街を見てみると
土地の集合意識がわかります。
私のよく利用する駅前には
☆スーパー
☆飲食店
☆マッサージ店
☆カフェ・レストラン
☆パチンコ屋
☆ゲームセンター
☆本屋
☆洋服屋
☆コンビニ
☆ドラックスストア
☆ホームセンター
☆家電量販店
☆居酒屋
☆スナック
があります。
だいたい
☆食べたい
☆寛ぎたい
☆遊びたい
☆着たい
☆知りたい
☆生活したい
☆飲みたい
といった「何かしたい」という
想いを満たすものがございます。
街は一人ひとりの
「想い」の足し算でニーズが決まり
それを満たすものが残っています。
「想い」を満たすものに
人は喜びを抱き、お金を払います。
喜びがお金というカタチになって
相手に伝わっていくことは
とてもいいことだと感じます。
それでね。
とにかく人は
☆何かしていたい
という「想い」がございます。
生き物にとって
☆何もしない
というのは
なかなかの苦痛だったりするのです。
☆特にやることないから食べる
☆ヒマだから寝る
☆何もすることないから遊ぶ
☆せっかくの休みだから出かける
といった行為をしたりします。
そういう行為自体は
ホントに幸せならそれでいいですが
☆何もしない
という価値をおろそかにするのは
少し勿体ないところがあるのです。
☆何もしない
ということは
車で言えばニュートラル状態です。
☆何でもできる
という状態です。
逆に言えば
☆何かしている
ということは
☆それしかできない
ということです。
☆本当は何をしたいのか
☆私の天職や使命は何か
それを知りたいのであれば
ポイントは二つあります。
☆探すことをやめること
☆何もしない
ことです。
☆探すことは
外にばかり注意が向きますが
そもそも「天職」や「使命」は
外にはございません。
外じゃなくて内だ、と知っても
内を探していてはなかなか見つかりません。
そもそも
探すということは
探すことしかしないからです。
探すという行為が「天職」や「使命」でない限り、ハッピーになるのは難しいです。
☆何もしないと
内から溢れてくる「想い」を
キャッチして動くことができます。
☆トイレに行くとき
「想って」から行動するは自然ですよね。
「トイレに行く」というのは
生理現象で、特別な状況でない限り
良悪、正悪、葛藤を抱きにくい。
「しょうがない」ですむ話で、カルマが溜まりにくい行為です。
逆に言えば
かなり自然に動きやすい行為です。
だからね。
☆何もしないで
「トイレに行く」くらい自然に身体が動くことだけしてみるのです。
そして
動きが落ち着いたら、また
☆何もしない
に戻るのです。
テニスと同じ。
打ったら戻る、真ん中へ。
打ったら戻る、ニュートラルへ。
そうすると
かなり疲れにくく
生きていくことができます。
注意が一つございます。
☆何もしない
ことを頑張らないでください。
「よし、何もしなければいいんだな!」
とか頑張るとダメです。
「何もしない」ことを「する」のはダメです。
「何もしない」ことも「やめて」ください。
☆何もしない
ことを許せたとき
自然な動きが生まれてきます。
その動きが導くものが
「天職」や「使命」に繋がります。
疲れにくく
自然に動くことで成されること。
自分としては
☆何もしてない
☆ただ想いに従ってるだけ
なのに
☆人に喜ばれたり
☆感謝されたりすること
です。
冒頭にも書いたとおり
☆何かしていたい
が人の常であり、集合意識にも
カルマとしてございます。
なので
一個人が
誰のガイドも受けず実行するのは
☆言うは易し、するは難し
ではございます。
☆修行僧か
と感じることもあるので
本当に興味のある方だけ
試してみてください。