つまり,この記数法では,同じ10という大きさを,十位の1と一位のJの2通りで表すことになる。こうすれば0記号がなくても位取り記数は可能なのだが,歴史上どの文明・文化も民族もこのような記数法は生み出さなかったし採用しなかった。(記数法についての網羅的な記載は,ジョルジュ・イフラー『数字の歴史』に詳しいが,このような記数法は報告されていない。)
似た記数法としては,中国の算木で数を表すときの「5」や「50」の大きさの2通りの表記があるぐらいだと思う。
メタメタの日-sangi
              (大矢真一『和算入門』1頁,1987年,日本評論社)

ともあれ,この十進法位取り記数で,無限桁の数を書くと,
‥‥99999 の次は,‥‥9999J,‥‥999J1,‥‥999J2,と続き,
‥‥JJJJJ の次は,‥‥11111,‥‥11112,‥‥11113,と続くことになる。

というように,周辺的な知見は広がったが,肝心な疑問,「自然数は無限に存在するが,無限桁の自然数というものは存在しない(その存在を認めると矛盾が生じる)のか」ということに対する納得のいく答は見えてこない。
しかし,どのような記数法であれ,自然数の無限桁表記では不都合が生じるか,というとそうでもなさそうな記数法があった。
1,2,3,4,5,6,7,・・・・を次のように表記するのである。
|,||,|||,||||,|||||,||||||,|||||||,・・・・
おそらくどの文明でも最初の数表記はこのようなものであったろう。地面や板に刻印したものが線形ではなく楔形もあっただろうが,この表記の基本は,物とマークが一対一対応して,物の数を表していることである。一進法記数法(位取り記数ではないが)と呼んでいいだろう。こんな原初的なマークを果たして数字と呼んでいいのだろうかという疑問はあるし,これが数字と言えるなら,可動する小石を並べたものも「数字」と言えるのだろうか。しかし,2本の線が並んでいて,左の線があの羊,右の線がこの羊を表すのではなく,左右の線が一体となって羊の多寡を表すと認識されたとき,それは紛れもなく「数字」であったろうし,今でも漢数字やローマ数字は,この形を3までは残している。しかし,人間は物が4個を超えると一目では(つまり数を算えずには)その数を識ることが困難になるから,この数字表記は実用的ではなく,4以上を表す数字は別の形になっていく。しかし原理的にはこれも数字であり,この表記で無限の自然数をかくと次のようになるだろう。
||||||||||||・・・・
増減は「|」の加除で表されるが,それぞれの「|」の位置の違いは位の違いを表さず,それぞれの「|」は対等だから,「|」の加除は,どの位置に加えても,どの「|」を除いても構わないだろう。そして「|」の付加を無限に行えることを「・・・・」が示していると解釈すると,このような無限表記は,自然数の集合が可算無限であることと矛盾はしないだろう。

最後に,対角線論法について。
aとbの2文字を,異なる並べ方で左から右に一列に無限に並べた文字列を,上から下に無限行並べた表をつくる。左から右に文字が無限に並び,上から下に文字列が無限に並んでいるが,左上から右下にかけての対角線上に並ぶ文字がaならbを,bならaと逆に取って新しい文字列をつくると,この文字列は表の中に存在しない。無限にある文字列をすべて並べた表のはずなのに,洩れていた文字列があった。しかし,洩れた文字列を追加した表をつくっても,対角線上の文字について同じことをすると,やはり洩れている文字列をつくれる。・・・・
aとbは,異なるものとして分節されたものである(あるいは,世界を分節して,それに付けた名前である)。分節されたものを構成して列をつくる。構成した列を何行も並べて,表という体系をつくる。つまり,世界を分析し然る後に総合して世界を再構成するのだが,再構成された世界から洩れているものがある。分節した結果の元が,a,bと有限であっても,aとbで構成する列の桁数が無限で,かつ,表に並ぶ列が無限である,としても,表から洩れる列が無くならない。洩れた列は,分節する前の元の世界にもともとあったものかどうかもわからないが,分析(分節)―総合という分別智(デジタル思考)では,世界を掬い取れなかったことが分かる。それは世界が無限で,無限がアナログだから,世界を掬い取る(掬い取ることがニーズとしてあるとして)方法もアナログでなければならないということだろうか。ノン! デジタル思考では世界を掬い取れないのではなく,デジタル思考は世界に付与する新しいものを常に産み出す! とポジティブ・シンキングで捉えるべきところなのかもしれない。しかし,新しい列の産出方法は,逆を取るというマンネリズムだが。


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