メタメタの日

パンセ


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「つるかめ算の面積図」を歴史上初めて示したのは、関孝和の高弟の建部賢弘でしょう。中国の『算学啓蒙』(元代1299年頃)に注解を付した『算学啓蒙諺解大成』(1690年)の「鶏と兎が100、足の数は272」という問題に付した図です。

http://www2.library.tohoku.ac.jp/wasan/wsn-imgm.php?id=001197&km=103


江戸時代後期には、千葉胤秀が、『算法新書』(1830年)の中で、途中の計算の経過も分かるように次のように図解しています。

http://www2.library.tohoku.ac.jp/wasan/wsn-imgm.php?id=002904&cls=&km=59


 というわけで、「つるかめ算の面積図」は、江戸時代からあったわけです。


 ちなみに、鶴亀算という問題自身の、歴史上の初出は、中国の『孫子算経』(紀元4世紀頃)であることは、ちょっとした和算関係の本には書いてあるから、ご存知の方が多いと思います。ただし、解き方については、当時の中国は、算木で解いていましたから、いわゆる「つるかめ算」ではなく、原理的には連立方程式の解法と同じになります。

http://www.kyoiku-shuppan.co.jp/math/essay/040603.html


 しかし、中国でも、いわゆる「つるかめ算」の解法は知られていて、この解き方を、日本で始めて紹介したのは、今村知商の『因帰算歌』(1640年)になります。

http://www2.library.tohoku.ac.jp/wasan/wsn-imgm.php?id=003703&km=52


 つるかめ算は、当初は、中国のネタ本にならって、兎と雉でした。(兎の数え方を「羽」とするのは、ここに由来するのでは、とひそかに思っているのですが、証明はできていません。)兎と雉が、鶴と亀になるのは、『算法点竄指南録』(1815年)です。

 なお、江戸時代も「鶴亀算」という呼び名はありません。「差分」という分野の問題とされることが多かったようです。

 

 しかし、江戸時代の「つるかめ算」も、面積図の流れも、明治維新で一度断絶します。

 明治5年に、学校教育では、洋算を採用し、和算は教えないこととされ、和算家は失業するか、学校の先生に採用されて洋算を教えるかして、明治20~30年に和算家という存在は消滅したと言われます。しかし、和算のDNAは、受験算術の中に生き延びたように思えるのです。

 早くも明治10年代から中学受験は盛んになり、算術の問題が難化していきます。「つるかめ算」とか「出合い算」などが、「四則応用問題」の名前で、受験問題集に登場するようになるのです。方程式を使わずに文章問題を解く、いわゆる「特殊算」の花盛りになっていくわけですが、特殊算のすべてが、和算にルーツがあるわけではありません。(なお、明治38年から採用された小学校算術の国定教科書では、昭和10年まで「つるかめ算」は登場していません。)

 また、明治から昭和の戦前の受験算術の参考書や問題集の中に、「つるかめ算の面積図」があったかどうかは、まだ調査できていません。


 戦後の受験算数で「つるかめ算の面積図」が登場してくる経緯は、おそらく次のようなことではないでしょうか。

 1950年代に遠山啓氏らが数学教育協議会の運動を始めます。この中で、「量の体系」ということが提起されます。分離量と連続量、外延量と内包量とかです。そして、内包量の指導として、単位あたり量×単位量=総量の関係を、図を描いて説明します。この図が「面積図」にあたるわけです。

 この数教経の「量の体系」を、難解な私立中学入試問題の解法にも役立てられないかと考えた人がいて(数教経は、私立中学受験指導には関心はありません)、つるかめ算や過不足算、旅人算、食塩水の濃度、ニュートン算など、内包量がからむ問題を面積図で解くことを考えたのではないでしょうか。

 私は、1980年代に塾の講師になったときに、はじめて面積図を知り、それとは別に「量の体系」も知ったのですが、私にとって、面積図の正当化は、「量の体系」によってなされたのでしたから、正にこの流れの中にいたわけですが、そのことはずっと後になってから気がついたことでした。


 過不足算の面積図も江戸時代にあります。しかし、江戸時代の面積図は(つるかめ算の面積図も含めて)、「量の体系」には基づいていません。

 数教経の内包量の「面積図」も、江戸時代の面積図とは直接の関係はないでしょう。

しかし、内包量が二つの外延量の比として定義されるものである以上、内包量がからむ問題を図に表そうとすると、二次元図(面積図とかダイアグラム)になるのは、内包量の本質が然らしめることなのです。



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学知の体系の生成には、(1)認識的発展、(2)歴史的発展、(3)論理的発展の3つがあると思います。

(1)は、一個人が成長しながら認識が発展し、学知が構成されていくこと。

(2)は、人類が歴史的に進歩しながら、学知が構成されていくこと。

(3)は、学知を論理的に厳格に構成していくこと。

 

(マイナス)×(マイナス)=(プラス)の計算規則が正しい理由についても、ここでの議論は、ずっと(3)を問題にしてきて、時々(1)を問題にする発言があったように思います。(19番、20番、291番とか)


(1)のレベルで、(マイナス)×(マイナス)=(プラス)の規則の正しさを説明するなら、次のようになると思います。

この規則は、中1で習うわけですが、それまでに、次の規則を習ってきています。

2×3=2+2+2=6  (掛算は同じ数の足し算になること。逆もまた真。)

2×3=3×2  (掛算の交換法則)

2×3=6  6÷3=2  (掛算と割算が逆演算であること)

6÷3=6×1/3   (割算は掛算になること。逆もまた真。)

これらの規則がマイナスの数についても成立することを前提にするなら、(マイナス)×(マイナス)=(プラス)の規則は導けます。

つまり、

(-2)+(-2)+(-2)=(-2)×3=(-6)

(-6)÷(-2)=3

(-6)×(-1/2)=3


ということを、古代中国の紀元1世紀頃の数学書『九章算術』を読みながら、気がついたのです。

(2)歴史的発展のレベルにおける(マイナス)×(マイナス)=(プラス)の規則の生成について、なのです。

古代中国では、赤色の算木で正数を表し、黒色の算木で負数を表し、連立方程式の係数部分をこの算木で表して、加減法のやり方で連立方程式を解くように、問題を解いていたことはご存知かと思いますが、『九章算術』では、このとき「正負術」として、次のように記しています。

「同名相除、異名相益、正無入負之、負無入正之、其異名相除、同名相益、正無入正之、負無入負之」

http://chinese.dsturgeon.net/text.pl?node=51662&if=gb

 意味は、こうなります。(『世界の名著 中国の科学』151頁、大矢真一訳)

「引き算のとき、同名(同符号の数)は引き、異名(異符号の数)は加える。正を無入(ゼロ)から引いたのは負とし、負を無入から引いたのは正とする。たし算のとき、異名は引き、同名は加える。正と無入とでは正、負と無入とでは負とする。」


 『九章算術』では、「正負術」についてはこれだけで、乗除についての規則は記していないのです。正負の乗除について記してある文献は、13世紀まで待たなくてはなりません。例えば、『算学啓蒙』(元代、1299年)には、「正負術」として、加減について、『九章算術』の先の文言を載せた後(但し、「除」は「減」に、「益」は「加」に、「入」は「人」に変更)、乗法について、こう記します。

「同名相乗為正、異名相乗為負」

http://www2.library.tohoku.ac.jp/wasan/wsn-imgm.php?id=009864&km=11

 同符号の掛算は正、(マイナス)×(マイナス)=(プラス)と書いてあるわけです。


 しかし、正負の乗法は、『九章算術』のときにもなされていたはずです。係数の異なる連立方程式は、少なくとも、(負×正)の掛算をしなくては、加減法では解けません。その過程で、(負×負)の掛算の規則についても意識したはずです。その規則は、それまでの計算規則を前提として導いたのでしょう。先に、初めて中学生が正負の計算ルールを教わるときの導き方として記したように。そうして、千年以上経って、初めて解法(術)として明文化された。

認識発展と歴史発展はシンクロしている。個体発生が系統発生を繰り返すように、と思うのです。


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「時間」とは何かと考えだすと、よく分からなくなります。

 現代人の時間に対するイメージは、言ってみれば一本の直線のようなものでしょう。数学や科学で、グラフの横軸(χ軸)を時間とするように、時間とは、直線上の各点に時刻という数値が刻まれた数直線であり、この直線上を、「現在」という点が、左(過去)から右(未来)に向かって、一定の速さで動いていく。それが、時の流れだと。

 はたしてそうでしょうか。

 相対性理論によれば、時間の速さは一定ではない。高速度で飛んでいるロケットの中の時計の進み方は、遅い速度で飛んでいるロケットの中の時計より進み方が遅い、といいます。(速度は相対的なもので、どちらのロケットが速いとか遅いとかは決定できないということは別にして。)しかし、この話を聞いたとき、それは時計の針の動きを含めてロケットの中の原子の運動の速さが遅くなっているだけで、時間の速さが遅いということとは違うのではないか、と疑問に思った人はいるでしょう。私もそう思いました。

 しかし、「時間の速さ」とは何でしょうか。

 速さ=道のり÷時間

 でした。

「時間」が基になって「速さ」が決まるのに、その「時間」の「速さ」とは、いったい何のことをいうのでしょうか。

物の運動の大きさ(速さ)は、運動に要した「空間の大きさ」を、運動に要した「時間の大きさ」で割ったわけですが、では、「時間の速さ」とは、「何の大きさ」を「時間の大きさ」で割るのでしょうか。

時の経つのが速く感じるとか、遅く感じるというときの「主観的な時間」の「速さ」は、「主観的な時間の大きさ」を「客観的な時間の大きさ」で割れば良いのです。この場合、「客観的な時間」とは、時計やカレンダーで計れるものですが、「主観的な時間」とは、心が感じる感動の量のことでしょう。「客観的な時間」に比べて、感動の量が大きいときは、時の経つのが速く、何の変化もなくつまらないときは、時の経つのが遅い。物の運動の速さが大きいということは、その物の移動した量が大きいときであるように、心が感動した量が大きいときは、主観的時間の速さも大きい。主観的時間の速さとは、心の運動の大きさのことなのでしょう。

物の運動の大きさも、心の運動の大きさも、比較の基になるのは、「客観的な時間の大きさ」でした。相対性理論で、ある運動系における「時間の速さ」を議論するときは、その運動系における「客観的な時間の大きさ」を別の運動系の「客観的な時間の大きさ」と比べているのでした。

では、「客観的な時間の大きさ」とは何か。その「時間の大きさ」は、いかにして計るのか。

「時間の大きさ」を計るには、何かの物の運動によって計るしかないのです。

 ある物の「運動の速さ」は、その物が動いた「空間の大きさ」を、動いた「時間の大きさ」で割って求めるのですが、その「時間の大きさ」は、そもそも、何かの物の運動でしか決めることはできないのです。

古代では、太陽という物の運動で、「日」という時間の大きさを決めました。太陽の運動が時間の基準だったのであり、太陽が「時計」だった。日時計です。太陽の動く速さが一定であるかどうかを計る別の時計はなかった。現代では、セシウム原子の周期という運動が「秒」という時間の基準になっているわけですが、セシウム原子の周期が一定かどうかを計る別の時計はない。

昔も今も、ある物の運動で時間の大きさを決めるという原理は変わっていない。太陽やセシウム原子の運動が一定であり、時間は一定の速さで流れているということは「公理」となっているわけです。

運動の速さは、時間から決められるが、その時間を決めるのは、何かの運動となるわけです。時間が運動を決めるが、運動が時間を決めてもいるわけです。

時間について考えると、よく分からなくなることは、まだあります。

 時間には、過去・現在・未来があるといいます。数直線上を「現在」という点が移動し、点が移動した後方、数直線の左側が「過去」で、点が移動していく前方、数直線の右側が「未来」である、と。しかし、「いま」「ここに」「ある」のはいつだって「現在」でしかない。いまだかつて「現在」以外の「過去」や「未来」が「いま」「ここに」「ある」ということはなかった。「過去」や「未来」が「いま」「ない」としたら、それらは「いま」どこに「ある」のか? そもそも「過去」や「未来」は「ある」といえるのか? 過去は「あった」というなら、それは「いつ」「どのようにして」「ある」から「あった」になったのか? 「いま」「ない」未来は、「いつ」「どのようにして」「ある」ことになるのか。現在は、いつも「ある」のに、「いつ」「どのようにして」過去になるのか? 本当に時間は、過去から未来へ一定の速さで流れているといえるのか‥‥。

 こうやって時間についての疑問をあれこれ考えだすと、江戸時代の人が、昼と夜をそれぞれ別々に六等分して、その一つを「一時(いっとき)」(約二時間)と呼んでいたことも、それほどおかしな話とも思えなくなります。「一時(いっとき)」の長さが、季節・日・昼と夜で違っていても、別に困らなかったとしたら、現代のように客観的に固定化した時間の単位を設定することは、決して自然に沿ったことではなく、不自然な営みにも思えてもきます。

江戸時代では、時間の単位として一定だったのは、一日の長さぐらいだった。日より短い「一時(いっとき)」の長さが不定だっただけでなく、日より長い月や年の長さも不定だった。月によって日数は違うし、年も「うるう月」があったりして一定ではなかった。

江戸時代の時間がこのように不定なものだとすると、時間や速さに対する感覚も、当然、不定なものになる。

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 還元算というとき、「文章題としての還元算」と「計算問題としての還元算」を区別して論ずる必要がある。

還元算というのは、もともとは文章題のことだった。

 ここで誤解を生じないように強調すると、還元算は、江戸時代の和算には無かった。それは、明治時代になって、中学入試の受験算術として生まれた。今のところ、「還元算」という用語の初出は、明治43年まで確認できた。

還元算という言葉を使わないが、その解き方をしている(逆からさかのぼって未知数の値を求める)文章題は、明治30年代の参考書・問題集には見つけられた。


 では、計算問題としての還元算(つまり、問題の式の中にある未知数□の値を求める)はいつからあるのか。

例によって、国会図書館の「近代デジタルライブラリー」で調べると、『東京府立中学校高等女学校入学試験算術問題集 自明治38年至明治45年』と『中学校入学試験 算術問題の解き方』(こちらは、大正6年から大正9年の東京府立と開成など私立の中学校の入試問題)の2点で確認する限り、還元算の計算問題は出題されていない。

 国定教科書はどうかと見ると、(これは、講談社の「日本教科書大系」近代編の第13巻と第14巻)、昭和10年以降に使われた第4期国定教科書(あの伝説の「緑表紙」!)が、初出であった。

「緑表紙」の5年生用の「公式」という章と「等式の問題」という章の中に全62問の還元算の計算問題がある。関連して、ごくごく簡単な文章問題も10問ほどある。(還元算という名前は使っていません。)

 最も難しい問題は、次のような計算問題です。

 10=(50-20)÷□

 7.4+4.6)×□ 9.6

    2 

 この他にも、整数、小数、分数の計算問題の中に□が出てくる。

 「緑表紙」は、「還元算の計算問題」においても、それを載せない「黒表紙」とは異なる見解を示したわけです。

 これからみると、「還元算の計算問題」は、明治・大正時代の中学入試には出題されていなくても、昭和に入ると出題されたのではないか、と推測されるが、今のところ、確認できていない。


 戦後の教科書ではどうかというと、ちゃんと還元算(という言葉は使わないが)が載っていた時期があった。

(参照http://www.nicer.go.jp/guideline/old/ ) 


昭和33年施行「学習指導要領」の小学5年「数量関係」の箇所に次のようにある。

「簡単な場合に,未知のものにxなどの文字を使って数量の関係を式に表わし,それから逆算でxの値を求めること。(未知数が一つの項にだけ含まれる程度。) 」


昭和46年施行「学習指導要領」の小学5年「数量関係」の箇所は、次のようになる。

「イ 数量を表わすことばや,などの代わりにa,xなどの文字を用いることを知ること。

ウ 簡単な場合について,文字にあてはまる値を求めること。」


昭和55年と平成4年施行の「学習指導要領」の小学5年「数量関係」は、上の(ウ)が消えて、(イ)に該当する部分が残っている。


平成14年施行の「学習指導要領」では、(イ)に当たる部分も消えてしまったようです。

しかし、現在の教科書でも「逆算」は皆無ではない。

手元にある平成15年発行の東京書籍の小学5年の教科書を見ると、「計算のきまりを見なおそう」という章に、

「□にあてはまる数は、どんな計算で求められますか。

(1)□×12=132  (2)□÷25=4 」

と、2問だけある。


これを、同じく東京書籍の昭和61年発行の小学5年の「等号を使った式」「χを使って考える問題」と比べると、雲泥の差がある。

問題文からχを使って式を立てさせる問題が、例題を含めて10問。χの値を求める計算問題が14問。

計算問題で難しいものは、次のようなもの。

χ×6×9=270   26+15+χ=75

文章題で難しいものは、次のようなもの。

長方形ABCDがABに平行な直線EDで分かれた図があって、AB=15cm、AE=14cm、ED=χcmとして、長方形ABCDの面積が360c㎡のときのχを求めという例題で、

15×(14+χ)=360

    14+χ=360÷15

    14+χ=24

      χ=24-14

      χ=10      答え 10cm

と計算している。


この教科書の他の問題を見ても、5-χ=2とか6÷χ=3という、χを求めるときにもともとの演算と同じ演算をするタイプの問題は避けていますね。戦前の国定教科書では避けずに載っているのに。

ともあれ、この80年代の教科書や戦前の教科書と比べても、現在の教科書が、「還元算」に限っても、やさしい(すぎる)という感は否めません。


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ixi「核心を突く算数・数学」コミの「談話室 ★喫煙可★」トピでの発言

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=28153224&comm_id=3059833


「時速20kmで18分走ると、何km行くか」


>122 にゃーさん

∥>はやさの問題

∥この問題を見てまず思いついたのは

∥60分で20km


∥180分で60km


∥18分で6km

∥でした。


 なるほど。脱帽です。「個別算」については、私は未熟者です。

 ただ、この発言以降のにゃーさんの「はやさの問題」についての発言については、異論があります。

 「時速20km、18分間で、何km行くか」という問題を解かせる目的は何か、ということなのです。

 算数の教科書の「速さ」の単元に出てきます。

 つまり、指導要領をつくった大人たちは、「速さ」という概念を理解させるために、子どもに、こういう問題をやらせるわけです。

 単に、答を「あてる」「探す」ためでもなく、「頭のいい解き方」を考えさせるためでもなく、将来、科学で「加速度」や「力」の概念を理解するための前提として、小学生のこの段階では「速さ」の概念をつかんでもらうために、算数という教科で「速さ」を習わせるのだということだと思うのです。そして、私は、それはまったく妥当なことだと思います。


 ですから、時間と道のりの割合(比)が同じだということが分かる「頭のいい子ども」は、別に「単位時間あたりの道のり」という「速さ」を経由することなく、計算しやすい比を選んで答を出してしまうと思うのですが、でも、それは、この単元では「速さ」という概念をつかんでほしいという大人の意図とずれてしまうと思うのです。

 これは、中学で方程式を習うとき、文章題の問題で、方程式を立てるまでもなく、2つ3つの計算で解けてしまう問題も、方程式を立てるように指導されることとも通ずることと思うのです。

 つまり、算数を勉強するということは、日常生活上の計算の必要と、将来、数学、物理、化学、経済学、論理学などなどの学問を学ぶための基礎となる概念や思考法を身に付けるためという目的があるのだと思います。

 単に「頭のいい解き方」を見つけることではないと思うのです。


 こういう議論は、学校の先生は、教育研究会などでやってきたと思うのです。それは、無視できないと思っています。

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