からの続きです
来たる艱難期 第3部A パート22
艱難期の始まり (ヨハネの黙示録8章1節~11章14節 )
c. 偽りの教えの台頭:(続き)
概念的な言い方をすれば、悪魔の偽りの教えは段階的に進行します。
まず、悪魔は神の権威を貶(おとし)め、犠牲者たちに、
神は真実ではなく、助けることができない、あるいは助ける気がない、
また一般的に「もっと重要な」問題の前では、神は不必要で無関係であると信じ込ませます。(悪魔はエバに「あなたは死なない」と保証しました: 創世記3章4節参照)
次に、サタンは、神のプログラムではなく、自分のプログラムに従いさえすれば、
私たちは神のようなものであり、神のようになることができ、
神のようになるというふうに考えを進めます。
(「あなたは神のようになる」とサタンはエバを誘惑しました: 創世記3章5節を参照)
最後に、悪魔の最初の二つの嘘を信じてしまう人の場合、
サタンは、彼らが自分の欲(と悪魔の意志)に従うことによって、
「善悪の知識」を持つことによって実際に神を助けているのだと信じ込ませようとします。
(エバは独善的な満足感をもって進んでアダムを誘惑することをしました:
創世記3章6節参照)
最初の嘘は、貪欲と恐れに突き動かされ、私たちの注意を(永遠の命の問題ではなく)
今ここで一時的な安心を得ることに集中させ、その結果、
私たちの死という重要な事実と神からの唯一の解決策を見出す必要性を無視させます。
第二の嘘は、主観的なプライドに突き動かされ、私たちの注意を自分自身に集中させ、
(赦しの必要性ではなく)自分自身の栄光を確立し、肯定しようとするため、
私たちの本質的な罪深さと救い主の必要性の問題を無視させます。
第三の嘘は、客観的な傲慢さに突き動かされ、
(神のために私たちができることは何もないことに気づく代わりに)
私たちの注意を自分の行いや業績に集中させ、
神から離れて「善を行う」能力を示そうとします。
悪魔は私たちに、”大切なのはこの短い人生とこの世であって、
イエス・キリストによって来たる世における永遠の命による死に対する勝利ではない”
と言います。
悪魔は、私たちが罪深く、罪を洗い流してくれる方を必要としていることに気づく代わりに、
自分自身を尊ぶように言います。
悪魔は、私たちがしていることは良いことだと言いますが、
実際には、神から離れて「世の中を良くしよう」とする私たちの努力は、
サタンの大義に仕えているのです。
この三重の欺きのシステムには多くの側面があり、
ここでそのすべてを論じる時間はありませんが(前出の脚注を参照)、
真の神に仕えるために
(1)この世への愛を捨てること;
(2)キリストの十字架による救いを受け入れ;
(3)霊的成長、進歩、生産においてイエス・キリストに従う代わりに、
サタンの聖職者たちは、狡猾に練り上げられた偽りの教えのすべてにおいて、
必然的にこの同じ三つのテーマ、つまり霊的なことではなく物質的なことを説き、
完全な堕落ではなく自己の価値を説き、
自分たちが善とみなしていることを行うように説きます。
それからイエスは弟子たちに言われた、
「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、
自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
(マタイ16章24節)
(マルコ8章34節; ルカ9章23節参照)
艱難期のサタンの偽宗教は、この進行をかつてないほど駆使してくると予想されます。
反キリストの活動、彼の成功と偽りの奇跡は、
彼と彼の世俗的なシステムがその時代の問題を抱えた世界にとっての希望であり、
神の約束は真実ではなく、神の言っておられることは無意味だと
多くの人を説得するでしょう。(「あなたは死なない」: 第二ペテロ3章1-18節を参照)
この偽宗教の約束は、獣が「復活」したように見えるように、
死からの命と半神格を提供するものです。
(「あなたは神のようになる」;第二テサロニケ2章9-12節参照)
最後に、世界の怒り、不満、殺気を神の家族に向けることで、サタンは自分の従者たちに、
自分たちは「善いことをしている」ことを
(独善的な満足感をもって他人の破壊に進んで参加する;ヨハネ16章2節を参照)
完全に確信させることでしょう。
さらに、悪魔の嘘のシステムの進行の三つの段階全てに共通する要素は、
概念的にも、具体的にも、艱難期には悪魔は常に人々が実際に望んでいるものを、
(その望みが公けに知れ渡っているものであれ、世の中の目から十分に隠されたものであれ)
提供することに関心を払うのが見てとれるようになることでしょう。
a) その時々の政治的、経済的問題に対する具体的で目に見える解決策が
個人的な形で各人に利益を約束するなら、それはすべての強者の全体主義運動に
共通の側面でありますが、その時代の問題や不快感がこれまで以上に深刻になる分だけ、
艱難期はなおさらそうであると予想されるのです。
神はご自分の民を永遠に世話し、彼らの必要なものを日々提供すると約束しますが、
サタンは神を捨て神に従う者にこの世の豊かさを約束します。
(もちろん、悪魔は嘘をつき、提供するという約束を守ることはありませんが、
神は常に誠実で真実です。しかし神に従うには信仰が必要なのです)
b) 不死や半神の地位の約束は、昔から、
行いによる救いを基本とする多くの宗教の特徴です。
特に、獣の宗教に入らなければ迫害を受けることになり、
一方では、反キリストが死から蘇生して奇跡のしるしを行うように見えることから、
死と恐怖がかつてないほど高まる艱難期には、
この訴えがいっそうになることが説得力が増すことが予想されます。
神はその日を忍耐強く待つ民に御自分と御子との永遠の命を約束し、
サタンは神を捨てて彼に従う者にこの世の力を約束します。
(もちろん悪魔は嘘をつき、昇進させるといった約束を守ることはできませんが、
神は常に誠実で真実な方です。しかし神に従うには希望を要します)
c) 破壊を善行とみなすスケープゴート(でっち上げられた標的)は、
不信仰な世界にとって非常に魅力的であり、
世界征服を求める政治的・宗教的運動に共通する要素です。
艱難期は、かつてないほど統合された普遍的世界が形成され、
その時代に起こる恐ろしい出来事の責任をなすりつけるべき恰好の犠牲者が
必死に必要とされるようになることでしょう:
神は私たちに敵をも愛するように命じ、悪魔は、自分に敵対する者を滅ぼすとき、
自分たちは善を行っていると主張します。
(もちろん、悪魔は嘘をついており、神を捨て、悪魔を助けることによって
自滅する人々に対する真の関心はありませんが、神は私たちに真の生き方を示されます。
しかし神は従っていくには愛を要します。)
艱難期の困難、人類を欺くための前例のないレベルの悪魔の活動や偽りの教え、
不信仰な心の中にある暗闇の抑制が取り除かれることなどを合わせて考えると、
悪魔が将来の困難な時に人類を支配下に置くために前例のないほどの進歩を遂げることは、
まったく驚くことではありません。
艱難期に、サタンの方法論そのものが変わるわけではありません。
(サタンは、天使の三分の一を誘惑して以来、同じ欺く手を使っているます)[1]
むしろ、サタンは、反キリストの欺きを使って、
今以上に驚くほどはるかにうまくやりのけてしまうことでしょう。
またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、
「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。
あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。
そこでイエスは答えて言われた、
「人に惑わされないように気をつけなさい。
多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、
多くの人を惑わすであろう。
(マタイ24章3-5節)
ただ恐れるのは、エバがへびの悪巧みで誘惑されたように、
あなたがたの思いが汚されて、
キリストに対する純情と貞操とを失いはしないかということである。
というのは、もしある人がきて、わたしたちが宣べ伝えもしなかったような
異なるイエスを宣べ伝え、あるいは、あなたがたが受けたことのない違った霊を受け、
あるいは、受けいれたことのない違った福音を聞く場合に、
あなたがたはよくもそれを忍んでいる。
(第二コリント11章3-4節)
[霊的に成長しましょう…]こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、
だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、
もてあそばれたりすることがなく、
(エペソ4章14節)
悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。
(エペソ 6章11節)
あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、
人のとりこにされないように、気をつけなさい。
それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の
言伝えに基くものにすぎない。
(コロサイ2章8節)
しかし、御霊は明らかに告げて言う。
後の時(すなわち、艱難期)になると、
ある人々は、惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて、信仰から離れ去るであろう。
(第一テモテ 4章1節)
悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。
(第二テモテ 3章13節)
きよい人には、すべてのものがきよい。
しかし、汚れている不信仰な人には、きよいものは一つもなく、
その知性も良心も汚れてしまっている。
彼らは神を知っていると、口では言うが、行いではそれを否定している。
彼らは忌まわしい者、また不従順な者であって、
いっさいの良いわざに関しては、失格者である。
(テトス1章15-16節)
偽り者とは、だれであるか。
イエスのキリストであることを否定する者ではないか。
父と御子とを否定する者は、反キリストである。
(第一ヨハネ 2章22節)
この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、
全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、
その使たちも、もろともに投げ落された。
(黙示録 12章9節)
さらに(獣の偽預言者は)、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、
地に住む人々を惑わし… (黙示録 13章14節前半)
しかし、獣は捕えられ、また、この獣の前でしるしを行って、
獣の刻印を受けた者とその像を拝む者とを惑わしたにせ預言者も、獣と共に捕えられた。
そして、この両者とも、生きながら、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。
(黙示録 19章20節)
そして、[底知れぬ所の鍵を持つ天使がサタンを]底知れぬ所に投げ込み、
入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで、
諸国民を惑わすことがないようにしておいた。
その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。
(黙示録 20章3節)
千年の期間が終ると、サタンはその獄から解放される。
そして、出て行き、地の四方にいる諸国民、
すなわちゴグ、マゴグを惑わし、彼らを戦いのために召集する。
その数は、海の砂のように多い。
(黙示録 20章7-8節)
[1] 『サタンの反乱』 第1部「サタンの反乱と堕落」IV.3.b項「サタンの反逆の策略」参照。
--パート23に続く
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私達が主の御声を聞くことにおいても成長できますように。
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夏のような空になったり、曇り空になったり、
今日はどんなお天気だったか?
分からなくなるほど、変化が激しいです
そんな時、混乱してきて
体調管理もそうですが、心も不安定になりがちですね
祈りから朝を始めると、思いが中庸され
主の思いが伝わってくるように思います
今日も、主の平安がありますように
お祈りしています
この竹林の下を猫が歩いてる・・・と思ったら、タヌキでした
写真を撮ろうと思ったら、竹林の中に入ってしまいました
桑の実?
マルべリー? ハチも実の蜜を吸っているよ
の空を突き抜けて行った飛行機
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姉から破竹と
家庭菜園の玉ねぎも届きました
早速、頂きましたよ~美味しかった
ありがとう~
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表から裏からとぐるぐる元気に走り回っている
親子の柴ちゃん、こんにちは~
また来るね
今日もありがとう~