からの続きです
艱難期の始まり 第3部A パート42
Ⅲ.裁きのラッパ:(ヨハネの黙示録8章6節-9章21節 )
6.第二の災い: 悪霊による滅び:(9章13-19節) 続き
先の話の詳細に戻ると、ここに出てくる四人の指揮官とその悪魔の軍団は、
現在「大河ユーフラテスに拘束されている」とする誤解が、ほぼ全世界的に広がっています。
しかし、上記の訳文<黙示録9章14節-英文直訳>にあるように、
この前置詞句「大河ユーフラテスで」は監禁されている場所ではなく、
解放される場所を示しています。
(つまり、つながれているという語句ではなく、
解き放せという命令句にかかっていると捉えるべきでしょう)
この文脈と、現在解き放されていない堕天使の状態について
私たちが知っていることを合わせると、
「大ユウフラテ川のほとりで解き放て」という訳が圧倒的に好ましいと言えます。
聖書の他の箇所では、悪魔の監禁場所は、常に底知れぬ所(タルタロス)です。
(イザヤ14章9-20節,24章21-23節; ルカ8章31節;
第一ペテロ3章19-20節; 第二ペテロ2章4節;ユダ6節;
黙示録9章1-2節,9章11節,20章1-3節, 20章13-14節)
前のラッパの裁きの時に、ある悪霊どもは底知れぬ所から出ることができましたが、
その悪霊どもは穴の入り口の柵を開けるだけで解放されました。
使徒行伝16章24節にピリピで投獄されたパウロとシラス、
使徒行伝12章6節で投獄されたペテロを見てみると、
使徒たちは獄の中でも拘束されていました。
(すべての囚人がそうだったわけではありません:使徒行伝16章27節を参照)
ここで問題になっている堕落した天使とその首謀者どもは、
ユダの手紙によって語られている者たちであり、
創世記6章で、私たちが現在置かれている状況にある争いのための
神の基本規則の違反に関与した、特別に気性の荒い悪霊どもであり、
奈落の底に監禁されていることに加えて、さらにしっかりと縛られています。
(第一ペテロ3章19-20節; 第二ペテロ2章4-10節を参照)
主は、自分たちの地位を守ろうとはせず、
そのおるべき所を捨て去った御使たち(すなわち、創世記第6章の悪霊ども)を、
大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、
暗やみの中(すなわち、底知れぬ所)に閉じ込めておかれた。
(ユダ書 1章6節)
底知れぬ所には入り口があり、(黙示録9章1節の<底知れぬ所に>通じる穴)
今は鍵が開けられていて、(黙示録9章1-2節参照; 黙示録20章1節も参照)
主の再臨まで再施錠されることはないと言われています。(黙示録20章3節)
牢獄の扉が開かれ、まだ鎖につながれているこれらの悪霊どもと
その将軍たちが出てきて破壊的な目的を果たすことができるようになった今、
あとはこれらの「しばりつけ」られた堕天使どもが
それぞれの束縛から解かれるだけです。[1]
その解放の場所である「大ユウフラテ」は重要です。
というのは、イスラエルが聖書の視点から見て地理的に地球の中心であるように、
バビロン王国の中心を流れるユーフラテス川は、
常に悪魔の反対勢力の地理的な中心であったからです。
この事実は、バベルの塔で全人類を悪魔崇拝の奴隷にしようとした
ニムロドの陰謀において最も顕著であり、[2]
反キリストの艱難時代の中心王国を「バビロン」と象徴的に呼んでいるのは、
将来の「世界的」王国も悪の目的のために
全人類を強制的に統合しようとする同様の試みを行うからです。
(黙示録14章8節,17章18節,18章24節; ダニエル2章42-43節を参照のこと)[3]
ですから4人のサリムとその軍隊がこの地点から、
全世界を悩ますために分散するのは象徴的にふさわしいと言えます。
同時に、反キリストのバビロンとこれらの悪霊どもの大群との関連は、
その来たるべき滅亡を予感させるものであり、
数年後には、悪魔の住む荒涼とした場所に過ぎなくなるからです。(黙示録18章2節)
この場所に関して、もう一つ言及しておかなければならないことがあります。
世界の地理的な中心であるイスラエルの地は、
天使たちが地上と第三の天との間を行き来する地点でもあります。(創世記28章12節)
この文脈では、底知れぬ所に通じる穴の正確な位置は言及されていませんが、
タルタロスへの見えない入り口がまさにこの位置、
すなわち大河ユーフラテスの近くにあって、
天上に通じる坑道の比較的近くにある可能性があります。
(すべての被造物の行く方向の選択を象徴的により明確にしています)
乗り手とその馬については、すでに指摘したように、
その時代の世の人の目には見えません。
(しかし、この預言の中で、ヨハネがそれを見て、私たちのために描写しています)
列王記下6章11-17節には、超自然的な大軍が実在しながらも、
人間の目には見えないという類似点があります。
この場合、エリシャのしもべは、最初は彼らを見ることができませんでしたが、
エリシャの祈りに応えて目が開かれたとき、
「見ると、火の馬と火の戦車が山に満ちてエリシャのまわりにあった」
この二つのケースにおける超自然的な騎兵隊は目に見えないですが、実在しています。
私たちは過去に、天使がしばしば人間の目には見えなくとも、
実在する装具を持っていることを見てきました。
(例えば、私たちの扱っている課題ではラッパがそれにあたります)
また、天使のような存在は、人知を超えたさまざまな方法で姿を現すことができるようです。
例えば、神の車座につく四人のケルビムは、天使の中でも特異な四つの顔を持ちますが、
元々はそうではなく、サタンが最初のケルブで、(エゼキエル28章14-16節)
堕落した後に四人組のケルブに置き換えられた可能性が高いです。
さらに、天使は一般的に栄光に満ちた姿をしていると描写されており、
黙示録22章8-9節では、ヨハネが自分と話している天使を拝そうとしたほどです。
(ルカ2章9節参照)
しかし、天使は普通の人間に近い地上の姿で現れることもあります。
(創世記19章1-3節;ヘブル13章2節参照)
また、主の再臨に同行する天の軍勢(私たちもその一部となる)は、
白い馬に乗ると描写されています。(黙示録19章14節)
これらの情報を総合すると、第六のラッパの裁きの悪霊どもの軍隊に関する記述で、
他の聖書の記述と一致しないものは何もありません。
悪霊どもが独特の外見(例えば、鎧の色が三色)をしていることも、
恐ろしい超自然的な馬に乗ることは、前例があり、
聖書的に合致するもので、枠から外れてはいません。
聖書は天使の自己改造の限界と可能性、あるいは超自然的なアイテムを
(この文脈では馬など)を調達する能力についての詳細は教えてくれません。
ただ言えることは、
悪魔とその超自然的な従者が実在することは人の目に隠されていますが、
煙と硫黄の激しい爆発がどこからともなく出て生きている者の三分の一を殺すことは、
地上の住民によく見えるということです。
赤は炎、青は煙、黄色は硫黄を表し、悪霊どもの乗り手が身につける三色の鎧は、
この破壊的な災いの三重の現れを象徴しているのでしょう。
[1] ギリシア語の動詞デオ(縛る)は、新約聖書では悪魔の力を抑制する、
あるいは悪魔の力によって抑制されることを表すのによく使われます。
(マタイ12章29節;マルコ3章27節,5章3-4節;ルカ13章16節;黙示録20章2節参照)
[2] 『サタンの反乱』第5部「裁き、回復、置き換え」
III.2節「人間の自由に対するサタンによるノアの洪水後の攻撃
(バベルの塔:創世記11章1-9節)」参照。
[3] 彼らは「4人の天使」と表現されていますが、これは「大天使」
または悪魔に相当する「サル」または「王子」の略称です。
「聖書の基本」 パート2A:天使論のII.9.6.3、「王子」を参照。
--パート43に続く
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今日から7月
夜半から風が強くなり、明け方まで暴風雨となりました
すっかり、目が覚めてしまい・・
朝方になって寝たようです
月初めから寝坊(笑)
通勤通学の方
どうぞお気をつけてお出かけくださいね
お祈りしています
今月もよろしくお願いします
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庭にキキョウの花が咲いたよ
長男さん試作
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百合の花って、こんなに咲いていても
しっかり立っていられるのが凄いですね
芯の強さと、華麗さと、良い香りを放っている花だなぁ
道端に咲く花も、歩く人の心を癒してくれています
ベコニアも、マリーゴールドも可愛いけど強い花ですね
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ロジャー君 日陰の場所を見つけたのね
あ、見てる、見てる
おいで、おいで~
暑いのに出てきてくれてありがとう また来るね
今日もありがとう~