昔どこかのコラムで
木村カエラさんの記事を読んだのですが
とにもかくにも
純粋に伝えたい何かがそこにはあって
それがたまたま歌だった
そしたらそれは
テレビに映る仕事であり
伝えるツールがたまたま目立つものだった
好きを突き詰めてたら
こっちの世界にきちゃいました的な
そんな事が書かれていて
なるほどね、なんて当時思ったの
例えば、何の芸もないのに
"目立ちたい"だけが先行してる人は
それが達成されたら、その先がない
彼女は、純粋に
伝えたいものが湧いてきてしまって
伝えたい相手がいて
そのために必要な行動としての
目立つがあって
目立つがメインじゃないから
きっと誰が見てなくても
同じことをずっとやり続けれる
これは、どの世界でも感じてたことだけど
自分本位なのか、相手ありきなのか
目立ちたいだけなのか
ひと目を引かなくてはいけないのは
その先の伝えたいためのツール利用としてなのか
ひと目だけが欲しいのか
目立つを→モテたいに変換してもいいけれど
そこにピュアな気持ちがあって
泉のようにわき出るものがあって
枯渇しないタイプの人は
流行りも、人気も
人目がどうこうも越えたとこで生きていて
もちろんあった方がいい
ものもあるんだけど
執着ではないんだよね、ついでみたいな…
奥田民生にも
この感覚を感じるのですよね~
ギラギラしてないっていうか
純粋に己の好きを
突き詰めて生きてます
計算してるけど、してないように見える
ゆるさ
きっとメディア戦略やら
方法論なんて山のようにあるのだろうけど
それらを越えて伝わってくるものは
その人のほんとの気持ち
会ったことなくて
ファンでもないけれど
人って人を無意識に感じて
すごく根っこのピュアな部分って
結局わかってしまうものなのかもね
ただ音楽を愛してんだなって
歌もダンスも不思議な感覚がある…
ここにオーディエンスが加わったら?☆
例えは少し違うけど、私の歌の先生は
細かいことは(尋ねないと)教えてくれない
でも"間違い"は教えてくれる
先生は私に良くなってほしくて言ってるのか
己の保身のためや、利益のためなのかは
ちゃんと伝わるもので
(たまにマウント取ろうとか
習い事でも変なやついるのよ…)
その先の未来を予想しつつ
私の性格を掴んだ上できっと
言いすぎない自主性に任すみたいな感覚が
あるんだろうね
♡♡♡
結局何が言いたいかって
好きをつきつめてたら
それが達磨職人だとしても
どこかで脚光を浴びたり、時代が選んだり
人の純粋な思いって
必ず伝わってしまうもので
どんな人にもどんなタイミングで
光が当たるか、当たらないかだけ
またずっと残る人はどの分野でも
好きを突き詰めてる人であり
決して目立つ目立たないという
下らないレベルに存在してない
ピュアな魂なのではと思った
ティアラだけがほしくてコンテスト参加なのか
たまたま日常が素敵な女性がコンテストに
参加したらティアラもらっちゃいました、は
じぇんじぇん意味が違うのですよね~
お察しの通り
人前が苦手だから、そう
(大きな舞台は直前まで逃げようとしたりする)
好きを、不器用につきつめてる人の気持ちがわかる
夜中でも人が見てなくても
ずっとやってるんだよね
飽きないし飽きるという概念ないねんなー
だから執着がなく
満足しかないんだよね
✰⋆。:読まれている記事✰⋆。:
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