メタメタの日

パンセ


テーマ:

冬の蝶空に滲みし昼の月



白蓮の咲きぬる家と知りぬべし



九段桜いくさといふものありき



瀑布落瞬瞬滴滴三千世界



還暦や花ある星に棲まひけり







AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 現実世界と観念世界を区別するメルクマールのひとつは、思考の外部を持つか持たないかですが、アキレスと亀の話では以下のようになります。(原形のゼノン・バージョンの話で、トピ題の「疲れちゃったバージョン」の話ではありません。)

 「アキレスが亀に追いつかない」ということがパラドクスになるのは、「アキレスが亀に追いつく」という常識と矛盾するからですが、このパラドクスの解決が二つの世界ではどうなされるかを見ていきます。(既出ですが、少しずつ表現が悧巧になっている。)

 観念世界の場合。
 「アキレスが亀に追いつく」という仮定を含む公理系が無矛盾で、かつ正しい推論で「アキレスが亀に追いつかない」という結論が導きだされたとしたら、「アキレスが亀に追いつく」という仮定が偽であったと考えます。
この公理系(観念世界)では、アキレスは亀に追いつかないが真になります。同様に、飛んでいる矢は飛ばず、到着点にはたどり着けないか、あるいは出発することもできない。ということになりますから、運動が否定されます。
 観念世界では、時間が存在せず(定義されず)、変化が存在せず(定義されず)、同一律が支配する世界ですから、運動が存在しないことも納得できます。
 という解法がひとつあります。
 もうひとつ数学的解法もあります。
 時間を数直線(変数χ)に置き換え、距離をべつの数直線(変数y)に置き換え、有限の距離の無限の地点(実数)に、有限の時間の無限の時点(実数)を対応させ、無限の地点を有限の時間で通過することが可能であると考えます。アリストテレスの解法を数学的に厳密化したのが無限級数の和を使う解法だと言われていますが、そうなんだろうと思います。ただし、実数の公理系の無矛盾性の未証明という問題があるようで、これもそうなんだろうと思います。

 現実世界の場合。
 一方、現実世界でのパラドクスの解法は次のようになります。
 「アキレスが亀に追いつかない」という結論が導き出されたとしても、思考の外部で実験をするまでもなく、足の速い者が先行する足の遅い者に追いつき追い越すというのが、現実世界の真実です。この真実を思考の前提として疑う理由は無い。

 とすると、他の前提が間違っていたか、推論の過程のどこかに間違いがあって、アキレスが亀に追いつかない、などというトンデモ学説が生じたわけです。
ゼノンのパラドクスの前提には、「空間が無限に分割できる」という命題を含みますが、これが「空間には最小単位がある」という、現実世界で想定される別の前提と矛盾し、後者の前提の方が真だからアキレスは亀に追いつくのだ、という解法もあるでしょう。
 しかし、プランク長という10のマイナス30何乗メートルのことを問題にするより以前に、パラドクスの別の前提「アキレスという名前の点と亀という名前の点が等速直線運動をする」の方が怪しいと思うのです。おそらくミリメートル(10のマイナス3乗メートル)単位のところで、アキレスや亀の重心(点)も最先端(点)も揺れて等速直線運動はしなくなるでしょう。したがって、アキレス点が直前の亀点に着いた時、亀点が後方に振れていたということがあるから、アキレスは亀に追いつき追い越すことが可能である。
 現実世界におけるパラドクスの解法としては、この方が妥当だと思うのです。
 つまり、現実世界の思考は、「等速直線運動をする」という前提から出発しても、「等速直線運動をしない」という事実が正しいと思えたら、それを思考の過程の内に取りこんで妥当な結論を導くのです。思考の外部を持つ、のです。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 観念世界も現実世界も、認識や思考の対象であることに変わりはない。

 しかし、思考する主体(※)は現実世界の内に存在し、思考する主体の内に観念世界が存在する、という違いがある。

(※「思考する主体」としては、個人を考えてはいません。言説共同体のようなものを考えています。それは、mixi空間かもしれませんし、2500年前のゼノンと私たちをも包容する理性共同体かもしれません。)

 あるいは、思考する主体を鏡として、現実世界は観念世界の側に像を持ち、そのような鏡を現実世界の別の鏡が映しているとも言える。

 また、観念世界や現実世界について思考した帰結の命題の「真偽」(立証可能性)は、観念世界の命題であれば、観念世界の前提からの推論が正しいか否かで判定されるが、現実世界の命題は、観察や実験での検証を要す。つまり、観念世界についての思考は思考の外部を持たないが、現実世界についての思考は思考の外部を持つという違いがある。

 さらにまた。

 観念世界の観念は同一律に従い、AはAだが、現実世界のモノAは、いつのまにか、非Aに、BやCに変わる。そもそもAも、XやYが変化してAになったのだ。また、どこまでをAとみなすかも思考の恣意的な分節の結果だ。現実世界のモノは、時間的・空間的に同一律に従わない。現実世界のモノが同一律に従うのは、限定的・近似的にしかありえない。

 すると、「語る」あるいは「思考する」ということが、ことば=観念によってなされる限り、現実世界や現実世界のモノについて観念=ことばで考え、語り、記述するということは、限定的・近似的なものでしかありえないのではないか、というようなことを考えて記述している。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=51220000&comment_count=395&comm_id=89931


 けっきょくSparrowhawkさんは、実数論の無矛盾性が証明されていない以上、実数を使うあらゆる主張は、実数論が矛盾するなら無意味だ、ということを、繰り返し言われているわけですね。

 う~む、最強のファイナル・アンサーをお持ちですね、と言わざるをえないところでしょうか。

 そして、SPLさんは、実数論の無矛盾性の可否は、工学や技術など現実の世界では関係ないだろうと言われ、Sparrowhawkさんは、工学・技術でも実数を使う以上関係すると言われ、イカレ=ポンティさんが、「仮にある実数論構成する公理系Sを含む公理系Tから、公理系Sが矛盾すると証明されたとしても、現在工学などで応用されている実数や複素数を用いた個々の定理が矛盾するということはないです」「頻繁に使われる定理は物理学の基本定理から演繹的に導くことも可能です」@348番と言われたことに対しても、Sparrowhawkさんは、「物理学の基本定理などが矛盾していても演繹的に導ける」と言われた。

 物理学の基本定理が矛盾していたら、今使われる定理に矛盾する定理も演繹的に導かれるが、そういう反例が見つかっていないということは、基本定理が矛盾していないことの証明ではないか、ということ(ちょっと違うが)をSPLさんから言われても、「反例がとりあえず見つからなければ大丈夫 と私は思いません」」「それが,物理や工学で有効とも思えません」@363番と返し、SPLさんが、「基本的に、物理は経験則なので、反例が見つからなければとりあえずその法則を使う。反例が見つかったら、その反例に合わせて理論を修正していく」@365番と反論した。

 これに対し、Sparrowhawkさんは、そういう「技術的な話」ではなく「技術的な話の前提」@371番を問題にしているのであると言われた。その「技術的な話の前提」は、「私は別の仮定を考えているようです」@354番と他人事のように言われた「別の仮定」のことなのでしょうか。


 では、Sparrowhawkさんがいう「技術的な話の前提」「別の仮定」とは、つまり何なのでしょうか。

「話の前提」と言われると、現実世界について記述する前提としての、現実世界がどうなっているか(たとえば無限分割可能か否か)という現実世界についての事実のように思えるのですが、「仮定」と言われると、観念世界における実数論の無矛盾性のことなのかな、とも思います。というか、Sparrowhawkさんにとっては、現実世界と観念世界は区分されていないように思われます。あるいは、この二つの世界を截然と区分できるのかどうかを問題としているのかなと思います。

 けっきょくSparrowhawkさんは、実数論が矛盾するなら、(実数が関係する)すべての主張は無意味だ、という、(とりあえずの)ファイナル・アンサー以外の何か積極的に言われたいことがあるのでしょうか。



 Sparrowhawkさんの「矛盾する」という言葉が、数学や論理学という観念の世界での場合と、物理学や工学という現実の世界を記述する場合とで、区別されずに使われているような感じがして(363番など)違和感があったのですが、最近のコメント(375番など)では、観念世界と現実世界とを区別されているようで安心しました。


 観念世界では、ある命題の真偽は、その観念世界の公理系と矛盾しなければ真でしょう。ここは、公理系から正しい推論で導かれた命題は、というべきでしょうか。公理系と矛盾していなくても、真偽が判定できない命題もありそうですから。ただし、公理系自体が矛盾していると、あらゆる命題が真となるから、真であることに何の意味もなくなるわけですが。


 現実世界についての命題の真偽も、やはり、その現実世界の前提と矛盾していなければ真であるでしょう。ただし、この場合、前提には、記述された公理系だけでなく、現実そのものも含むでしょう。というか、現実そのものこそが大前提でしょうが、現実そのものといっても、観測されて記述されたものですから、現実そのものではないのかもしれませんが。

 で、現実世界についての命題の真偽は、前提と矛盾せず、かつ実験や観測の結果と一致すれば(「反例が見つからなければ」@365番、SPLさん)真でしょうが、前提と矛盾したり、あるいは実験や観測結果と一致しなかったからといっても、必ずしも偽とは言えない場合があるでしょう。前提が間違っていたり、実験や観測の精度が上がると一致したと言える場合もあるのではないか。つまり、現実世界においては偽と見える命題は、現実世界についての前提を問いなおす契機になりうるでしょう。(「反例に合わせて理論を修正していく」@365番、SPLさん)


 で、アキレスと亀のオリジナル・バージョンの場合です。

 「アキレスが亀に追いつかない」という命題は、現実世界における命題でした。

 この場合、現実世界の大前提は次です。

1.アキレスは亀に追いつき、追い越す。

 ゼノンが想定した前提は次のものでしょう。

2.有限の空間は無限に分割できる。

3.点とみなされたアキレスと亀は等速直線運動をする。


 2について、「有限の時間が無限に分割できる」については、有限の空間が無限の地点に分割できるなら、有限の時間も無限の時点に分割できるから、無限に分割された地点と無限に分割された時点が対応し、有限の時間でアキレスは亀に追いつける、という論理は、アリストテレスの推論として、ゼノンの前提には入れませんでした。


「アキレスが亀に追いつかない」という命題は、現実世界の命題としては偽です。1の大前提と矛盾するし、1の大前提を疑う理由は、現実世界の中には無い。

 この偽の命題が導かれた理由は、ゼノンの想定した前提に誤りがあったか、ゼノンの推論の中に誤りがあったか、です。私の考えは264番に書きました。

 その後、亀はアキレスより足が遅い、と仮定しても、トピ題のように二人の速さが減速していく場合のほかに、亀がだんだん速さを増し(ただしアキレスよりは遅い)、アキレスが亀のいた地点までたどり着く時間の和が調和級数になるときは、数列は収束しないで発散するからアキレスは亀に追いつかないという例が、吉永良正『アキレスとカメ』(2008年、講談社)にあるのを知りました。この問題で調和級数の場合を考えることは、マーチン・ガードナー『aha! Gotcha ゆかいなパラドックス()』(1982年)で知っていましたが。


 また、無限回の操作を遂行して完了する機械については、現実世界の中では、どこのメーカーからも出されていないし、今後もどこのメーカーからも出されないでしょう。

「無限回の操作を遂行して完了する機械が存在しうる」は、物理学や工学という現実世界についての命題としては偽です。348byイカレ=ポンティさんや、SPLさんが何度も指摘されていますが、Sparrowhawkさんは「今のところ私はそんな機械があるかどうかについて全く興味がありません」@354番と言うわけです。


 しかし、観念世界では、無限回の操作を遂行することを推考することも、その完了を推考することもできるし、現に私たちはしています。とすると、私たちの推考を再現する機械が製作されたら、その機械は、無限回の操作を遂行はできないが推考しその結果を操作することは、私たち同じように可能だということでしょうか?

 また、観念世界で無限を(実数を使って)推考することが矛盾を生じないかどうかは、実数論の公理系の無矛盾性が証明されていない現状では、確定していないということでしょうか。














いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。