からの続きです
艱難期の始まり 第3部A パート43
Ⅲ.裁きのラッパ:(ヨハネの黙示録8章6節-9章21節 )
7.悔い改めない者の頑なさ (9章20-21節)
黙示録9章20~21節
これらの災害(すなわち、艱難期前半の警告の裁き)で殺されずに残った人々は、
自分の手で造ったものについて、悔い改めようとせず、
また悪霊のたぐいや、金、銀、銅、石、木で造られ、
見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を礼拝して、
やめようともしなかった。
(黙示録 9章20節, 21節)
私たちはすでにこの箇所を上記のII.3.a節(「不法の秘密の力」の解き放ち)で考察し、
神がパロに人間の常識を超えた心の硬化を許されたように、
その将来の艱難期において不信仰な世界が地上で
まだ見たこともない偶像崇拝の行いにふけるようになると指摘しました。
現代において、偶像崇拝がますます広がっていることを過小評価してはいけません。
明らかに異教的な行為に加えて、
1)私たちの父である真の神とその御子である真の主イエス・キリスト以外に対する
いかなる崇拝も偶像崇拝であり、
2)心の中でイエスより優先するものは、
(それが自己であれ、金銭であれ、あるいは多くの欲望や誤った優先順位であれ)
偶像崇拝であることを忘れてはいけません。
この二つの節は、この六つの裁きに耐え、
悔い改めに向かわない心の硬い世界の不信仰な人々の本質的な拒絶を示す、
強力で冷ややかな要約文です。
神の恵みにもかかわらず、苦しみにもかかわらず、
彼らは悪から神に立ち返るための警告を受けず、その後も受けようとはしないでしょう。
この聖句は、不信者や人間の自由意志に対して、
信者が理解すべき重要な点を示しています。
多くの人が神とその警告を無視し続けると固く決めてしまっていることで、
この世で神に逆らう選択をする人は皆、
自分の自由意志によってよく考えた末の決断であることを
疑う余地もなく示しているのです。
イエス・キリストの福音を伝える使者としての私たちの姿勢は、
福音を伝えることに熱心であるべきですが、
その決断は、
真理を受け取る人の心の中にあることを決して忘れてはいけません。
--パート44に続く
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私達が主の御声を聞くことにおいても成長できますように。
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けれども真理の御霊が来る時には、
あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。
それは自分から語るのではなく、
その聞くところを語り、
きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。
(ヨハネ16:13)
感謝します
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今朝は曇ってはいるけど、少し日差しが見えてきました
雨風に打たれていたオシロイバナも
今朝は新しい花を咲かせています
光を求めて、光を浴びて
雨の雫さえも、宝石のように輝かせて
私たちの顔も
いつも仰ぎ見ることができますように
お祈りします
庭のイトバハルシャギク
庭のオシロイバナ
セイヨウニンジンボク
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昨日、兄から熊笹が送られてきました
「七夕に、笹寿司を作りたいな」と言ったら、採って来てくれたのです
ありがたいです
最近は熊が心配なので安易に頼めなかったけど
熊には遇うことはなかったそうです
(でも、猪には頻繁に遭うようですが)
お互いの安全の為にも祈っています
私は可愛い、にゃん&わんちゃんに出会えるので
楽しみです
子犬の時から知っていたけど・・・
こんなに大きくなったのね また来るね
今日もありがとう~