メタメタの日

パンセ


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 下のブログを見たら、試験後、開成の先生が、正解者0だったと言っているらしい。受験者の正解者0どころか、大手塾の受験算数のプロの先生の模範回答もすべて間違っていることになる。開成中の数学の先生は確信犯的にこの問題を出したようだ。

http://www.inter-edu.com/forum/read.php?407,2000966,page=8


 しかし、今までのニュートン算の解法パターンをくつがえすこの問題は、出題意図としてはどうなのだろうか。

解法パターンを暗記することの愚を突こうというのなら、その意気や壮だが、解法パターンなど知らず徒手空拳で、あるいは解法パターンではすまないことに気がついたとしても、限られた試験時間内で、あの問題を考え抜くことができる小学生が、いったい何万人、何十万人に一人か半人でもいるのだろうか。逆に、解法パターンで解いて間違えても残った時間を別の問題に割いた受験生に対して、解法パターンですまないことに気が付いた鋭敏な受験生が、この問題にこだわって時間配分を間違えたとしたら、それこそ問題ではないだろうか、などと余計な心配もしてしまう。


でも、ニュートン算の歴史において、開成中が出題ミスをしたというより(その疑惑も完全に拭えてはいない。いったいどこまで厳格に考えることを要求していたのか。その厳格さの要求と問題文の曖昧さとは釣り合っていないように思える)、受験算数のプロたちを(ほとんど)全員間違えさせた問題ということで、そして、分離量を問題にするニュートン算が今後流行っていくとしたら(流行らないだろうし、流行ってほしくないと思うが)、エポックメイキングとして、今後語られ続けていく問題でしょう。




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(このアーティクルには続きがあります。

http://ameblo.jp/metameta7/entry-10811698824.html#main  )


FDHさんのブログで、今年の開成中の入試にニュートン算の問題が出たのを知った。

http://ameblo.jp/fdhhiro/entry-10795688658.html

行列の問題でニュートン算かよ、えらく発想が古い問題を開成ともあろうものが出したな、と思った。

受験算数の問題で、窓口の行列を問題にすることは、問題が多いことは以前書いた。

http://ameblo.jp/metameta7/entry-10255400129.html

人数は分離量だが、「分・秒」の単位で考える時間は連続量という違いがあるが、開成中の入試は、人数を分離量で考えるように、時間(分数)も分離量で考えるという、受験算数の「お約束」で解くのだろうとは思った。(しかし、答は秒単位まで出ている。)

日常用語では、「行列が無くなった」とは、窓口で手続きをしている人が1人になったときをいうのだろうが、受験算数では、窓口に人がいなくなったときを「行列が無くなった」という、「お約束」もある。

FDHさんのブログで、開成中の問題が紹介された後、私の上記アーティクルに50人ほどがアクセスしていて、ふ~ん、受験算数の「お約束」を問題にする人がいるのかな、と思っていた。

今日、またFDHさんのブログを見たら、券売機が複数あるから、新しく行列に加わる人は空いた券売機に行けばよい、という条件を考える必要があることも問題になっていることを知った。

なるほど、そうだよなぁ、分離量のニュートン算の問題は大変なんだよなぁ、と思った。戦前の日本数学界大御所・藤沢利喜太郎でさえ、ニュートン算は解けなかった、種々の仮定を加えてようやく解けた、と言っているぐらいなのだから。

http://ameblo.jp/metameta7/entry-10089632045.html

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銀林浩さんが、「1あたり量×いくつ分」の講演をしている写真を見つけました。

http://www.google.co.jp/imglanding?q=%E9%8A%80%E6%9E%97%E6%B5%A9&hl=ja&gbv=2&tbs=isch:1&tbnid=iiFw7y35jedb0M:&imgrefurl=http://www.lekton.co.jp/blog/philology/index.php%253Fm%253D200903&imgurl=http://www.lekton.co.jp/blog/philology/files/b4.jpg&ei=F9xZTdrmO8GrccjT7akK&zoom=1&w=640&h=480&iact=hc&oei=F9xZTdrmO8GrccjT7akK&page=1&tbnh=131&tbnw=175&start=0&ndsp=26&ved=1t:429,r:13,s:0&biw=1067&bih=721

 黒板の図を見ると、以下のフォン・ノイマンの「構造-素子」論を紹介しているのでしょう。この図や以下の文章(以前も紹介引用しましたが)を見ると、銀林さんは、「1あたり量×いくつ分」を絶対的なものとして主張されていないことはわかります。追随者が行き過ぎる、というよくある例が、この問題でも起きているのでしょうか。

「数学者フォン・ノイマン(John von Neumann19031957)は次のように説明しています。

「人間はいきなり現実をそっくりとらえることはできない。あるレヴェルの物をかっこでくくって素子と見なし、それが構成する集合の構造を分析し研究する。そしてそれがわかったら、次はその素子をさらに解剖して、さらに小さい素子から成る構造として扱い、また一方、さきの解明された構造をかっこにくるんで素子と見なして、より大きな構造にアタックする。以下同様にして、小から大へも伸びていくというわけである」(略)

 このフォン・ノイマンの指摘から(c)のかけ算についてすぐ思いつくことは、前半の「大から小へ」はまず「いくつ分」が与えられ、それらの個物をめくると素子が現れてくるという「下降(top- down)型」ですが、後半の「小から大へ」はまず「1あたり量」が与えられ、それを積算するという「上昇(bottom-up)型」です。

 サイコロキャラメルの場合は「下降型」ですから、認識の順序に式を書くことにすると、

    3箱×2個/箱=6個

となるでしょうが、本書では「1あたり量×いくつ分」で統一しています。」

『算数の本質がわかる授業②かけ算とわり算』(柴田義松監修、銀林浩・篠田幹男編著,日本標準,2008530日発行)第1章「乗除の学び方・教え方  『1あたり量×いくつ分=全体量』の射程と問題点」(7~18ページ)

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 かけ算順序論争は、現在kikulogを主舞台に、黒木玄さんのコラムを脇舞台にして進行中ですが、kikulog1192. February 14, 2011 @18:48:55で、ドラゴンさんが黒木さんに以下の質問を提出されました。

Q1 例えば森毅氏が、かけ算には順序があるとお考えになったのは、どのような理由からと推測されますか。また、歴代の東京書籍の算数教科書の著者がこの教科書を認められている理由をどのようにお考えになりますか。森毅氏を「最低」と評されるだけでは、問題が明らかにならないと思います。
Q2
 式を計算の道具ではなく、表現の手段であることを子どもに理解させるのは必要なこととお考えになりますか。
Q3
 指導法の判断基準に「子どもの理解」を用いることの是非と、用いるべきでないというならば、何を規準とすればよろしいですか。
Q
4 かけ算の立式の順序はないとされる根拠は何でしょうか。
 海外でもそれぞれの文化や言語に依存した形でのかけ算の順序はあるように思います。


 これに対し、僭越ながら、私が回答したものが、以下です。

Q1 例えば森毅氏が、かけ算には順序があるとお考えになったのは、どのような理由からと推測されますか。」

 『数の現象学』によれば(ちなみに、この本は、私にとって、遠山啓の『数学の学び方・教え方』と並んで、いやそれ以上に、算数について考えるためのバイブルのような存在です)、言語習慣からくる「ヤクソク」ということですね。「言語習慣が違う日本とヨーロッパとでは、かけ算の順序は違う、しかし、それぞれ順序はある」と森さんは考えていられたようですね。

 ここは、私は異論があります。

 それぞれの民族の言語習慣での算術の発想や表現には注意を払い、尊重もする必要があるでしょうが、民族数学の存在を理由にして普遍数学への理解を妨げてしまうとしたら、それは、小学校の段階でも許されるべきではないと思います。

 数教協も分数の教え方では、日本語の言語慣習だった「の付き分数」(百円の五分の一、とか)という「割合分数」から導入するのではなく、「量分数」から導入すべきことを主張し、現在、どの教科書もそうなっているはずです。

Q2 式を計算の道具ではなく、表現の手段であることを子どもに理解させるのは必要なこととお考えになりますか。」

必要です。

私が教えた経験があるのは、小4から中3までですが、カン(ひらめき)で答えが分かっても、式を書くことを要求しました。しかし、そのとき、かけ算の式を「1あたり量×いくら分」の順序で書かせることは、まったく考えもしませんでしたし、いま振り返っても、その必要性は感じません。


Q4 かけ算の立式の順序はないとされる根拠は何でしょうか。」

同じ数量のモノが複数あるという構造のとき、かけ算という計算で総量が求められることを理解し、かけ算では交換法則が成り立つことを知っている小学3年生以上は、全体構造のうち「同じ数量」と「いくら分」のどちらを先に認識して、どちらをかけ算の先に持ってこようが総量を求められる、ということを知っているし、知ってもらわなくては困るからです。

Q3 指導法の判断基準に「子どもの理解」を用いることの是非と、用いるべきでないというならば、何を規準とすればよろしいですか。」

受験算数を教えていたときに考えていたのは、数学へのつながりでした。方程式は教えませんでしたが、方程式を学ぶときに障害になるような、特殊算の特殊な考え方は避けたか、別解程度にとどめました。あるいは、その数値だから、そう解ける、という解き方も、好きではありませんでした(これは、いま、ちょっと反省していますが)。普遍性への道に通じる考え方・解き方であるかどうかが、指導法の優劣を判断する基準でした。

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 いまの算数の教科書の叙述がどうなっているか,ですが,以下,『東京書籍・平成15年発行版』によりますが,東京書籍だけの問題でないことはもちろんです。




 2年下の6頁に

「    4    ×  3    =  12

  1つぶんの数    いくつぶん   ぜんぶの数  」

とあります。

 2年下の13頁に

「    3    ×   9    =  27

  かけられる数     かける数           」

とあります。

 2年下の28頁に

「かけられる数と かける数を 入れかえて 計算しても, 答えは おなじに なります。」

とあります。

 4年下の50頁に

「長方形の面積=たて×横=横×たて」

とあります。




 さて,どういうことになるのか。

 大人は,ここから,かけ算では交換法則が成り立つから,かける順序はどっちでもいいんだ,と理解します。しかし,この常識が次の世代と共有されていないという事態が(一部に)生じているらしい。その原因は,教科書の理解が,小学校の先生と世間の大人との間では違うからのようです。



 先ず,かけられる数(被乗数)とかける数(乗数)の交換法則の理解に違いがあるようです。

 3×5の式では,3が被乗数,5が乗数ですが,3と5を交換した5×3の式では,どちらが被乗数,乗数なのでしょうか。学校では,交換したら(交換しても),5が被乗数,3が乗数であり,5を乗数,3を被乗数とはしないようです。

 つまり,

  被乗数3×乗数5=被乗数5×乗数3

という理解です。

(世間の人は,どっちでもいい,くだらないことを議論しているな,と思うでしょうね。)



 しかし,「たて×横=横×たて」の場合は,こういう理解ではありません。

 たて3×横5=横5×たて3

という理解のはずです。決して,長方形を90度回転すると,たてと横が入れ替わるから,

たて3×横5=たて5×横3=横3×たて5

という理解ではないはずです。



 では,「1つぶんの数×いくつぶん」の場合は,どうなるのか。

 子どもは,「かけられる数」とは「1つぶんの数」のこと,「かける数」とは「いくつぶん」のことと教わるわけですから,「かけられる数とかける数を入れかえて計算しても,答えは おなじになります」と教わるときに,「1つぶんの数といくつぶんの数を入れかえて計算しても,答えはおなじになる」と理解するはずです。しかし,そう明示した文が教科書には出て来ないこと,出て来ないばかりか,交換法則を教わった後でも,小学校では(全部の先生ではないでしょうが),かけ算の式は,「1つぶんの数×いくつぶん」の順序で書くことを要求されるわけです。

 そして, 

「1つぶんの数3×いくつぶんの数5≠1つぶんの数5×いくつぶんの数3」

数を入れ替えた式では「等式不成立」とされる。

「被乗数3×乗数5=被乗数5×乗数3」

は成り立つ(認める)わけですから,それより縛りがきついことになる。

なぜなら,数を入れ替えると,「式の意味」が変わる(「タコの足の数が2本になる」!)というわけです。しかし,

1つぶんの数3×いくつぶんの数5=いくつぶんの数5×1つぶんの数3

と理解すれば,「式の意味」は変わりません。

 「たて3×横5=横5×たて3」と同じように理解すれば問題ないはずです。

しかし,かけ算の式には順序があるからダメだ,というわけです。3×5の式は○でも,5×3の式は×にされる‥‥



‥‥などといったかけ算の順序の議論など,普通の大人には,どうでもいい,くだらないことだと思います。しかし,最近の子どもや,最近(ここ20数年ほど)小学校で算数を教わった人には,どうでもいいことではなくなっているようで,社会がどうでもいいことと思っているようには,次の世代(の過半数になっているでしょうか?)は,どうでもいいこととは思っていない。典型例は,YOMIURI ONLINE「大手小町」の「発言小町」で,請求書のかけ算の式の順序が違うと言って,取引先をバカ呼ばわりした女性社員でしょう。

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2004/0607/002209.htm?o=0

かけ算という社会生活上の基本的なことで常識が伝承されていないのは,そうとうヤバイと思うのです。小学校の,というか,教科書の責任は大きいでしょう。













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 かけ算の記号として「×」を使用し,「3×5」というような式を書くことは,イギリスのオートレッド(Wiiliam Oughtred)の1631年の本“Clavis mathematicae”(『数学の鍵』)に始まるようです。(小倉金之助補訳『カジョリ初等数学史』219336頁,片野善一郎『数学用語と記号ものがたり』19頁)

この本の実物がGoogleで見ることができます。

http://books.google.com/books?id=7kImAAAAcAAJ&printsec=frontcover&dq=inauthor:william+inauthor:oughtred&hl=ja&ei=sPZLTeeHJ8a3cKiksMQL&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=8&ved=0CFUQ6AEwBw#v=onepage&q&f=false

 確かに,55頁には,三角形の辺の長さについて,

  BC^2+BD^2=DC^2+2BD×BA

という式に「×」記号が使われています。

12頁には,4×7,4×9という式が見られます。

 しかし,これは,7:9という比の各項を4倍すると,28:36という比になるということを表しているようです。(原文がラテン語のようで,読みとれませんが。)

 ということは,かけ算の式の初出は,「被乗数×乗数」の順序ではなく,「乗数×被乗数」の順序ということになりそうです。

 しかし,その後,19世紀の欧米では,かけ算の式は,「被乗数×乗数」の順序で理解することが主流になったようで,

  3×5=15の式は,“3 multiplied by 5 is 15”と読んでいた。

 しかし,20世紀以降の現在の英語では,「乗数×被乗数」の順序で理解されて,

  3×5=15の式は,“3 times 5 is 15”と読むことは,かけ算の式の順序を議論するときには,共有すべき前提になっているでしょう。

 この両方の読み方が,オートレッドの別の本(Mathematicall recreations1653)に存在していました。

http://books.google.com/books?id=6-84AAAAMAAJ&printsec=frontcover&dq=inauthor:william+inauthor:oughtred&hl=en&ei=coVOTdP-OozJcbfl7foF&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1&ved=0CCcQ6AEwAA#v=onepage&q&f=false

 53頁には“this(13) multiplied by 5 makes 65”,

 92頁に,“5 times 5 makes 2527 it makes 3 times 9”という表現があります。



 被乗数,乗数の区別は,昔から交換可能だったようです。






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