うしろむきなひと
「新聞。読まないの?」
「うん、お金ないし。」
「新聞くらい取れるでしょ。」
「取れるけど。」
「政治とかさ、国際情勢とか、興味ないの?」
「無いね」
「自分に関わるのに。」
「だって、明日死んでもかまわないし。」
「世界が平和になればいい、とか、思わないわけ?」
「思うよ。」
「思うけど、無理だもの。」
そう言って彼は、へら、と笑った。
________________
つかまりませんように。
「うん、お金ないし。」
「新聞くらい取れるでしょ。」
「取れるけど。」
「政治とかさ、国際情勢とか、興味ないの?」
「無いね」
「自分に関わるのに。」
「だって、明日死んでもかまわないし。」
「世界が平和になればいい、とか、思わないわけ?」
「思うよ。」
「思うけど、無理だもの。」
そう言って彼は、へら、と笑った。
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つかまりませんように。
始まる日
「何がはじまるの」
知らない、知らないよ。
僕は笑ってそう答えると、何かが始まるんだよ、と口を動かした。
彼女には、説明できなかった。
彼女はとても不安そうな顔で僕の方を見た。
僕はなにも言えなかった。
「どうすれば、いいの。」
「どうすれば、いいの。」
彼女は取り乱して、
寝ている僕の周りを歩き回った。
僕は白い天 井ばかりみていて、
彼女の黒い髪を、思い浮かべた。
外には何があるんだろう。
もう
見えない。
彼女は今にも泣きそうな顔で、笑った。
僕の声は、彼女に全部あげるから。
「生きていればいいんだよ。」
知らない、知らないよ。
僕は笑ってそう答えると、何かが始まるんだよ、と口を動かした。
彼女には、説明できなかった。
彼女はとても不安そうな顔で僕の方を見た。
僕はなにも言えなかった。
「どうすれば、いいの。」
「どうすれば、いいの。」
彼女は取り乱して、
寝ている僕の周りを歩き回った。
僕は白い天 井ばかりみていて、
彼女の黒い髪を、思い浮かべた。
外には何があるんだろう。
もう
見えない。
彼女は今にも泣きそうな顔で、笑った。
僕の声は、彼女に全部あげるから。
「生きていればいいんだよ。」
世界の在処
唐突に私は、私の下の地面が無くなって行くのを感じた。
それは、まるで落ちてゆく瞬間のような無重力感で、
私はむずがゆさを感じる。
それはきっと絶望なので、私はそれを無視した。
でもたとえばもうこれからずっと私に地面が無いとしたら
私は落ち続けてゆくのだろうか。
底なんてないと、私は知っている。
「どんぞこのしたはじめんだよ」
と誰かが言ったけれど
底のないものだってこの世にはあるんだってことを
私は知っている。
知っているけど、本当は知りたくなかった。
その気になればどこまでも落ちてゆけるんだよ。
「どうせ世界は砂の味」
でもとりあえずそんなことは置いておいて、
目の前のことだけやっていれば
そのうちきっとお迎えが来てくれる。
そのうちきっと。
それは、まるで落ちてゆく瞬間のような無重力感で、
私はむずがゆさを感じる。
それはきっと絶望なので、私はそれを無視した。
でもたとえばもうこれからずっと私に地面が無いとしたら
私は落ち続けてゆくのだろうか。
底なんてないと、私は知っている。
「どんぞこのしたはじめんだよ」
と誰かが言ったけれど
底のないものだってこの世にはあるんだってことを
私は知っている。
知っているけど、本当は知りたくなかった。
その気になればどこまでも落ちてゆけるんだよ。
「どうせ世界は砂の味」
でもとりあえずそんなことは置いておいて、
目の前のことだけやっていれば
そのうちきっとお迎えが来てくれる。
そのうちきっと。
人を殺す夢
あの日あの時聴いた音は、多分二度と帰っては来ないけれど、私は確かに、あの時絶望していた。
彼の音の総てが、まるで私の二歩も三歩も先を行っていて、私はどうしてもその音に成ることは出来なかった。彼の様な音を出したいと、心の底から嫉妬し、羨望し、それから絶望した。私は彼にはなれない。
あの時私は世界のことが嫌いだった。自分とは相容れないものとしての世界は、何故か美しく見えたりしていたけれど、結局のところ、私は私が嫌いだったのだ。世界とは自分なのだから。
だから彼の音を聞いたとき、彼は間違いなく私と同じ世界を見ているのだろう、と思った。私より深いその絶望、憎悪、悲壮、残酷、あらゆる負の寛恕がほとばしっていたので、私は彼に興味を持った。
レッスン室に差し込む光が、殆ど物体の色を反射せずに流れ込んでくる。光の当たっている場所だけ、真っ白く見えた。私はいつも通り退屈な教師の戯言を聞き流しながら、窓を見ていた。世界が眩しく、殆ど何も見えなかった。
「四季さん、ちゃんと聞きなさい。」
「聞いていますよ、先生。」
見れば見るほど反吐の出るような彼女の顔を見ると、明らかに不機嫌な顔をしていた。私はその理由も分かっていたし、これから来るだろう言葉も予想できたので、不機嫌になった。
「いいですか、貴方は…貴方は不真面目すぎます。そんなに私が気にくわないのなら、もう出て行って結構です。レッスンの先生は、変えていただきましょう。」
私はあの時の彼の音を思い出しながら、無言で楽器をかたづけた。それから教師をにらむように一瞥して、レッスン室を出て行った。
「四季、また追い出されたの?」
「…なんか用?」
「何人目?」
「なんで話しかけるの?」
「会話に成ってないね。」
歩いている私に話しかけてきたクラスメートの京子は、そう言って肩をすくめた。彼女はその場で立ち止まる。私は歩き続けた。後ろから
「私、貴方に嫉妬してるから。」
と声が聞こえた。多分私の問いかけに対する答えだろう。私はその声を聞いてはいたが、立ち止まる気にはなれなかった。
あの日以来、彼の音を聞く機会がなかった。同じ大学で、同じ学年で、同じヴァイオリン科専攻なのに、会うこともなかった。でも彼を見つけてどうするというのだろう。話しかける?まさか。見つめているだけ?そんなのはあり得ない。では何を。
しかし私は明くる日、その機会を得た。バスを待っていると、彼が後ろに並んだ。彼は楽器を持っていなかった。
「あの、楽器は。」
驚いたことに私の口は知らないうちに動いていた。彼は一瞬驚いた顔をして、ゆっくり微笑んだ。
「もう楽器は、弾かないことに決めたんです。」
「なんで?」
私の声は反射的に叫び声のようになっていて、さらに彼の服をひっつかんでいた。酷くばつが悪かったが、もう、どうしようもなかった。
「僕の楽器が、人を殺したからです。」
「僕の父も、音楽家で、そこそこ名の売れた人物でした。」
聞くと私も知る有名なヴァイオリニストで、私も何枚かCDを持っていた。
「常日頃から僕に…『才能のない芸術家は、存在する意味がない』と言っていました。」
夕暮れの公園で缶コーヒーを飲みながら、彼の語る話に呆然と耳を傾けた。いったいこの話の着地点はどこなのかと、疑問に思いながら。
「それでこの前…演奏会の後に、父親が、僕に言ったんです。「お前はどうやら私より才能がある。」と。」
一瞬間をおいて、彼は続けた。
「その翌日に。」
「四季。」
「…京子。」
「変わったね。」
「…なにが。」
「うーん、総てが。」
「でも僕は、父の気持ちがちっとも分からないのです。」
彼は顔を覆った。泣いているのかもしれなかった。でも私は言った。
「解らなくて、いいと思います。」
私はこれがどんなに残酷な言葉か、知っていた。
「変わったって、どういうことよ。」
「うん、会話が、成立するように成ったかな。」
京子は無邪気に笑って、食べかけのハニートーストを頬張った。私は窓の外を眺め、相変わらず白い世界を見ていた。
彼がぐったりとうなだれたまま動かないので、私はもっと残酷な言葉を吐いてやろうと逡巡した。逡巡するまでもなく、私はその言葉を持っていた。
「私がいつか、解らせてあげましょうか。」
こんなやつ、つぶれてしまえばいい。自分に才能があるのかどうか解らなかったけど、私はその日から、狂ったように練習を始めた。
「君は、前の先生から聞いた話とはまるで違うね。」
新しいレッスンの教師は満足そうにそう呟いた。あぁ、どうして前からこうしなかったのだろう。教師なんて、使えばいいのだ。幸い彼は、私の演奏の方向性については何も言わなかった。優秀な彼は、私の必要とする情報だけを与えてくれた。
「でもね、君は欠けている。」
「何がですか。」
ある日突然彼がそういったので、私は驚いた。同時に、またか、という気分でうんざりした。そういった抽象的な精神論は、もう聞き飽きていたのだ。
「精神的なものさ。」
「たとえば。」
「そうだなぁ、慈愛、かな。」
「はぁ。」
「アガペーとも、言うね。」
そんな言葉は、高校の倫理の時間以来聞いていなかった。
「卒業演奏会、何弾くの。」
「ニールセン。」
舞台袖で、私は彼の演奏を見ていた。本当は見ていたくは無かったし、聞きたくも無かったけれど、演奏順が彼の次だったから仕方ない。
私はもう、彼の音に絶望しなかったし、指先も震えなかった。
彼の演奏はすばらしく、演奏終了後には割れそうなほどの拍手がわき起こっていた。私はその拍手のなかを歩き、舞台中央で立ち止まった。しん、と静まりかえる。私は、もう堅くなって何も感じなくなったはずの指先を、弦に食い込ませるように押しつけた。微かな痛みが、私の記憶を洗った。
「初めて、父の気持ちがわかりました。」
翌日、彼は自殺した。私は私の叫び声がどこかとおくで響いているのを感じ、眼を閉じた。真っ暗だ。京子の声が聞こえた。私はなにか酷いことを言って、彼女の泣く声が聞こえた。総ては私の範疇のそとで起こっていた。何度も手を打ち付けて、使えなくなればいいと思った。制止する京子の声と手の感触がとても現実とは思えなかった。
「四季、私、もうだめ。」
私は無表情にそれを聞く。
「もう、ついて行けない。」
世界は白い。
「ごめん、ごめん。こんな、こんな…。」
「もういいよ、京子。」
私の口から出た一言は限りなく穏やかだった。京子は泣きながらレッスン室から出て行く。私はその背中を目で追って、ドアが閉まるのを確認してから、楽器を構えた。
__________________________
実際、映画撮るための脚本のプロットです。
彼の音の総てが、まるで私の二歩も三歩も先を行っていて、私はどうしてもその音に成ることは出来なかった。彼の様な音を出したいと、心の底から嫉妬し、羨望し、それから絶望した。私は彼にはなれない。
あの時私は世界のことが嫌いだった。自分とは相容れないものとしての世界は、何故か美しく見えたりしていたけれど、結局のところ、私は私が嫌いだったのだ。世界とは自分なのだから。
だから彼の音を聞いたとき、彼は間違いなく私と同じ世界を見ているのだろう、と思った。私より深いその絶望、憎悪、悲壮、残酷、あらゆる負の寛恕がほとばしっていたので、私は彼に興味を持った。
レッスン室に差し込む光が、殆ど物体の色を反射せずに流れ込んでくる。光の当たっている場所だけ、真っ白く見えた。私はいつも通り退屈な教師の戯言を聞き流しながら、窓を見ていた。世界が眩しく、殆ど何も見えなかった。
「四季さん、ちゃんと聞きなさい。」
「聞いていますよ、先生。」
見れば見るほど反吐の出るような彼女の顔を見ると、明らかに不機嫌な顔をしていた。私はその理由も分かっていたし、これから来るだろう言葉も予想できたので、不機嫌になった。
「いいですか、貴方は…貴方は不真面目すぎます。そんなに私が気にくわないのなら、もう出て行って結構です。レッスンの先生は、変えていただきましょう。」
私はあの時の彼の音を思い出しながら、無言で楽器をかたづけた。それから教師をにらむように一瞥して、レッスン室を出て行った。
「四季、また追い出されたの?」
「…なんか用?」
「何人目?」
「なんで話しかけるの?」
「会話に成ってないね。」
歩いている私に話しかけてきたクラスメートの京子は、そう言って肩をすくめた。彼女はその場で立ち止まる。私は歩き続けた。後ろから
「私、貴方に嫉妬してるから。」
と声が聞こえた。多分私の問いかけに対する答えだろう。私はその声を聞いてはいたが、立ち止まる気にはなれなかった。
あの日以来、彼の音を聞く機会がなかった。同じ大学で、同じ学年で、同じヴァイオリン科専攻なのに、会うこともなかった。でも彼を見つけてどうするというのだろう。話しかける?まさか。見つめているだけ?そんなのはあり得ない。では何を。
しかし私は明くる日、その機会を得た。バスを待っていると、彼が後ろに並んだ。彼は楽器を持っていなかった。
「あの、楽器は。」
驚いたことに私の口は知らないうちに動いていた。彼は一瞬驚いた顔をして、ゆっくり微笑んだ。
「もう楽器は、弾かないことに決めたんです。」
「なんで?」
私の声は反射的に叫び声のようになっていて、さらに彼の服をひっつかんでいた。酷くばつが悪かったが、もう、どうしようもなかった。
「僕の楽器が、人を殺したからです。」
「僕の父も、音楽家で、そこそこ名の売れた人物でした。」
聞くと私も知る有名なヴァイオリニストで、私も何枚かCDを持っていた。
「常日頃から僕に…『才能のない芸術家は、存在する意味がない』と言っていました。」
夕暮れの公園で缶コーヒーを飲みながら、彼の語る話に呆然と耳を傾けた。いったいこの話の着地点はどこなのかと、疑問に思いながら。
「それでこの前…演奏会の後に、父親が、僕に言ったんです。「お前はどうやら私より才能がある。」と。」
一瞬間をおいて、彼は続けた。
「その翌日に。」
「四季。」
「…京子。」
「変わったね。」
「…なにが。」
「うーん、総てが。」
「でも僕は、父の気持ちがちっとも分からないのです。」
彼は顔を覆った。泣いているのかもしれなかった。でも私は言った。
「解らなくて、いいと思います。」
私はこれがどんなに残酷な言葉か、知っていた。
「変わったって、どういうことよ。」
「うん、会話が、成立するように成ったかな。」
京子は無邪気に笑って、食べかけのハニートーストを頬張った。私は窓の外を眺め、相変わらず白い世界を見ていた。
彼がぐったりとうなだれたまま動かないので、私はもっと残酷な言葉を吐いてやろうと逡巡した。逡巡するまでもなく、私はその言葉を持っていた。
「私がいつか、解らせてあげましょうか。」
こんなやつ、つぶれてしまえばいい。自分に才能があるのかどうか解らなかったけど、私はその日から、狂ったように練習を始めた。
「君は、前の先生から聞いた話とはまるで違うね。」
新しいレッスンの教師は満足そうにそう呟いた。あぁ、どうして前からこうしなかったのだろう。教師なんて、使えばいいのだ。幸い彼は、私の演奏の方向性については何も言わなかった。優秀な彼は、私の必要とする情報だけを与えてくれた。
「でもね、君は欠けている。」
「何がですか。」
ある日突然彼がそういったので、私は驚いた。同時に、またか、という気分でうんざりした。そういった抽象的な精神論は、もう聞き飽きていたのだ。
「精神的なものさ。」
「たとえば。」
「そうだなぁ、慈愛、かな。」
「はぁ。」
「アガペーとも、言うね。」
そんな言葉は、高校の倫理の時間以来聞いていなかった。
「卒業演奏会、何弾くの。」
「ニールセン。」
舞台袖で、私は彼の演奏を見ていた。本当は見ていたくは無かったし、聞きたくも無かったけれど、演奏順が彼の次だったから仕方ない。
私はもう、彼の音に絶望しなかったし、指先も震えなかった。
彼の演奏はすばらしく、演奏終了後には割れそうなほどの拍手がわき起こっていた。私はその拍手のなかを歩き、舞台中央で立ち止まった。しん、と静まりかえる。私は、もう堅くなって何も感じなくなったはずの指先を、弦に食い込ませるように押しつけた。微かな痛みが、私の記憶を洗った。
「初めて、父の気持ちがわかりました。」
翌日、彼は自殺した。私は私の叫び声がどこかとおくで響いているのを感じ、眼を閉じた。真っ暗だ。京子の声が聞こえた。私はなにか酷いことを言って、彼女の泣く声が聞こえた。総ては私の範疇のそとで起こっていた。何度も手を打ち付けて、使えなくなればいいと思った。制止する京子の声と手の感触がとても現実とは思えなかった。
「四季、私、もうだめ。」
私は無表情にそれを聞く。
「もう、ついて行けない。」
世界は白い。
「ごめん、ごめん。こんな、こんな…。」
「もういいよ、京子。」
私の口から出た一言は限りなく穏やかだった。京子は泣きながらレッスン室から出て行く。私はその背中を目で追って、ドアが閉まるのを確認してから、楽器を構えた。
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実際、映画撮るための脚本のプロットです。
眠るひと
「レクイエムでもかけようか」
そう言って彼が笑ったので、私はとても、面白く思った。
「これから寝るって人に、ずいぶん縁起悪いね。」
私は眼を閉じてそう言って、襲ってくる眠気に耳を傾けた。
「だからだよ。君が僕をおいて寝ようとするんだもの。」
「そっちは朝でしょう。なに、『怒りの日』とかかけてくれやがるわけ。」
「いや、『涙の日』」
「超縁起悪い。」
目の前が暗くなったので、私の唇は自動的に「おやすみ」を呟き、私の指は通話の終了を押した。
彼の「おやすみ」を聞きながら、私はその声が朝までずっと続けばいいと思った。
私はその秘密を知っている。
知っているのと、実際の行動はまた別の話なので、私はゆっくりとどこかに沈んでいった。
彼のおはようを聞くために。
そう言って彼が笑ったので、私はとても、面白く思った。
「これから寝るって人に、ずいぶん縁起悪いね。」
私は眼を閉じてそう言って、襲ってくる眠気に耳を傾けた。
「だからだよ。君が僕をおいて寝ようとするんだもの。」
「そっちは朝でしょう。なに、『怒りの日』とかかけてくれやがるわけ。」
「いや、『涙の日』」
「超縁起悪い。」
目の前が暗くなったので、私の唇は自動的に「おやすみ」を呟き、私の指は通話の終了を押した。
彼の「おやすみ」を聞きながら、私はその声が朝までずっと続けばいいと思った。
私はその秘密を知っている。
知っているのと、実際の行動はまた別の話なので、私はゆっくりとどこかに沈んでいった。
彼のおはようを聞くために。
アルト
「変なメロディ。」
「中音部だからねぇ、どうしたって変になるさ。」
そんな言葉を言った彼は、あからさまに笑ったので、わたしは酷く気分を害した。彼の笑う声は、あまり好きではない。うざったいのだ。
「あぁ、君は僕が笑うの嫌いだったね」
彼の声は、変に響く。音声が、二重だ。普通は倍音に成って聞こえるのに、彼のは微妙に和音になっていて、聞いていて心地がいい。
「歌えばいいのに。」
「昔は歌ったよ。」
「今は?}
「歌わない。」
「なんで」
彼は、少しつまらない息を吐いたので、私はほおづえをついた。彼は楽器を構えて、同じメロディを繰り返した。ひしゃげたメロディラインが、なんとなく寂しそうに感じられたのは、しばらく経ってからで、私は彼を、愛した。
「中音部だからねぇ、どうしたって変になるさ。」
そんな言葉を言った彼は、あからさまに笑ったので、わたしは酷く気分を害した。彼の笑う声は、あまり好きではない。うざったいのだ。
「あぁ、君は僕が笑うの嫌いだったね」
彼の声は、変に響く。音声が、二重だ。普通は倍音に成って聞こえるのに、彼のは微妙に和音になっていて、聞いていて心地がいい。
「歌えばいいのに。」
「昔は歌ったよ。」
「今は?}
「歌わない。」
「なんで」
彼は、少しつまらない息を吐いたので、私はほおづえをついた。彼は楽器を構えて、同じメロディを繰り返した。ひしゃげたメロディラインが、なんとなく寂しそうに感じられたのは、しばらく経ってからで、私は彼を、愛した。
君にも働く万有引力
「剥かないの?」
「は?」
「りんご。」
丸ごとリンゴをかじる、彼女。何となく、口の奥が酸っぱくなる、様な気がする。
「毒ってわけじゃないでしょ。洗ったし。」
「そういう事じゃないよ。」
切らないって事は、分けないってことでしょう。
「欲しけりゃまだあるよ。台所。」
「そう言うことを言ってるんじゃないよ。」
彼女は、しゃりしゃりと音を立ててリンゴを食べる。私もそれが欲しくなって、台所に向かう。ぺかぺかと不自然に輝く赤色が世界だといいのに、と思いながら。
「君は、理系じゃないもんね。」
「なんだよ。」
「ニュートン、だよ。」
「知ってるよ。それって、小学生の知恵じゃない。」
「はははっ」
彼女は食べ終わって芯だけになったリンゴをゴミ箱に向かって投げた。
「我々は、重力の仕組みをしっていても、重力から自由になれるって事はないよ。」
「あぁ、それ、『アメリカの伯父さん』でしょ。」
私は笑って、そのまま黙った。
唇も耳も音も、重力に負けてしまった。
「は?」
「りんご。」
丸ごとリンゴをかじる、彼女。何となく、口の奥が酸っぱくなる、様な気がする。
「毒ってわけじゃないでしょ。洗ったし。」
「そういう事じゃないよ。」
切らないって事は、分けないってことでしょう。
「欲しけりゃまだあるよ。台所。」
「そう言うことを言ってるんじゃないよ。」
彼女は、しゃりしゃりと音を立ててリンゴを食べる。私もそれが欲しくなって、台所に向かう。ぺかぺかと不自然に輝く赤色が世界だといいのに、と思いながら。
「君は、理系じゃないもんね。」
「なんだよ。」
「ニュートン、だよ。」
「知ってるよ。それって、小学生の知恵じゃない。」
「はははっ」
彼女は食べ終わって芯だけになったリンゴをゴミ箱に向かって投げた。
「我々は、重力の仕組みをしっていても、重力から自由になれるって事はないよ。」
「あぁ、それ、『アメリカの伯父さん』でしょ。」
私は笑って、そのまま黙った。
唇も耳も音も、重力に負けてしまった。
夕焼け
夕焼けが、世界を焼き切ってゆく。
「夕日は何故赤いの」
「ちょっと科学的な話なんだけどね、空気中の不純物で他の色の光が、屈折してるんだ」
「へぇ。」
「だからね、夕日が赤いのは、空気が汚いって事なんだよ。」
彼がフィルムカメラで、長回しして夕日を撮っていた。彼は何かを救ってゆくかわりに、何かを見捨ててゆく。
私は、そのカメラに声が入ってしまった事に少し罪悪感を感じながら、黙っていなければ成らないように思った。
そして私は、そのまま世界が焼けしてしまうことを、祈るのだ。
「夕日は何故赤いの」
「ちょっと科学的な話なんだけどね、空気中の不純物で他の色の光が、屈折してるんだ」
「へぇ。」
「だからね、夕日が赤いのは、空気が汚いって事なんだよ。」
彼がフィルムカメラで、長回しして夕日を撮っていた。彼は何かを救ってゆくかわりに、何かを見捨ててゆく。
私は、そのカメラに声が入ってしまった事に少し罪悪感を感じながら、黙っていなければ成らないように思った。
そして私は、そのまま世界が焼けしてしまうことを、祈るのだ。
音符
彼の目には音符が見えた。絶対音感があるという訳ではなく、その音がソなのかラなのかといった違いも分からなかったし、ましてやシとシのフラットの違いすらも分からなかった。彼は音楽に関わったことが亡く、これからも特に関わろうという気持ちはなかった。
その音符は誰にでも見える物だと思っていたら、そうではないらしい。人に聞いても不思議そうな顔をされるので、彼は成長してからは誰にも「音符が見えますか」などとは聞かないようにした。
彼が町中を歩いていると、所々に音符が浮遊していた。音符の発信源に成っているひとに聞いてみたりしたけれども、彼らが音楽を聴いているとか、音楽を思い浮かべていたとかのわかりやすい一貫性は無かったので、彼はがっかりし、彼自身が狂って居るのではないかと絶望した。
ある日、彼は尋常じゃない数の音符が町中にあふれているのに気がついた。
「何か起こっているのですか。」
彼は他の人には音符が見えないと言うことを忘れて一人の男性に声をかけた。男性は笑った。
「いつものこの通りと何かが違うというのですか。そんな馬鹿な」
彼はその言葉を聞いてがっかりして、歩き出そうとした。すると声をかけた男は彼の肩を掴んだ。彼はびっくりして振り返ると、男は奇妙な笑いを浮かべていたので、彼は恐ろしくなって目をぎゅっとつぶった。
再び目を開けると、彼は見知らぬ場所に居た。正確には知っている世界にいたが、様子がおかしかった。彼には音符など見えなかったし、歩いている人の様子もおかしかった。誰もが、彼など居ないように通り過ぎてゆく。驚いたことに、彼には実体がないらしく、人が彼の体を通り抜けてゆくのだ。
彼は自分が消える不安を感じ、体に触れて存在を確かめようとした。確かめるべき体が無く、彼は発狂しそうに頭を抱えてしまった。
「誰か、誰か、誰か、誰か。」
誰かを求めようとはしたけれど、誰かを求めて、何をしようというのだろう。彼にはもう他の音が聞こえなくて、実体がなくて、触覚も無くなってしまったのに。
おおきなはくしゅがきこえる。
その音符は誰にでも見える物だと思っていたら、そうではないらしい。人に聞いても不思議そうな顔をされるので、彼は成長してからは誰にも「音符が見えますか」などとは聞かないようにした。
彼が町中を歩いていると、所々に音符が浮遊していた。音符の発信源に成っているひとに聞いてみたりしたけれども、彼らが音楽を聴いているとか、音楽を思い浮かべていたとかのわかりやすい一貫性は無かったので、彼はがっかりし、彼自身が狂って居るのではないかと絶望した。
ある日、彼は尋常じゃない数の音符が町中にあふれているのに気がついた。
「何か起こっているのですか。」
彼は他の人には音符が見えないと言うことを忘れて一人の男性に声をかけた。男性は笑った。
「いつものこの通りと何かが違うというのですか。そんな馬鹿な」
彼はその言葉を聞いてがっかりして、歩き出そうとした。すると声をかけた男は彼の肩を掴んだ。彼はびっくりして振り返ると、男は奇妙な笑いを浮かべていたので、彼は恐ろしくなって目をぎゅっとつぶった。
再び目を開けると、彼は見知らぬ場所に居た。正確には知っている世界にいたが、様子がおかしかった。彼には音符など見えなかったし、歩いている人の様子もおかしかった。誰もが、彼など居ないように通り過ぎてゆく。驚いたことに、彼には実体がないらしく、人が彼の体を通り抜けてゆくのだ。
彼は自分が消える不安を感じ、体に触れて存在を確かめようとした。確かめるべき体が無く、彼は発狂しそうに頭を抱えてしまった。
「誰か、誰か、誰か、誰か。」
誰かを求めようとはしたけれど、誰かを求めて、何をしようというのだろう。彼にはもう他の音が聞こえなくて、実体がなくて、触覚も無くなってしまったのに。
おおきなはくしゅがきこえる。
その息は甘く
息が、凍るような寒さで、白く、残ってゆく。さくさくと、並んで雪を踏むと、やたらと軽快に、君は笑う。
「チョコレートを、食べているの。」
君はそう笑って、にこにこ口を動かした。
「こんな寒い日に、チョコなんて食べてたら、凍るよ。」
素直にそう言うと、君はもぐもぐ口を動かして、それを飲み込んでしまった。
「体の中はあったかいから、とけたままだよ。」
君が話すと、チョコの香り。甘い、甘い、甘い。
息は甘く、空中に残って、
消える。
「チョコレートを、食べているの。」
君はそう笑って、にこにこ口を動かした。
「こんな寒い日に、チョコなんて食べてたら、凍るよ。」
素直にそう言うと、君はもぐもぐ口を動かして、それを飲み込んでしまった。
「体の中はあったかいから、とけたままだよ。」
君が話すと、チョコの香り。甘い、甘い、甘い。
息は甘く、空中に残って、
消える。
