2009年7月21日(火)、館山市によって、
青木繁《海の幸》記念碑 の説明看板が設置されました。
館山市からは金丸謙一市長と商工観光課職員が、
「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会 」からは、
1904年に、青木繁・坂本繁二郎・森田恒友・福田たねを歓迎し、
ひと夏の逗留を受け入れた小谷希録家と漁村の人びとの思い。
この地の景観の素晴らしさと漁村の生活文化に惚れこみ、
日本を代表する絵画《海の幸》を描いた青木繁の思い。
この地で恋をし、身ごもり、
入籍のないまま、出産し、
青木繁を支え続けた福田たねの思い。
1961年に、記念碑を建てようと思いたち、
資金集めに奔走した田村利夫館山市長はじめ、
辻永、坂本繁二郎、河北倫明ら、画壇の人びとの思い。
1962年に建立された記念碑にこめられた、
設計者・生田勉東大教授の思い。
遺族代表として、記念碑除幕式に参列した、
青木繁の遺児、福田幸彦(蘭童)と、たね母子の思い。
1998年に、隣接した館山ユースホステルの営業停止、解体に伴い、
記念碑の撤去命令が出たときに、保存の要望運動をした
富崎地区コミュニティの皆さんの思い。
市民の熱意に応え、当該国有地を借り受け、
地代を国に払い続けることで、記念碑の保存を
英断した辻田実館山市長の思い。
この記念碑を、地区の誇りとして守っていこうと、
人びとに訴え続けた富崎地区連合区長会長・吉田昌男氏の思い。
長年の夢が叶い、
初代会長として設立を迎え、ご逝去されました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
そして、吉田会長の遺志を受け継ぎ、
記念碑周辺の草刈や整備、
そして地域活性化に尽力している地区の皆さん。
多くの皆さんの思いがひとつにつながり、
この大不況時に、金丸謙一館山市長は、
素晴らしいプレゼントを贈ってくださいました。
市民にとっても、さらに励みとなることでしょう。深謝!





