メタメタの日

パンセ


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 金太郎飴はどこで切っても金太郎の顔が出てくる。では、「2つの切断面の金太郎の顔は全く同じなのか?」?
 こう改めて問われると、一瞬途惑う。(そして長く悩む人と、ハナからバカにする人とに分かれるようだ。)
 「切断面」とは何か、「面」とは何か。「顔が全く同じ」とはどういうことか、「顔の何が同じ」だというのか。どこまで厳密に問われ、どこまで厳密に答えるべきなのか・・・
 金太郎飴全体を円柱と考え、金太郎の絵の部分も円柱の中の小さな円柱と考えよう。(円柱といっても数学の世界の円柱ではなく、現実の世界に実在する円柱形という意味です。)

1

 円柱を横から見た断面図は下の左図のようになる。真ん中の横線が切り口で、切り口で切断して上下に分けたところを横から見た図が右である。
 

金太郎飴は糖分でできていて、糖分の分子は、切断によってはそれより小さい部分に分割されず、切断面に分子が並んでいる状態は、下のようであったとしよう。

3
 上の左図が切断面を横から見た図、右図の上が上の円柱の切断面を下から見た図、右図の下が下の円柱の切断面を上から見た図である。



 2つの切断面の絵の部分(●の部分)は同じになるが、「絵が同じ」(厳密にいうと「線対称」だが)ということは、切断面の分子の配置(●の配置)が同じということであって、上の切断面に並んでいる分子と下の切断面に並んでいる分子が同じ分子ということではない。(同一の物が同時に異なる場所に存在することがないというアリバイが成り立つのが現実世界の法則であるから。)
 「金太郎飴の2つの切断面は同じ」とは、物(分子)は違うが、物の並び方(形)が同じということである―――現実世界の円柱の切断面については、こういう理解でよいだろう。では、円錐の切断面についても、こういう理解が可能だろうか。
 円錐の切断面のパラドクスというのを昔聞いたことがある。

円錐の切り口の2つの面の大きさは同じである。したがって、どこで切っても面の大きさが同じなのだから円錐は円柱である・・・
このパラドクスの元がギリシアのデモクリトスにあることを最近知った。原典は次のようなものであった。
「円錐が底面に平行な面で切られたならば、切り口の(二つの)平面は、等しい大きさとなるのか、それとも等しくないのか。それらが等しくないとするならば、円錐は多くの階段状の切り込みとギザギザとをもって不均一なものとなるだろうし、他方もし大きさが等しければ切り口が等しくなり、等しい円から構成されることによって、円錐は明らかに円柱の状態を被るであろう。しかしこれは不合理である。」(参照したのは、『ソクラテス以前哲学者断片集』第4集、第68章デモクリトス、200頁、岩波書店、とhttp://mimizun.com/log/2ch/philo/1068684318/ 48番発言)

 円錐を底面に平行な面で切ったとき、横から見た断面図は下のようになる。

4

 この円錐が現実世界に実在する物であるならば、円錐状のその物質は分子で構成されているだろうし、円錐の切断の前後における分子の配列は次のようになるだろう。

2

 つまり、円錐の上下2つの切断面の大きさは等しくない。ということは、そもそも実在する円錐は、分子の大きさのレベルで多くの階段状の切り込みとギザギザとをもった不均一なものであったのだ。
 デモクリトスは、古代ギリシアの原子論者だが、先のパラドクスを提出したということは、近代の原子・分子論のようには原子を考えていなかったということだろうか。
 近代の物質観からは、実在物としての円錐については、切断のパラドクスはパラドクスにならない。では、数学世界におけるフィクション(虚構)としての円錐については、切断のパラドクスはパラドクスになるのだろうか。



 幾何学の円錐を、ある高さのところで切って上下に分けるとき、2つの切断面の大きさは等しいだろうし、別の高さのところで切って上下に分けるときも、その2つの切断面の大きさは等しいだろう。しかし、初めの切断面の大きさと別の切断面の大きさは円錐では等しくはない。どこで切っても切断面の大きさが等しいのは円柱であって、切断面の大きさが等しくない円錐が「円柱の状態を被るであろう」ということにはならない。あまりにもあたりまえの話で、数学の世界においても円錐の切断のパラドクスはパラドクスにはならない。
 しかし、次の論点でパラドクスはやはり存在するのではないか。
 幾何学の円錐を切断するとき、1つの切断で生じる2つの切断面は、本当に同じ大きさなのか。幾何学における切断とは、切る前は1つの面だったものが2つの面に分かれるということなのか。1つの「もの」から2つの「もの」が生じるのか。

5

 上の左図で影の円は切断面である。この面を下から見るときも上から見るときも、同じ面が見えているはずである。数学における面は「厚さ」が無いのだから「裏」も「表」も無く、下から見ると「下の面」、上から見ると「上の面」が見えている、ということはないはずである。 
 ‥‥ここで立ち止まらなくてはいけない。数学(幾何学)の対象、円錐や円や面や線などを「見る」、幾何学の対象が「見える」とはどういうことなのか。肉眼で幾何学の対象が見えるのか。いや、肉眼では幾何学の対象は見えないだろう。紙やモニターの上に鉛筆や極小のドットで描かれた円も線分も、古代ギリシアでイデアと呼ばれた幾何学の理念型の影に過ぎず、理念型そのものは「心眼」でしか見えないものだろう。
 心眼で見る「面」には、厚さがなく裏表がない。
 ここで補記すると、メビウスの帯には裏表がない、という言い方をするときがあるが、それは不正確で、幾何学における面は、どんな面でも裏表がないのであって、ただ、その面(を拡張すること)によって空間を2つ(「表」側と「裏」側)に分けることができない面がメビウスの帯ということだろう。
理念の「面」には裏表がない。ということは、面は「厚さ」方向には部分に分かれず、裏と表に分割できないということである。
 再び補記すると、これについては、仏教の『唯識二十論』(世親AD.400480年頃)も触れている。原子の空間的単一性(分割可能か否か)についての議論の中で、
「もし、一つ一つの原子が空間的部分によって分割されえないとすれば、太陽がのぼってきたときに(ものの)一方の側に光があたり、他方の側に影ができるのはどうしてか。というのは、原子には(部分がないのだから)光があたらないようなもう一方の側などあるはずがないのである。」(梶山雄一訳「二十詩篇の唯識論」、『大乗仏典』世界の名著2所収、中央公論社、438頁)とある。
 厚さ方向が部分に分割できなければ、光があたる側(表)とあたらない側(裏)もありえないといっている。この仏教の理解は、ギリシアから現代に至る幾何学の理解と同じだろう。
 幾何学の世界で、円錐を面で切断して上下2つの部分に分離すると、上の右図のようになる。上側の立体(円錐)の底面は元の切断面であり、下側の立体(円錐台)の上底面も元の切断面である。元は1つであった面が切断によって2つになった。つまり、全く同じものが2つできた、ということになる。こういう理解を幾何学(数学)は許すのだろうか。それとも、切断面は上の立体か下の立体のどちらかに属し、切断面が属さない方の立体には立体の端としての面が存在しないと考えるべきなのだろうか。確かにこう考えれば、1つの面から2つの同じ面が生まれたと考えなくてすむ。
 円錐の切断について、「デデキントの切断」の考えを適用すると、後者の考えの方が現代数学の考えのように思える。先に挙げた2チャンネルで「デモクリトスの円錐」の掲示板を立てたT氏は、デモクリトスの切断とデデキントの切断の関係についての疑問を解決したかったようだ。(T氏の疑問は、いまの私の疑問でもある。)
http://mimizun.com/log/2ch/philo/1068684318/ 
 しかし、T氏が何を疑問としているかは理解されず、2チャンネルで回答は得られなかった。また、三浦俊彦さんは『論理サバイバル』(2003年、二見書房)で「デモクリトスのジレンマ」として、円錐の切断の問題を取り上げた(2627頁)が、T氏や私が囚われた疑問に三浦さんは囚われなかったようだ。その一部が次で読める。
 http://blogs.yahoo.co.jp/fktouc18411906/8796081.html
 円錐や円柱に限らず立体を切断したときの切断面の面積を求める問題は、中学の数学だけでなく、私立中学入試の受験算数でも出てくる。しかし、切ってできた2つの立体のうちどちらかの立体の一方にだけ切断面が存在し、他方の立体には切断面が存在しない、などとは考えない。しかし、「デデキントの切断」によって実数を定義する大学の数学では、切断面はどちらか一方の立体にだけ存在すると考えるべきなのだろうか。
 ここで、立体(円錐)の切断面を離れて、「デデキントの切断」そのものに的をしぼろう。「デデキントの切断」については、とりあえず、以下参照。
http://homepage3.nifty.com/rikei-index01/biseki/trap-akiresu.html
http://hooktail.maxwell.jp/kagi/7cb921cf7cb3a204b0d3ce1d39003070.html
  後者の「物理のかぎしっぽ」は、理科系に弱い私はときどき参照させてもらっているサイトだが、この「デデキントの切断」についての記事は査読中ということで困惑していることがわかる。確かに「点」と「連続」の問題は、理系的にスパッと切断できる問題ではない。(続く) 


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直前のアーティクル「物の数、事の数」について書いたようなことを私が考えるきっかけとなった本の一つに、『算数に強くなる おかあさんの算数教室』(1962年、毎日新聞社編)がある。数教協の初期の文献であり、毎日新聞の家庭欄に連載された記事を本にしたもので、1962年の年間ベストセラーのベストテンに入り、水道方式ブームを巻き起こした本である。(私が読んだのはずっと後だが)



その133頁に下の図があり、「これらの絵が何をいいあらわそうとしているのかおわかりでしょうか」と問い、次のような説明がある。







1)が「3という共通した数」を表していることはすぐわかるが、(2)が「左にあるものが右の『3』倍」だとは、「掛け算とは『倍』だと教えられてきたはずのおかあさん方自身」でもまごつくだろう。なぜなら、(1)の3は「実体を持った数」だが、



「『3倍』の3はこのように二つのものの関係をいい表わしたものなのです。『3倍』『4倍』の『倍』という言葉をおとなは平気で使いますが、これは二年生の子供にはなかなか理解されません。むずかしくいえば『倍』は実体概念ではなく関係概念であり、一つの計算上の『操作』だからです。(中略)具体物を通して『3個』の3がわかったばかりの子供に『3倍』の3を教えこむのは、どだいむずかしすぎるのです。」(同書、131頁)



 したがって、数教協は、かけ算を「倍」としてではなく、「量×量」として教えることを主張する。



3つずつミカンが乗ったお皿が4枚あるときのミカンの数、3羽のウサギの耳の数、というように全体の数を求める状況を導入すれば、「13つ×4枚」「12つ×3羽」となり、乗数が無名数の「倍数」ではなく、「4枚」「3羽」という目に見える「量」になり、「量×量」の式になるということです。



 1960年前後からの数教協のこうした主張が6社の教科書すべてに取り入れられるのは、1980年代です。



 それまでは、かけ算は「倍」として導入されていた。かけ算の単元に入る前に「倍」や「何分のいくつ」という日常生活での言い方を確認していた教科書もあった。それが、数教協の軍門に下ると、かけ算は、「1つ分の数×いくつ分」として教えられ、「倍」は、かけ算の単元の最後に付録のように置かれるようになった。



「倍」は、数教協の本来の考えからいえば、小2のかけ算のところではなく、「大体『倍』という概念は高学年になって『比』『比例』をやる直前にはじめて出てくるべきものです」(同書132頁)となる。この数教協における「倍」の位置づけが50年たっても変わっていないことは、先の217日の数教協「春の全国研究集会」の当日のレジメに、「倍はなんとなく使うものではなく、割合の学習(5年)でしっかりと意味づけする必要がある。」(5頁)と書いてあったことでもわかった。



 しかし、一度は数教協の軍門に下った各社の教科書も、2011年から使われている教科書では様変わりして、倍はかけ算の初めに出てくる。つまり、定義、導入こそ「1つ分数×いくつ分」でなされているが、その直後ぐらいに、「いくつ分」を「ばい」ともいう、と教えるようになっている。



算数教科書ウォッチャーとしては、うたた感慨の思いにとらわれる。



  50年代~80年代
 倍はかけ算の最初か直前に出てくる。定義、導入、前提扱いです。



  80年代~2000年代
 倍はかけ算の単元の最後に出てくる。付けたり、おまけ扱いです。



  2010年代~ 
 倍はかけ算の前半に出てくる。定義、導入ではないが、その直後に教える。



 



 私は、50年代にかけ算を教わった口なので、かけ算の順序論争を知ったときには、かけ算は倍だよなーと思った。(よたよたあひるさんの連れ合いも、かけ算は倍だ、と力説したようで、世代的に共有される考えなのだと思う。)その後、数教協の「倍批判」や「1あたり量」の考えを知っていろいろ考えたが、いまは回りまわって、「かけ算は倍のこと」を落とし所の一つにするのが良いと思っている。(累加は整数倍でしか通用しないが、倍は小数倍、分数倍でも通用する。)



数を「物の数」としてだけ教えるのは、算数段階でも無理だと思う。倍を「事の数」としてきちんと教えるべきだと思う(小2のかけ算で「事の数」として教えるのは早いだろうが)。



 『算数に強くなる おかあさんの算数教室』は、「『3個』の3がわかったばかりの子供に『3倍』の3を教えこむのは、どだいむずかしすぎるのです」と記した後に、「(何度もいうとおり頭のいい子は昔からどんな教え方をしてもできたものです。その代わり、これまでの教え方では一段進むたびにワンサと落伍者が現われたことも事実です。水道方式は落伍者を一人も出すまいとする教育です)」と注記している。



 この下りを、日常会話に出てくる2倍、3倍がそんなに難しいのだろうか、2倍、3倍がわかってしまった自分は「頭のいい子」に分類され、そうでない子が同じ世代にいたんだろうか、と疑問に思った。大人になれば(大人でなくても)誰でも2倍、3倍がわかる。倍についてのいまの教科書の教え方は、そんなに悪くないと思える。

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小学生に下の絵を見せて、この絵から見つけられる数は何か、と尋ねるとどんな答が返ってくるだろうか。
 
 左のりんごの集まりから2という数、右のりんごの集まりから6という数を見つけ、それをまとめて8という数を見つけるだろうか。あるいはまず8という数を見つけ、つぎにそれを26に分けるだろうか。



 次に少し考えてから、62の差として4という数を見つけるだろうか。



 あるいは、りんごを1個ずつかぞえて、12345678という数を答えるだろうか。



 子供が小学2年生だったらここまでだろう。



 これが、整数の加減乗除を習い終わった小学4年生だと、さらにしばらく考えてから、6個は2個の3倍だから、3と答えるだろうか。



 そして、26から、たし算で8、引き算で4、わり算で3が出てきたことに気が付いた子供が、かけ算をして12と答えるだろうか。



そのとき、その12は何のこと?と尋ねると、答につまって12を引っ込めるかもしれない。



 しかし、算数をすべて習い終えた小6だったら、2×612は、右のりんごから1個をとり、左のりんごから1個をとって、2個の組をつくるときの組み合わせの数と答える子もいるかもしれない。



 さらには、小数、分数の加減乗除も習ったから、2÷61/3と答える子もいるかもしれない。



 小学生だとここまでだろう。 



 つまり、2684,そして、12345678,そして、3121/3という数が出てくるだろう。



 これらの数をグループ分けすると、



 268412345678,| 31/312



となるだろう。



前グループは、りんごの個数であり、助数詞「個」を付けられる数ということになる。



2個のりんご、6個のりんご、8個、4個、そして1()のりんご、2()3()、・・・7()8()であり、いずれも「物の数」を表している。



しかし、後グループの3は「物の数」ではない。「6個は2個の3倍」というときの比の値3であり、いうならば、物(の数)と物(の数)との関係を表している「事の数」ということになる。



「物」と「事」がどう違うかというと、「物そのもの」と「物と物の関係」ということになるが、それだけではない。



「物の数」の単位1は、この場合りんご1個の1だが、「事の数」の3は、りんご2個を1としたときの数である。また、2個と6個の比の値1/3は、6個を単位1としたときの数である。単位1が、「物の数」と「事の数」とでは違うのだ。



小学校低学年で子供は、「数とは物の数のこと」と言葉で明示的に教えられてはいないが、物の数しか教わってこないから、数とは物の数のことだとバクゼンと思っている。(実際は、「倍」(整数倍、分数倍など)で、物の数ではない数も教わっているが、自覚されることは稀だろうし、教科書も、1つ分、2つ分、3つ分、…を1倍、2倍、3倍、…という、と逃げている。)



そして、小5の「割合」の単元で、明示的には初めて、物の数ではない、物と物の関係の数を教わることになる。そのとき子供は、数についてのそれまでの考えを転換しなければいけないことに自分自身で気がつくか、先生から教わらないと、戸惑いと当惑が生じることになる。小5の壁(昔の受験算数では「小4の壁」といったが)、割合の壁、と言われることになる。割合は割合と難しいのである。



というようなことを、私は数教協の本から教わった(ことを、以上は私なりに翻案したもの)。



※小6の「順列・組合せ」の単元で、りんご2個から1個のとり出し方が2通り、りんご6個から1個のとり出し方が6通りというときの26は、物に対する操作や働きを表す「事の数」ということになる。



 

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 銀林浩さんが「量の体系」が未完に終わっていることを認めていることは、以前のアーティクルでも触れた。http://ameblo.jp/metameta7/entry-11369400781.html


 銀林さんは、 「遠山流分類」として


      度


 内包量<    度的率


      率<


         率的度


を載せた後、


「この分類法はちょっと『乗り過ぎ』ではないかと思った。それは『度/率』の区分そのものが、内包量の表現の違いに過ぎず、量の本質的性格を表しているか? という疑問である」と書き、湿度の例を挙げ、「絶対湿度」は「度」なのに、「相対湿度」は「率」であり、「同じ量が『度』になったり『率』になったりするのでは、まともな量の分類とはいい難い。こうして『量の体系』の精密化と完成が期待されたわけだが、それは1968年頃から遠山さんが都立八王子養護学校に通って、障害児教育にのめり込むようになってからはほとんど放棄され、遂に未完のままになった」と記している。


 


 私の理解では、量の体系は、「物→量→数」という、ヒト(個として、類として)の認識発展の図式の中間に位置し(この図式も数教協で教えられたものだが)、一方の側は「物」に、他方の側は「数」に開かれているのだから、閉じた体系として自己完結するものではないだろう、量の「理論」というならまだしも、量の「体系」というのは、どういうもんだろうか、という疑問があった。


 ただ、銀林さんの書かれた本も含めて、遠山さんや森毅さんの書かれた本を読み、数教協の指導法の集大成ともいうべき『わかる算数指導法事典』(1983年、12千円!)、『わかる数学指導法事典』(1985年、14千円!)を座右に置いて、塾で小中学生に教えていた。


数教協の何に惹かれたかは割愛して(何度も以前に書いたから)、先ず困ったことは、濃度や速度などの内包量は足せない(と短絡的理解をした)というのに、受験算数の旅人算、流水算では、速さを足したり引いたりするではないか、ということだった。


これについては、「合併」で加法が成り立つのが外延量で、成り立たないのが内包量であり、たとえば、時速60kmで走っている自動車と、時速100kmで同じ方向に走っている自動車を固い金属の軸で「合併」しても時速160kmにはならないだろう、という説明を頻見するが、合併ってそういうこと?というナンダカナー感は否めなかった。静水時の時速15㎞の船が、時速3kmの流れの川を下っていくときの速度は時速18kmになるのだから。


遠山は『教師のための数学入門』(1960年、国土社)のなかで、流水算をこう批判している。


「もちろん内包量も加法は可能なのであるが、それは合併による加法とは別の意味の加法なのである。たとえば速度の加法などは相対速度からくる加法と減法であって、合併とは関係ないものである。(中略)流水算は速度という内包量の和や差を問題にしている。(中略)小学校で流水算などをやるのはやめにしたいものである。」(同書150151頁)


 やめにしたい、といっても中学入試問題はやめにしてくれないので、受験塾講師としては教えざるをえなかったし、教材も作成する。引用を中略したところで、遠山は、戦前の小学算術の国定教科書(戦後遠山の「敵」になった塩野直道が編纂したいわゆる「緑表紙」版)に流水算が載っていることを批判している。流水算は、戦後の算数の検定教科書、少なくとも最近の算数の教科書には載っていない。(なお、その名称から流水算は和算にもあったように思えるかもしれないが、江戸時代の数量観からはありえなかったし、事実なかった。桜井進『江戸の数学教科書』(2009年、集英社)に流水算が江戸時代にあったかのように読める記述があるのは勇み足である)


 


ともあれ、量の体系を突き詰めて考えていくと、いろいろ釈然としないものが出てきて、分離量/連続量、外延量/内包量という、数教協の本を読むまでは知らなかった言葉はいったいいつ頃からあったのか、量の理論はいつどのように生まれたのか、という探索に向かった。この探索をしたのが、塾で教えながらniftyで議論していたときなのか、ライターになってSNSで議論していたときなのか、いまではごっちゃになっているが、わかったのは、分離量/連続量は、アリストテレスにあるということ(つまり、ゼノンの逆理を意識したものだということ)、外延量/内包量は、ヘーゲルにあり、カントにあり、私は未確認だが遠山啓によれば、14世紀の哲学者ニコル・オレムからあるという。


さらに探索の結果、1951年に数教協が生まれ、量の理論が生まれる前夜、遠山啓が次のように書いているのを見つけた。


「分数×分数にはよく考えてみると実に重要な問題が潜んでいる。


 2/3 × 4 のように、分数×整数、では


    2/3 × 4 2/3 2/3 2/3 2/3


として、加法の繰返し、すなわち累加として理解される。ここでは×44は『4回加えよ』という一つの『はたらき』を表わす記号であって何かの『もの』ではない。これに対して被乗数の2/3 は×4という『はたらき』を受ける『もの』である。ここには本質的に違ったところがあるのである。


 しかし、分数×分数となると意味が変ってくる。たとえば、2/3 × 4/5 で、『4/5回加えよ』ということはナンセンスである。4/5はもはや『はたらき』ではなく『もの』であり、こうなると×の意味そのものが変化してくると考えねばならない。つまり乗数の意味が『はたらき』から『もの』へと変化し、飛躍したことになる。このように累加より高い意味での乗法を理解させるには長方形の面積などが最も適していると思えるが、しかし、これだけで説明し切ってしまうことは無理であり、計算への熟練と理解を交互に織りまぜ、理解と熟練を互に深め合うように計画すべきであろう。


『はたらき』と『もの』はまず対立するものであり、しかも『はたらき』が『もの』になったり、『もの』が『はたらき』になったり互に転化し合うものである。これは現代数学の第一線的研究にもしばしば現れることであるが、同じことが初等数学にも姿を現すことは興味が深い。」(遠山啓編『新しい数学教室』1953年、新評論社、4445頁)


 


 数教協委員長・遠山の「はたらき」と「もの」の指摘を受けて、副委員長(当時)の中谷太郎は「数量形の機能と実体」について、翌年以下のように書く。


「今日余りにも『意味』と『はたらき』が一面的に強調されすぎてはいないだろうか。『はたらき』の洪水の中に『もの』が流され失われてはいないだろうか。」


 この後、三段階論の武谷三男の、原子核物理学の困難が「中間子という一つの実体」を導入することで解決されたという論を紹介し、


「機能と実体とがからみあって互に因となり果となって、ものごとが発展していくことは、原子物理学にだけ見られることではない。(中略)数も生まれながらの名詞ではなくて、数えるとかはかるとかいう動詞が長い経過をたどって名詞に転化したものと考えられよう。(中略)機能を実体化してつかむという秘密は、集合論や群論をまつまでもなく算数の初歩にも数多く見つけられる。(略)整数、0、分数を乗数とする乗法もその例である。」


(遠山啓、中谷太郎編『算数の指導計画』1954年、国土社、3638頁)


 


 これらが、数教協が誕生したばかりの時期、「量の理論」が生まれる直前の議論だった。


 後年数教協が、「量の体系」を唱道するときは、前述のように「物→量→数」と図式化する(私もこれを採りました)。たとえば、『わかる数学指導法事典』(1985年)の冒頭1頁目には、こうあります。


「  実在→量→数


 身のまわりにあるものから量が抽出され、それを数値化することによって、われわれが使っている整数、小数、分数、無理数などが生れたのである。」


 


 目の前のビーカーに海から採集してきた水がある。この海水のかさ(量)はどれほどか? 重さはいかほどか? 塩分の濃度は? 酸性・アルカリ性度は? 液体の透明度は? 温度は? などなど、「もの」にはいろいろな量の側面がある。その量をほかの「もの」の量と比べて数値化することによって数が生まれた・・・


 銀林浩『数の科学』(1975年、麦書房)では、次のように図式化しています。


    個物の集合→離散量→自然数


  物{


     連 続 体→連続量→実 数    」(同書、14頁)


                     


 自然数は、実在する個物の集合を離散量としてとらえ、その大きさを比べることで生まれ、実数は、物質のいろいろな量を連続量としてとらえて数値化することで生まれた・・・


 


 そうか、量の体系は「物」に立脚しているのか、ということをあらためて確認すると、広松渉を読んで、「物(もの)的世界像から事(こと)的世界観へ」というスローガンに心酔していた私は、量の体系に綻びがあるのは、それはそうだよな、と思えた。


数は量の抽象であり、量は物の抽象である、というのは、それはそれで納得できるが、数の由来はそれだけか?という疑問が生じる。たとえば「歩数」はどうなるのか? 「歩くこと」は「物」ではなく「事」ではないのか。「事」の側面を「量の体系」は捉えているのか?


 遠山1953年や中谷1954年の議論を見るように、「量の体系」の始まりでは、「もの」は「はたらき」と対立するものとしてだけでなく、「はたらき」から転化するものとしても捉えていた。「もの」は、物であり、実体であり、対象であり、「はたらき」は、操作であり、機能であり、関係だった。「はたらき」は、物から物へのはたらきであり、「もの」は、関係の項だろう。「物と事」といっても、その区別は不分明であり、「物と形」といっても、形のない物はないし、形は物の形だろう。


 しかし、数教協内で「量の体系」が形を整えていく(教条化ともいう)過程では、「はたらき」の一面を捨象した「物」から量が抽象されていくようにみえる。


しかし、遠山は、この点において確信犯である。


遠山は、大学でファン・デル・ウェルデンの『現代代数学』を読んで、「それまでの私の数学観は、量の科学としての近代数学のワクのなかに閉じこめられていたわけである。そのワクを破って、より広い構造の科学としての現代数学の世界にひっぱりだしてくれたのが、この本であった」という。(『水源をめざして』1977年、太郎次郎社、62頁)


 代数学を専門とした遠山が、「はたらき」が現代数学の焦点になっていることを知らないわけがない(などとエラソーに言うが、遠山の『無限と連続』(岩波新書)で、教えられたのである)。しかし、遠山は、高校の微積分までは「量の体系」でいける、と言っていたと銀林さん(多分)がどこかに書いていた。


最初に引用紹介した銀林さんの「量の体系未完」の文章の続きには、「遠山さんは常々「水道方式」は現代化だが、量の理論は近代化がやり残したことだと述べていた」ともある。(数学教育協議会・遠山啓小冊子編集委員会『いま、遠山啓とは 遠山啓生誕100年・没後30年を記念して』所収、2011年、41頁)


 


「量の体系」における「量」は、半具体・半抽象であるという。物よりは抽象的だが、数よりは具体的なのである。また、「量は物の抽象である」ともいう。


「物」は「はたらき」の面を排除できないし、「もの」と「はたらき」の相互転化からもそれは無理なのだから、量には、「はたらき」の抽象という側面もあるはずだ。しかし、数教協の「量の体系」の信奉者が、量を「物の抽象」と規定(限定)するときには、数量世界の半分を捨てているように見えるし、そのことを自覚していないため、「量の体系」の綻びを繕おうとして、逆に拡大しているように見える。

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