お江戸史跡巡り②~日本橋~ | はらりはらりさくら舞い散るように・・・

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今晩は。

新年まであと3日になってしまいました。
先週で仕事納めだったのですが、毎年のことながら慌ただしく年賀状も昨日ようやく書き上げたところあせる

さて、お江戸史跡巡り前回のつづきです。

日本橋川に架かる日本橋を見に来たのですが、東京メトロ銀座線または半蔵門線の三越前駅から地上に上がり橋の手前にすぐ、日本国道路元票があります。三越さんの目の前ですからすぐわかりますよ。


日本国道路元票の横の電灯の柱には東京市道路元票とあります。


日本国道路元票
当時の総理大臣・佐藤栄作の筆によるもので五街道(東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道)の起点になっています。



日本橋



クリスマス前だったのでメルちゃんはサンタ衣装


日本橋は慶長8年(1603年)に徳川家康によって初めて架けられ、日本の中心、江戸繁栄の象徴となりました。明治に入ってからは、この橋の中央が国内諸街道の起点と定められ、今も橋の中央に日本国道路元標が埋め込まれています。現在の橋は明治44年(1911年)に架設されたものだそうです。日本国重要文化財。


プレートに刻まれた文字は、徳川慶喜さんの筆によるものです。実はこれが見たかったラブラブ!



モノトーンにすると素敵ですね。この高速道路がなかったらもっとずっと趣のある景観にになってたと思うのですが、残念ダウン

※映画「ALWAYS 三丁目の夕日」でこの高速道路のない風景が見事に再現されていたので、ぜひ見てみてください。



よく見ると彫刻もすごく凝っています。



麒麟像。東京市(当時は市でした)の繁栄を表しているそうです。


獅子像。守護を表しているのだそう。
獅子が前足を架けているのは東京都の紋章です。明治22年12月の東京市会で市のマークとして決定されたもので、昭和18年の東京都制施行に際し、東京都の紋章として受け継がれました。


高札場跡
高札場とは、幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所のことです。
日本橋を渡ると右手に高札場跡があり碑が建っています。

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江戸時代の日本橋高札場の絵がネットにありました。


そして、反対側に行くとこんな碑もありました。



日本橋魚河岸記念碑
説明板によると関東大震災までは栄えた魚河岸だったそうです。

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当時の写真が説明板にありました。




船着場は現在も使われているんですね。

晒し場もあったそうです。ちょうど船着場の前になるんですが、「滝の広場」という名前が付いていました。晒しといっても首晒しではなくww 犯罪や不義などをした時に一日座らせられてたとか(--;)

慶喜さんの書いた文字を見ようと思って寄ってみたけど、意外や意外!結構見るものがいろいろあって興味深かったです。


橋の袂で少しお散歩音譜


この日は風が強かった。てか、メル目が埋もれてるw



この後、竹橋まで移動しました。つづく・・・

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