御先祖になる という感覚
定本 柳田国男集 第十巻より
御先祖になる
先祖といふ言葉の民間の意味が、新しい学問をした人の考へて居るのとは、其間に大分の開きが有るといふことを前に説いたが、その似つかはしい実例として、「御先祖になる」といふ物の言い方が有る。文句が新しく印象が強いためか、私などの小さい頃にはよく用ゐられ、学者と言ってもよい人の口からも聞いたことがある。たとへば爰に体格のしつかりとした、目の光がさわやかで物わかりのよい少年があつて、それが跡取り息子でなかつたといふ場合には、必ず周囲のものが激動して、いまならば早く立派な人になれといふ代りに、精出して学問をして御先祖になりなさいと、少しも不吉な感じは無しに、言つて聞かせたものであつた。親たちが年を取つて末の子の前途を案じて居るやうな場合にも、いやこの兒は見どころがある。きつと御先祖様になる兒だなどゝ謂つて、慰め且つ力附けるものが物が多つかた。その意味は、やがて一家を創立し又永続させて、私の家の柳田與兵衛などのやうに、新たに初代となるだけの力量を備えて居るといふことを受け合つた言葉である。人に冷飯食ひなどとひやかされた次男坊三男坊たちは、これを聞いて居てどれ位前途の望みを廣くしたかわからない。実際又明治年間の新華族といふものゝ、半分はさういふ人たちであつた。
それをもう大分久しい間、耳にする折が無くて居た私は、最近になつて偶然に、自分で御先祖になるのだといふ人に出逢つたのである。南多摩郡の丘陵地帯を、毎週の行事にして歩きまはつて居た頃に、原町田の町に住む陸川といふ、自分と同じ年配の老人と、バスを待つ間の会話をしたことがある。我が店のしるしを染めた新しい半纏を重ね、護謨の長靴をはき、長い白い髯を垂れて居るといふ変わつた風采の人だったが、この人が頻りに御先祖になる積もりだといふことを謂ったのである。生まれは越後の高田在で、母の在所の信州へ来て大工を覚えた。兵役の少し前から東京へ出て働いたが、腕が良かつたと見えて四十前後には稍〻仕出した。それから受負と材木の取引に転じ、家作も大分持つて楽に暮らしている。子供は六人とかで出征しているのもあるが、大体身が決まったからそれヾに家を持たせることが出来る。母も引き取つて安らかに見送り、墓所も相応なものが出来ている。もう爰より他へ移つて行く気はない。新たな六件の一族の御先祖になるのです。と珍しく朗らかな話をした。一時にほヾ同等の六つの家を立てゝ、おもやひ*に自分を祭らせようといふだけは、すこしばかり昔の先祖の念願とはちがふが、ともかくもそれを死んだあとまでの目標にして、後世子孫の為に計画するといふことは、たとへ順境に恵まれて他の欲望が無くなつたからだとしても、今時ちよつと類のない、古風なしかも穏健な心掛だと私は感心した。
うう歴史的仮名遣いはパソコンで打つの大変なんだね。
漢字も旧漢字で打とうと思ったけど全然進まなくなるので挫折しました…
「家」というもの「祖先」というものに対しての感覚が、もうずいぶん違ってしまった、忘れ去られてしまったわけです。
変わっていくのは仕方のないことだけど、祖先がどう思って生きていたかを記憶に留めて置きたいと思いました。
「おもやひ」とは共有財産という意味らしいです。
御先祖になる
先祖といふ言葉の民間の意味が、新しい学問をした人の考へて居るのとは、其間に大分の開きが有るといふことを前に説いたが、その似つかはしい実例として、「御先祖になる」といふ物の言い方が有る。文句が新しく印象が強いためか、私などの小さい頃にはよく用ゐられ、学者と言ってもよい人の口からも聞いたことがある。たとへば爰に体格のしつかりとした、目の光がさわやかで物わかりのよい少年があつて、それが跡取り息子でなかつたといふ場合には、必ず周囲のものが激動して、いまならば早く立派な人になれといふ代りに、精出して学問をして御先祖になりなさいと、少しも不吉な感じは無しに、言つて聞かせたものであつた。親たちが年を取つて末の子の前途を案じて居るやうな場合にも、いやこの兒は見どころがある。きつと御先祖様になる兒だなどゝ謂つて、慰め且つ力附けるものが物が多つかた。その意味は、やがて一家を創立し又永続させて、私の家の柳田與兵衛などのやうに、新たに初代となるだけの力量を備えて居るといふことを受け合つた言葉である。人に冷飯食ひなどとひやかされた次男坊三男坊たちは、これを聞いて居てどれ位前途の望みを廣くしたかわからない。実際又明治年間の新華族といふものゝ、半分はさういふ人たちであつた。
それをもう大分久しい間、耳にする折が無くて居た私は、最近になつて偶然に、自分で御先祖になるのだといふ人に出逢つたのである。南多摩郡の丘陵地帯を、毎週の行事にして歩きまはつて居た頃に、原町田の町に住む陸川といふ、自分と同じ年配の老人と、バスを待つ間の会話をしたことがある。我が店のしるしを染めた新しい半纏を重ね、護謨の長靴をはき、長い白い髯を垂れて居るといふ変わつた風采の人だったが、この人が頻りに御先祖になる積もりだといふことを謂ったのである。生まれは越後の高田在で、母の在所の信州へ来て大工を覚えた。兵役の少し前から東京へ出て働いたが、腕が良かつたと見えて四十前後には稍〻仕出した。それから受負と材木の取引に転じ、家作も大分持つて楽に暮らしている。子供は六人とかで出征しているのもあるが、大体身が決まったからそれヾに家を持たせることが出来る。母も引き取つて安らかに見送り、墓所も相応なものが出来ている。もう爰より他へ移つて行く気はない。新たな六件の一族の御先祖になるのです。と珍しく朗らかな話をした。一時にほヾ同等の六つの家を立てゝ、おもやひ*に自分を祭らせようといふだけは、すこしばかり昔の先祖の念願とはちがふが、ともかくもそれを死んだあとまでの目標にして、後世子孫の為に計画するといふことは、たとへ順境に恵まれて他の欲望が無くなつたからだとしても、今時ちよつと類のない、古風なしかも穏健な心掛だと私は感心した。
うう歴史的仮名遣いはパソコンで打つの大変なんだね。
漢字も旧漢字で打とうと思ったけど全然進まなくなるので挫折しました…
「家」というもの「祖先」というものに対しての感覚が、もうずいぶん違ってしまった、忘れ去られてしまったわけです。
変わっていくのは仕方のないことだけど、祖先がどう思って生きていたかを記憶に留めて置きたいと思いました。
「おもやひ」とは共有財産という意味らしいです。