メタメタの日

パンセ


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飛鳥時代のマクベス


週刊朝日百科の『日本の歴史』は、文章を書くときに、参考文献として、ヒッジョーにお世話になっているのですが、これのビデオ版があるというのを、先日、都立図書館で知った。

 フ~ン、文章と同じ内容を映像にしたのね、ぐらいに思っていたのだが、必要があって、聖徳太子から大化の改新、壬申の乱、仏教受容あたりの「第3巻」を見てみた。

 いきなり、オスカルみたいな出で立ちの女が出てきて、『マクベス』の独白を始めた。この一人芝居は、セクションの切れ目ごとに5、6回ほど繰り返された。
 どうやら、欽明朝から推古朝を経て天武朝にかけての、天皇家や蘇我家周辺で殺虐が繰り返され、古代天皇制が確立していく過程を、マクベスの王位簒奪の過程と二重映しすることで、国家権力の暗部を暴こうという趣旨のようだ。


 毒にも薬にもならない「教育啓蒙ビデオ」かと思ったら、意外であった。内容もコユイ。ナレショーンが、「イデオロギーがどうたらこうたら」と言っている。

 途中のコラムでは、このビデオ制作時に問題になっていた「通信傍受法」を取り上げ、大化の改新で、蘇我氏主流の蝦夷・入鹿を暗殺した後も、傍流の蘇我氏一族までを、なんだかんだ理由をこじつけて葬っていったのは、通信傍受法が、体制反対者を処罰しようとしているのと同じだ、などと解説している。


 オイオイ、イイのかよ
(^^)v

 最後は、「天武天皇によって確立した天皇制が、理由もはっきりしないのに現代までナンダカ連綿と続いています」などとまとめている。

 いやいや濃密な40分だった。


 最後に脚本の名前を見たら、菅孝行だったので、納得した。

 最近名前を見かけないと思ったら、こういう仕事をしていたのだ。


 別の巻は、どうなっているのかと見たみたが、菅孝行の脚本ではないためか、網野史観に基づいているようではあるが、第3巻ほど、とんがってはいない。


 しっかし、こういう面白いビデオだということは、外見だけでは絶対わからない代物だった。


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「数量観の変遷」というのは、あまり関心を持たれないのでしょうか。

さびシィー@財津一郎

(数量などというかなり基本的な感覚も変遷しているということは、宗教的な悟りとか救済とか、政治的支配の正統性についての観念も当然、変遷していて、昔の感覚と現在の感覚と同日に論ずることができない、という確信にもつながっているのですが、それは、さておき・・・)


「(植木算は)江戸時代の数量観からは、ありえなかったと考えるに至りました。」

と書きましたが、結論的には以下の通りだと思います。


「3間に木が等間隔に3本ある」という状況に対する江戸時代の感覚は

       木

  1本目   2本目   3本目

  1本    1本    1本

|――\――|――\――|――\――|

  1間    1間    1間

  1間目   2間目   3間目

 長さ


木の本数という「分離量」に、長さも「分離量的」に対応させているわけです。


現在の植木算的発想では、以下のようになります。

      木

1本目    2本目   3本目

1本     1本     1本

\――――――\――――――\

0間目   1.5間目   3間目

長さ


木の本数は「分離量」で考え、長さは「連続量」で考えているわけです。

これが植木算の「隠れた本質」で、決して、「間の数は木の数より1小さい」という考えは、植木算の「本質」ではないと思います。

 で、江戸時代は、このような連続量の概念が無かった。起点を「0」とする考え方は無かった。だから、江戸時代には植木算はありえなかった、と結論できると考えています。


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8・15のアホリズム


 若い頃は(などと言うようになってしまった・・・)アフォリズムがかっこいいと思っていた。じっくりと考え抜くのではなく、真理の一面を小利口に切りとってみせる警句に飛びつくのは若年の性急さの表れなのだろう。

いろいろな経験をし、見たくもない現実や自分自身のいろいろな面を知るにつけ、アフォリズムは、アホな紋切り型だと思うようになったが、8月15日、NHKの憲法9条をめぐる討論番組を見て(第1部の冒頭と第2部)、久しぶりに、この表現形式に魔がさした・・・


 さて、私自身は、9条については改憲派である。9条1項の「戦争放棄」は維持、2項の「軍隊放棄」は、自衛のための軍隊を持てること、つまり現状を肯定するように改めるべきだと考えている。(こういう「改憲論」は右翼に分類されるようだが、いったい、いつ、「護憲」つまり保守が左翼と分類されるようになったのか。左翼は、戦争放棄だけでなく軍隊放棄にも賛成しないとおかしいというような雰囲気になってしまったのか。「人民総武装」は、かつての左翼(の一部)の主張だったはずだではなかったのか、などというボヤキは置いておいて・・・)


 討論番組は、小林よしのりや斎藤貴男、小林節などの「識者」6名と、「大衆」数十名が参加していたが、私と同意見の大衆は、護憲派の大衆に比べて、思い込みの強さ、頭の固さ、偏狭さが否めず、こんな連中と一緒になりたくないなぁ、と思った。

 番組に出ていた大衆は、NGOや元PKOの自衛官とか、塾講師、翻訳家、フリーライターなどで(もちろん、会社経営者、主婦、学生などもいたが)、実生活に根ざした大衆というより、薄められたインテリが多く、選び方が偏っているなぁと思った。意見傾向としては、護憲派が多かった。

 そして、これらの大衆代表は、護憲派も改憲派も、自分の経験、自分の考えを絶対化し過ぎていて、その窓からしか世界を見ようとしない。ちょっと反論されると感情的になる。NGOの人は、非武装だからこそ国際貢献できた体験を語ったが、その事実は、武装自衛隊がPKOで国際貢献できない理由にはならない。

反論されるとムキになる傾向は、改憲派の方が強かった。その余裕の無さは、思考力の余裕の無さでもあり、また、自分達は少数派で、世の中から抑圧されていると感じているからでもあるようだった。(実際はそうでもなくなりつつあるのに。) 子どもの頃から学校やマスコミで、護憲、護憲と護憲こそが正しいと言われ続け、自分の素朴な疑問や思いを抑圧されてきたと感じているからだろう。彼らにとって、左翼とは、学校教師や一流マスコミという支配者・抑圧者なのだろう。

総じて、護憲派の方が改憲派より賢そうに見えた。改憲派は、相手の賢しらに「かけがえのない日本民族」に対する温度差を感じていらだつのだろう。自分の手は汚さずにきれいなことだけ言っているように感じるのだろう。一方、護憲派は、改憲派に対し、国際貢献という美名がアメリカ追随のイチジクの葉にしかなっていない現実に対する無知にあきれ、「かけがえのない生命」に対する温度差を感じて、いらだつのだろう。

さすがに「識者」は自分とは反対意見も含めて、多様な意見への対応力がある。だから識者なのだろうが。


さて、アホリズム・・・


(1)世の中には2種類の人間がいる。ナショナリズムは病気だと思っている人間とインターナショナリズムは病気だと思っている人間と。いや、もう1種類の人間がいる。ナショナリズムもインターナショナリズムも病気だと思っている人間が。


(2)軍隊がなければ戦争をすることはない。しかし、軍隊がないことで、あるいは不十分なことで、戦争をしかけられることはあるし、あった。世の中には軍隊のプレゼンスによって守られる平和がある。だから国連軍の創設が国連憲章でも謳われているのではないか。

(映画「ホテル・ルワンダ」では、フツ族によるツチ族虐殺の現場から逃げ出す国連のPKF(平和維持軍)が描かれる。http://www.hotelrwanda.jp/story/index.html  )


(3)平和外交と軍隊の存在は矛盾しない。というか、軍隊抜きで平和外交が可能だろうか。

 軍隊がなくても平和外交をすれば、外国から攻められることは無い、という意見がある。文化交流を通じた相互理解の努力は、戦争の可能性を、昔に比してはるかに下げるだろう。「だから攻められることは無い」ではなく、有ったときどうするか、だ。


(4)改憲派が、自衛隊派遣による国際貢献を唱えるのに対し、護憲派は、憲法9条を世界に広めることが国際貢献だという。よろしい、軍隊を禁ずる憲法と憲法が禁ずる軍隊の共存は世界に広める価値があるだろう。


(5)軍隊も組織である以上、組織の論理で、自己存在を正当化し、存在価値を拡大主張し始めるだろう。それに対する歯止めとして、9条第2項の存在は有効かもしれない。

改憲論者・小林節氏が言うように、「自衛隊をまだ日陰者にしておいたほうが危なくないかも知れない。」http://www.magazine9.jp/interv/kobayashi/index2.html

護憲論者・内田樹氏が言うように、「憲法九条と自衛隊の「併存」という「ねじれ」は、「歴史上もっともみごとな政治的妥協のひとつ」であるかもしれない。

http://blog.tatsuru.com/archives/000961.php


(6)番組では、小林よしのりのマンガ(原典未確認)のラストシーンのことば「生命より大事な価値がある」を、沖縄の戦争体験者が「生命より大事な価値はない」と批判した。

しかし、小林が反論したように、“自分”の生命より大事な価値が無いなら、人はどんな卑劣なこともするだろう。自分につらなる者の生命を敵に売ることすらするだろう。

だから、少なくとも「自分の生命」より大事な価値として、「自分につらなる者たちの生命」があるだろう。


(7)日本は軍隊(生命)ではなく、経済(金力)で国際貢献ができるし、すべきだという意見があった。(なぜ、そんなに軍隊を毛嫌いするのだろう。人類の歴史上あったし、現にあるものの利用方法は、アレルギー感とは別に考えるべきだろう。)

すでに軍隊(自衛隊)を持っているのに、「この軍隊は憲法上存在していないことになっているので、国際貢献に参加できません」という言い訳が、国際的にどこまで通用するだろうか。


(8)小林よしのりは、ガンジー主義は自分の理想であると言った。非暴力抵抗主義は大変な思想であると。北朝鮮(や中国)が侵略してきたとき、非武装で、一列になって向かっていって、ばたばたと倒されても、次々に列をなして向かっていく覚悟があるのかと、護憲派に問うた。

非武装を唱えるものは、抵抗を説くのか、逃亡を説くのか。

逃亡も良いだろう。自分の生命以上の価値は無いのだとしたら。自分につらなる者の生命も自分にとって価値が無いのだとしたら。

しかし、また人は、「自分につらなる者」を言い訳に、「他人につらなる者」に無慈悲なまねをする存在である、あったことも確かだが。


(9)ガンジーは非暴力抵抗主義を説いたが(そして、ガンジーの国は、今、核兵器を所有しているが)、ガンジーと互いに尊敬しあい、書簡も交わしていたトルストイが説いたのは、無抵抗主義だった。

「(隣国の軍隊が攻めてきて)穀物や家畜を奪っても、ばかたちはとるにまかせて、だれひとり自分を守ろうとするものがない。なんでもさっさとさしだして、『もしおまえさんたちの国で生活に困るようなら、みんなわしらのほうへ引っ越して来て暮らしなさい』。

 (隣国の王は)兵隊どもに村を荒らし、家や穀物を焼き、家畜を殺してしまえと命じた。ばかたちはただ泣くばかりで、だれも自分を守ろうとするものはない。『なんのために、おまえさんがたはわしらをいじめるのかね? もしおまえさんがたが入り用だというなら、みんな持って行って使ったらええだに』

 兵隊どもは悲しい気分になってしまった。彼らはもう前へは進まないで、間もなく八方へ逃げ散ってしまった」(「イワンのばかとそのふたりの兄弟」中村白葉訳から勝手に抜粋)

 

最終的な理想の状態だろう。しかし、いま、自分ひとりだけでなく、自分につらなる者にも無抵抗主義を説けるか。


(10)自分の祖国は世界だと言う人がいる。その人は世界のために死ねるだろうか。

国のために、民族のために、家族のために、信仰のために、主義のために死んできた人がいるように、世界という観念、世界という希望のために、死ねる人はいるだろう。自分の生命を捧げる対象は、どちらにしろ観念だろう。世界のために死ねる人は、国や家族のためにしか死ねない人を軽蔑するのではなく、また逆に、国や家族のためになら死ねる人は、国や家族のために死ねない人を軽蔑しないように。いやそもそも、死ぬとか死ねるとかいう事態がおとずれないように。

自分の祖国は世界だと言う人がいる。その世界の平和を最後に担保するのは、当面は軍隊である。


(11)日本の「平和」を現実に担保してきたし、今も最終的に担保しているのは、アメリカ軍と自衛隊の存在である。この現実を過小評価するのでも、過剰な意味付与をするのでもなく、憲法9条第2項を考えたい。

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エリザベート・スワンのアジ演説、など


『パイレーツ・オブ・カリビアン』の第3部『ワールド・エンド』を見た。

 第2部にマンネリ化の気配があり、第3部もネットの評判がイマイチだったので、それほど期待はしていなかったが、CGの凄さ、特に海洋の大渦巻はCGと知りつつ、圧倒された。ふつうはCGと分かった瞬間に、あぁナンデもアリね、と興ざめするのだが。

物語の展開の方は、辻褄がどう合うのか分かりにくかった。というか、あまり理屈をこねずに、映像的な面白さを堪能すればよいのかもしれないが。


 「アジ演説コレクター」としては、海賊軍のリーダーに選出されたエリザベート・スワンが、イギリス海軍との戦いの前にぶったアジ演説に、おおやってる、やってる、と嬉しかった。


Elizabeth Swann : You will listen to me! LISTEN! The other ships will still be looking to us, to the Black Pearl, to lead, and what will they see? Frightened bilge rats aboard a derelict ship? No, no they will see free men and freedom! And what the enemy will see, they will see the flash of our cannons, and they will hear the ringing of our swords, and they will know what we can do! By the sweat of our brow and the strength of our backs and the courage in our hearts! Gentlemen, Hoist the Colors!

http://us.imdb.com/title/tt0449088/quotes


 戸田奈津子さんの訳の向こうを張って訳すと、

「同志諸君! 仲間の船が我々を、ブラック・パール号を見つめている。彼らは何を見るのか。ボロ船の船底で打ち震えている鼠をか。否、否。彼らは自由と自由な人間を見るだろう。そして敵は何を見るのか。我らの大砲の閃光を見、我らの剣の打ち鳴らす音を聞くだろう。彼らに思い知らせよ、我らの額の汗が、重荷に耐える強さが、我らの勇気が何を成すかを。同志諸君、旗を揚げよ!」


 映画におけるアジ演説の例としては、ケネス・ブラナーの『ヘンリー5世』で、優勢なフランス軍とのアジャンクールの戦いに臨んで、ヘンリー5世が発する次の演説がある。


King Henry V : And Crispin Crispian shall ne'er go by from this day until the ending of the world but we in it shall be remembered. We few, we happy few, we band of brothers. For he today who sheds his blood with me shall be my brother. Be he ne'er so vile, this day shall gentle his condition, and gentlemen in England now abed shall think themselves acursed they were not here, and hold their manhoods cheap whilst any speaks, that fought with us upon St. Crispin's day!

http://us.imdb.com/title/tt0097499/quotes


もちろん、シェイクスピアの原作ではもっと長いし、必ずしも軍勢を前にした演説ではなかったようだが、原作(の日本語訳)も加味して訳してみる。

「我らと共に死にたいと思わない者と死にたいとは思わない。今日を生きてイギリスに帰国する者は、この聖クリスピンの日を、死ぬまで決して忘れないだろう。そして誇りに思うだろう。共に戦った者の名を、酒を酌み交わすたびに息子に語り続けるだろう。少数者よ、幸せな少数者よ。我と共に血を流した者は、みな我が兄弟になる。生まれに関わらず、貴紳になる。今日、イギリスで惰眠をむさぼっている紳士達は、聖クリスピンの日に戦った者が口を開くとき、おのれの器量が下がることを悔やむだろう。」


 印象的なのは、映画『ロード・オブ・ザ・リング』第3部『王の帰還』の最終戦争に際し、アラゴンがした「我々はいつか死ぬだろう、しかし今日ではない」という演説です。


Aragorn : Hold your ground, hold your ground. Sons of Gondor, of Rohan, my brothers. I see in your eyes the same fear that would take the heart of me. A day may come when the courage of men fails, when we forsake our friends and break all bonds of fellowship, but it is not this day. An hour of *woes* and shattered shields, when the age of men comes crashing down, but it is not this day. This day we fight! By all that you hold dear on this good Earth, I bid you *stand, Men of the West!*

http://us.imdb.com/title/tt0167260/quotes


「郷土を死守せよ、ゴンドールの息子達よ、ローハンの息子達よ、わが兄弟よ。わたしは、君たちの目の中に、わたしの心の中にあるものと同じ恐れを見る。勇者もいつか倒れ埋葬される日が来るだろう。しかし、それは今日ではない。我らが悲哀に打ち砕かれ年老いて倒れ伏す日が来るだろう。しかし、それは今日ではない。今日は戦いの日だ。全力でこの地を守り抜け。立ち上がれ、ウェストの者どもよ!」


 日本のもので感動したのは、1991年のNHK大河ドラマ『太平記』第36回「湊川の決戦」で、楠木正成(武田鉄矢)が、「命を惜しむな、名こそ惜しめ」と突撃する場面です。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/taiheiki/taiheiki.html


 感動したので、原作の吉川英治『私本太平記』で確認したのですが、見当たらず、もともとの『太平記』にも無く、探し当てたこの文句の出典は、『保元物語』の「命な惜しみそ、名を惜しめ」でした。

 津本陽氏が硫黄島の戦いを書いた作品のタイトル名は『名をこそ惜しめ』ですが、これは古典からの引用というより、東條英機が「戦陣訓」(悪名高き「生きて虜囚の辱を受けず」がある)を作ったときにできた「戦陣訓の歌」からの引用ということでした。

  日本男児と生まれ来て
  戦さの場(にわ)に立つからは
  名をこそ惜しめ武士(つわもの)よ
  散るべき時に清く散り
  御(み)国に薫れ桜花

 http://www.bunshun.co.jp/pickup/ioutou/ioutou02.htm


西洋で実際に戦闘の前に、上記のようなレトリックを駆使したアジ演説がなされたかどうかは別にして、劇化・映画化の際には、作家・脚本家の腕の揮いどころだったのでしょう。しかし、そういうシーンが不自然ではないということは、西洋がやはりロゴス重視の文明だからで、日本ではそういうことがあまり無かったのは、やはり、以心伝心、じっと俺の目を見ろ、何にも言うな、という国柄だったからでしょう。

皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」は、日露戦争の日本海海戦を前に東郷平八郎が全員に訓示した演説ではなく、東郷の旗艦三笠が掲げたZ旗の意味でした。(名文家として知られた秋山真之の作とWikipediaにあります。)

関が原の戦いの前に、石田三成や徳川家康が演説をぶったとはあまり聞いたことがないし、フィクションとしてもちょっと想像しにくい。


近代前の日本の歴史上、最も有名な(もしかすると唯一?)アジ演説は、北条政子が承久の変のときになしたものでしょう。『吾妻鏡』や『承久記』によれば、政子はこうアジります。

「皆、心を一つにして聞いてほしい。これが最後の言葉である。将軍頼朝が朝敵を征伐して関東を草創して以来の恩を考えてほしい。昔、都に上り大番役を三年勤め、費用を使い果たして帰りにはみじめな姿になっていたのを、わずか半年に縮めたのは、いまは亡き右大将殿(頼朝)であった。さらに頼朝公は、恩賞を与え、皆の領地を守り、安心して暮らせるようにはからってくださった。その御恩を忘れてよいものか。それでも京方に参ろうと思う者があるなら、今ここではっきり申し出よ」(参照『物語日本の歴史第11巻』木耳社、1997年)


 美辞麗句のレトリックは無いが、事実に基づき、関東御家人の心にしっかり訴えるアジ演説だったわけです。


(追記:「美辞麗句のレトリックは無いが」と書いたが、『吾妻鏡』巻廿三の承久三年五月の原文をあたってみたら、「其恩既高於山岳、深於溟渤」と、恩は山より高く、大海より深し、と常套のレトリックが記されてあった。こういう定型句を使うと、とたんに説得力が落ちる、ということに気がつかなかったのは、北条政子だったのか、著述者だったのか。多分、和漢の書物に通じていることを鼻にかけた著述者の方ではなかっただろうか。『承久記』の原文もあたってみる必要があるなぁ。)


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非植木算的発想の例


 今の私達なら、植木算の考え(木と木の間の数は木の数より1だけ少ない)で解くタイプの問題は、江戸時代には、以前、例を挙げたように『塵劫記』と『算俎』の2例しか見つけられていませんが、いずれも植木算では解いていません。つまり、このタイプの問題を植木算で解いている例を見つけられていないのです。だから、植木算は和算にあったというのは大いなる誤解だと主張しているのです。(その誤解は、明治の受験算術から発生したのでしょうが)


 明治時代になると、非植木算的発想については、次のような例があります。(1)と(3)はすでに挙げた例です。

(1)十五(けん)の地に、松の木五本あり、然る時は、松の木の(あいだ)は、幾(けん)ありや」(『小學算術書 巻之四』明治6年) 答は3間。


(2)柳の木二本と、梅の木六本あるとき、これを、四間の地に、()ゑんとせば、一間毎に幾本(づつ)、栽うべきや(『小學算術書 巻之四』明治6年) 答は2本。8本÷4間で、1当たり量を求めているわけです。


(3)長さ七百五十丈の堤あり。(その)両側に三尺(ごと)に一本の樹木を(うえ)るときは、樹数幾何(いくばく)を要すべきや(『數學三千題 巻上』明治13年) 答は5000本。


(4)百八拾本の瓦斯燈あり。今之を二里拾八町の街道の両側に設立せんにハ、各燈の距離何程にして可なるや(『啓蒙算術書』明治10年) 答は「六拾間」。1里=36町、1町=60間ですから、2里18町=90町。両側に180本だから、片側には90本。90町÷90本=1町=60間。


(5)松百六十四本アリ。今街道ノ両側ニ十四町毎ニ植ンニハ、幾町ノ間ニ植ルコトヲ得ルヤ(『小学初等算術書』明治15年) 答は「千百四十八町」。両側に164本だから、片側には82本。14町×82=1148町。


 まだ数問見つけられましたが、割愛します。

 しかし、以前にも書きましたが、こういうタイプの問題を植木算で解いている例も、明治3年を初出として(少なくとも、私の見つけたものではこの年が初めでした)、かなりの数があります。

 明治20年頃までは、植木算と非植木算が混在し拮抗しているのですが、20年代に受験算術の問題集・参考書が植木算を高らかに掲載するようになって、非植木算的発想は消えたようです。

 しかし、明治20年代の受験算術書が植木算に多くのページを割いたということは、それまでに、いかに植木算的発想が常識ではなかったかということを逆に証明していると思います。


 そして、繰り返しますが、江戸時代には植木算的発想の例を見つけられないのです。それは、江戸時代の数量観からは、ありえなかったと考えるに至りました。

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○○から○○まで」という表現について。


mixiの「心に広がる算数・数学の世界を!」で議論をしているのですが、江戸時代の長さの概念が、起点と終点を意識していなかったというと、「○○から○○まで」という表現がなぜ存在するのか、というご批判を受けました。

それへの反論です。


確かに、『勘者御伽双紙』(1743年)の、いわゆる「出会い算」の問題に「京より江戸まで百二十三里あり」という表現があります。(そういう表現例は無数にあると思いますが)


江戸時代の長さを含めた連続量の概念は、次のようなものではないかと考えています。

自然数(分離量)については、集合数(基数)と順序数(序数)の両面があるといわれています。

 3というのは、1,2,3とかぞえた3番目の数(順序数)であると同時に、それまでかぞえた順序数の全体をあらわす数(集合数)でもあるわけです。

 同じように、連続量でも次の両面があると思っています。

 たとえば3㎝というのは、起点0から3㎝の長さを測った終点を表わすと同時に、起点から終点までの長さ全体を表わす。・・・こういうことを書いた本を読んだことがないので、前者と後者を何と呼んだらいいのか分からないのですが、とりあえず前者を「点(刻み目)としての連続量」、後者を「大きさとしての連続量」と呼びます。

 すると、「京より江戸まで百二十三里」という表現は、「大きさとしての連続量」を表わしているのではないかと思うのです。「点としての連続量」では、江戸という点に123里という値を打つとすると、京という点には0里という値を打たなくてはならない。しかし、江戸時代には、こういう「0」の概念はなかった。

 つまり、長さという連続量の場合、起点と終点を意識することはするけれど、その全体の大きさの方が強く意識されていたと思うのです。つまり、「○○から○○まで」というのは、起点(0地点)から終点までという意識ではなく、長さの端と端という感覚ではなかったのか、と。


 重さや面積や体積という連続量の場合は、「○○から○○まで」という起点や終点は先ず意識されません。つまり、「点(刻み目)としての連続量」ではなく、「大きさとしての連続量」という側面で意識される。3gというと3gの塊が意識され、3坪というと3坪の広さが、3合というと3合の酒あるいは水が意識されるように、3間というと、起点や終点を意識せずに、3間の長さが思い浮かんだのではないか。で、3間の地に3本の松を植えるというと、あぁ1間ごとに1本ずつ植えるんだな、と思ったのではないか、と思うのです。


 「○○から○○まで」と起点や終点を意識する連続量としては、長さの他に時間があります。

しかし、江戸時代までの日本では、「0」の概念がないのですから、時間は連続量的にではなく、分離量的に意識されています。時間の単位としては、大きい方から、年、月、日がありましたが、これらは分離量的に扱われます。年の初めは0月ではなく1月であり、月の初めは0日ではなく1日です。したがって数え方は「満」ではなく「かぞえ」になります。

「三日から六日まで」というと、6-3の3日間(連続量の満計算ではそうなりますが)のことではなく、3,4,5,6の4日間になります。

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「われらの内なる小数」


『塵劫記』に、「小数(こかず)」とは、「1より内の数」とあります。

『竪亥録』には、「小数」とその説明として、分「一十分一」、厘「分十分一」、毫「厘十分一」、絲「毫十分一」、忽「絲十分一」、・・・が挙げられています。

ちなみに大数(おおかず)とは、十、百、千、万、億・・・です。

東北大学「和算ポータル」の該当頁の画像でご確認ください。

『塵劫記』http://www2.library.tohoku.ac.jp/wasan/wsn-imgm.php?id=000185&cls=j&km=7

ただ、変体仮名が苦しい。「一よりうちのこかす乃名の事」と書いてあるはずです。別の本でこの読み下しを確認してあります。

 『竪亥録』http://www2.library.tohoku.ac.jp/wasan/wsn-imgm.php?id=005827&km=9


 つまり、江戸時代の人にとって「小数(こかず)」は、「一より内の数」だった。

 次のようなイメージだったのではないかと思います。


 『竪亥録』には、長さの単位の説明が次のようにあります。1尺は1丈の十分の一、1寸は1尺の十分の一、1分は1寸の十分の一、1厘は1分の十分の一、1毫は1厘の十分の一、・・・。

 つまり、1尺の内に1寸が10個ある、というのは、1尺の長さの箱の内に、1寸の長さの箱が10個一列に詰まっていて、1寸の箱の内には1分の長さの箱が10個一列に詰まっていて、1分の箱の内には1厘の長さの箱が10個1列に・・・、というイメージだったと思うのです。


 同様に、体積の単位の説明として、1斗は1石の十分の一、1升は1斗の十分の一、1合は1升の十分の一、1勺は1合の十分の一、・・・とありますから、1石の箱の内に1斗の箱が10個あり、1斗の箱の内に1升の箱が10個あり、1升の箱の内に1合の箱が10個あり・・・というイメージだったと思うのです。


 小数(こかず)についても同様で、1分は1の十分一、1厘は1分の十分一、1毫は1厘の十分一、1絲は1毫の十分一、1忽は1絲の十分一、というのは、それぞれの単位の箱の内に下の単位の箱が10個詰まっているというイメージだと思うのです。


 つまり、私たちの小数(しょすう)のイメージは、たとえば0.3mというのは、原点0から0.3mだけ離れた点の値であると同時に、原点とその点との間の大きさを表わす。

 しかし、小数(こかず)のイメージは、そもそも原点としての0が存在しない。また、1尺を基準単位とすると、3寸は0.3尺となるが、そういう言い方はしない。3寸は1寸を基準単位として、3寸と言い表わす。

0.357尺は、3寸5分7厘と言うわけですし、それだけの長さをもった大きさそのものを表わすのであって、原点から3寸5分7厘離れた点を表わすということはない。あるいは、そういう側面もあるかもしれないが、きわめて弱かった、と思うのです。


小数0.357と「こかず」3寸5分7厘を比べると、小数0.357というのは、原点0から0.1ずつ刻み目を入れたら、0.3と0.4の刻み目の間の点になった。それで0.3と0.4の間に0.01ずつ刻み目を入れたら、0.35と0.36の刻み目の間になった。それで0.35と0.36の間に0.001ずつ刻み目を入れたら、ちょうど7つ目の刻み目の点が一致した、というイメージだと思うのです。

ところが、3寸5分7厘というのは、ある大きさの長さを1寸の長さの箱(あるいは糸とか)を並べたら3個では足らず4個では余った。それ1寸の箱3個の先に1分の箱を並べたら5個では足らず6個では余った。それで1分の箱5個の先に1厘の箱を7個並べたら、ちょうど元の大きさになった、というイメージだと思うのです。(刻みイメージもあったでしょうが、その場合も、刻み目ではなく、刻んで分かれた部分の方に目が行っていたのではないか、と。)

つまり、小数0.357は連続量的だが、「こかず」3寸5分7厘は分離量的だと思うのです。

(この先は、「植木算」の議論へと続きます。)


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植木算は和算にはなかった


明治6年に文部省が刊行した『小學算術書』という教科書(小学3年生用)に次の問題があります。
「十五間(けん)の地に、松の木五本あり、然る時は、松の木の間は、幾間(けん)ありや、」


植木算を知っている私たちの感覚では、木が5本、間が4ヶ所だから、15÷4=3.75間=3間4尺5寸と考えてしまいますが、この問題は5の段の除算にある問題で、15÷5=3間が答なのです。

国会図書館の近代データライブラリーのサイトhttp://kindai.ndl.go.jp/ で、『小学算術書』(師範学校篇、明治6年)の巻4の15頁に、この問題とその前後が載っていますので、確認していただけます。


植木算的感覚で考える私たちは、「15間」というのは、どこから測り始めるのかということが、とってもキになりますが、明治初めまでの日本人には、「15間に木が5本」というと、次のように木が植えられてあると思い、それが普通だったということでしょう。

|――●――|――●――|――●――|――●――|――●――|

 植木算の感覚は、江戸時代にはありませんでした。無いことを2つの例で確認しました。有った例は確認できていません。だから、植木算が和算にあったという話をよく聞くし、私もそう思っていたのですが、これはまったくの誤解です。
 それは何故なのか。では、いったいいつから植木算が定着したのかと考え、調べました。
 どうも、明治時代になってから、外国の教科書を翻案するときに入ってきたようなのです。それで、Gooの「教えて」で、外国の植木算の例を質問したのですが、1ヶ月たっても無回答でした。
 何か、ご存知の方がいたら教えていただきたいのです。


日本では明治20年頃までは、このタイプの問題を解く時に、植木算的に考えているものと、そんなことはまったく考えていないものが混在し、明治20年代から盛んに出版されるようになった受験算術の問題集で、「植木問題」とか「間隔問題」と名前が付けられて、ようやく植木算が定式化したようです。
 そして、明治38年の最初の国定教科書にこの問題が登場して、植木算が常識になった、という流れのようです。

 では、江戸時代までの日本人(和算の元になった昔の中国人も同じだと思いますが)には、なぜ、植木算的感覚がなかったのか。
 しかし、「非植木算的感覚」は、今の私たちにも残っていると思います。
 たとえば、「3kmの間にマクドナルドが3軒ある」と言われると、「1軒目の店から3軒目の店の間の距離が3kmで、店と店の間隔は1.5km」とは思わずに、「1km間隔に1軒ずつある」と思うのではないでしょうか。つまり、3kmの起点・終点は店ではなく、たとえば、「家から駅まで3kmの間にマクドナルドが3軒ある」という感覚で話すのが現代でも普通ではないでしょうか。


江戸時代の和算書から、この種の問題として、私が見つけることができた2例は以下です。
「百万騎の人数、一間に二人づつ立て、長さなにほどつづくぞといふ」(『塵劫記』寛永11年版(1634年))
 100万人を縦一列に1間(この当時は6尺5寸が1間なので、約2mでしょうか)に2人ずつ(つまり半間に1人ずつ)並べると長さはいくらになるか、という問題ですが、1間をどこから測るかという意識はありません。私たちなら、1番目に並んだ人から半間ごとに2人目、3人目、と数えて、100万人目までの長さを求める植木算だな、と考えるでしょう。しかし、『塵劫記』では、100万人を2人ずつ1間に割り当てると全部で何間になるかと計算しているだけです。つまり、答は50万間。これを単位換算して、231里17町20間が答です。

「今、道のり六里十三町四十八間三尺の所に、五尺間に一人づつおきて、幾人ならぶと問」(『算爼』1663年(寛文三年。原文は句読点なし))
 『塵劫記』が庶民向けの「そろばんの練習帳」としたら、『算爼』は、日本ではじめて円周率が3.14であることを計算で証明した和算家向けの専門書とも言えますが、その本でも、植木算的発想はないのです。
「五尺間に一人づつおきて」というのは、一人のところから測って5尺目のところに次の一人を置くというのではなく(結果的にそうなりますが)、ある方の秀逸な表現を借りれば「一人分の領土」が5尺あるということのようです。ですから、6里13町48間3尺を尺に換算して(ただし、1間=6尺5寸=6.5尺)、89625尺。これを5尺で割った17925が、求める答の人数1万7925人です。決して、人の数は間の数より1多いから、17925+1=1万7926人を答としてはいないのです。

 私たちなら、植木算で解かねばおかしいと思う問題を、明治時代初めはそう解いていない例はいっぱいあるのですが、一例は次です。
「長さ七百五十丈の堤あり。その両側に三尺毎に一本の樹木を栽えるときは、樹数幾何(いくばく)を要すべきや」(『數學三千題 巻上』明治13年。原文は句読点なし)
 この本の巻末には答だけが載っていて、「五千本」となっています。
 ということは、途中式を次のように計算しているわけです。長さ750丈が両側にあるから、750×2=1500丈。1丈=10尺だから、1500丈=15000尺。15000÷3=5000本。
 植木算では解いていないのです。

 では、この「非植木算的感覚」は、どこから来ているのでしょうか。


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変態論議その後


7月24日付け発言『変態概念の変態』で書いたように、私は、

<「変態で何が悪いのか」と言うことと、「同性愛で何が悪いのか」と言うこととの間には大きな違いがあると思う。>

つまり、同性愛とか異性装とかSMとかの性的逸脱・性的倒錯は現実に存在するわけで、それに「変態」というレッテルを貼ること(他人にだけでなく、自分自身にも!)がおかしいと言っているわけです。

ですから、

「同病相憐れむのか同悪相助くのかは知りませんが,彼岸ではないにせよ此岸の縁に立つことを自覚した上の組織集団」は、私は、「変態居直り集団」とは考えていないのです。


「変態性とは彼岸のものではなく,多かれ少なかれ誰にでも内在する情動の一つと考えている」

この文の「変態性」を、性的逸脱とか性的倒錯とすれば、まったくその通りです。

「変態性」という概念には、「正常」を超えた「異物」、此岸(普通の世間)を超えたエイリアンという意味を含意しているはずです。(以前の発言の繰り返しになりますが)


ですから、「変態居直り集団」とは、性的逸脱・倒錯を「変態」とみなす事実判断を俗世間と共有した上で、価値判断において俗世間と裏返しの関係にある集団のことと考えています。つまり「変態居直り集団」は俗情と表裏一体なのです。俗情が自分達を「変態」とみなしてくれないと困るのです。俗情がその誤りを科学的に修正することに抵抗したりするわけです。(これも、繰り返しになりますが) アウトローのやくざの方がローそのものを変革することに対して反動的になるのと同じだと思っています。


しかし、最近は、俗情・俗説も、性的逸脱・倒錯を「変態」とは考えないようになっているようです。同性愛は、江戸時代や古代ギリシア並に「市民権」を獲得しつつあるようですし、ソフトSMは一部ではブームになっているようです。しかし、ハードSMの方がソフトSMに興じる人を苦々しく思っているという話も聞きますが、それは、「理解者面をした敵との毅然たる闘争」というより、マニア同士のヒエラルキー争いという、単一の価値観で組織された集団内ではよくある話の一つだと思っています。


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