溶岩大地のはるか向こうに見えているのが、フアラライ山です!。のっぺりとして見えますが、標高2521メートル。
ALOHA!
フアラライといえば、コナの海沿いの道路から、ずっと横に見えている、「恥ずかしがり屋」の山。
いつも、フアラライの上には雲が被ってる。だから、なかなか姿を見せないという意味で、あだ名は恥ずかしがりやさん。
今回のフアカイでは、こちらのフアラライの山頂まで登るというのが、ある意味メインイベントだった。
しかし、自然環境保護の観点から入場の規制があり、一度に入山出来るのはガイドさんを含め20人。
その為、私たちは約30人の団体なので、10人は海側に残り、海での研修を行うことになっていた。
その、海に残る10人は、立候補で決めます。
地元のハワイアンの皆さんが、このフアカイの企画を沢山してくれた、そして、分からない事だらけの私たち日本人のお世話を本当に色々としてくれている。
ここはひとつ、私は海に残り、カマアイナの皆さんに行って貰うべきだろうと思い、海に残る組に立候補しました。
実は・・・もう一つ。私は普段から酸欠気味の高山病チックなので、2500メートルで頭痛が出たらマズいな…というのと、あと、、、kipaepaeで踊ってから、左足を地面につけると少し痛かった。原因不明で今は治ってます。これは行くな!のサインかなと、海の研修チームに立候補をした。
だが、翌朝のミーティングで、海のチームに私の名前が消えていた。「記入もれかな?」と思いきや、その後人数の調整が入り、「ネオーミさん」←外国の人がナオミと言うと、ネオーミになることが多い… と、もう一人若者が繰り上げ当選?!で、フアラライチームに入っていたのだ。
あれ??「やっぱ、行け!」のサイン??
と思い、有り難く行かせて頂くことに。
トイレも何も無い場所なので、色々な体調の不安はありつつも、もう準備して行くしかない!…多分なんとかなるだろう。。
溶岩のゴツゴツ道を、四駆で注意深く走る。右側に落ちたら、転落です。たまに大きなpōhaku(石)を手でどけながら進んで行きます。
しかし、運転をしてくださったカイナナさん👱🏽♀️には感謝してもしきれません。。うら若き乙女がこんなに激しい道を逞しく運転してくれた!。
オヘロ
ママネ
アアリイ
なかなか見られない植物の宝庫。
途中、フアラライのモヤの中でランチ。
私たちは、様々な場所で儀式を行い、フラやオリを奉納するのですが、それらの式次第を決める時、日本人はどんなことを意識しますか?という質問がありました。
私は、個人的な感想ではあるが、日本人は、先祖や周りのコミュニティは大切にしています、しかし、こうした儀式や祭壇を作るテーマには、割と個人的な浄化とか、自己が乗り超えるべくテーマがスムーズと行くことを祈る場合が多いです。、と答えた。
しかし、アンティ(クプナさん)のお話では、やはり先祖無くしては自分達の存在はあり得ないのだから、彼ら(akua)を感じる事なしには何もない…とお話しされていた。儀式に於いてもそこは1番大切に語っていらした。
その通りです。
前回までのブログで、私は土地と繋がることの大切さを書いて来たが、土地というのもまた、イコール
=先祖そのもの でもあります。
私たちは死ぬと、土に埋められます。そして土に還り、その子孫はその土から生まれた植物や動物を食べる。つまり、命は循環してグルグルと廻っている、これぞ輪廻転生そのものである。
日本に於いては、死んだら火葬し骨壷に入れられてしまう。しかしそれでは自然循環から外れて土の栄養になれない。ほんのわずかな火葬場の煙となった部分だけが空に舞い、循環に混ざる事が出来る。
クレーター状になっており、おそらく、こちらが元火口。こちらでフラとオリを奉納し、先祖や土地の神へ感謝を表した。
すると、私の心臓が急にバクバクし始めた(※高山病のそれとは感触が違います)。
あ、これは… 何かが来ている、何か霊が。。
誰の霊かはわからなかったが、霊が反応したのが分かった。
ここは、Kū とHinaの家。
そしてフアラライは、コナの母と言われる。
コナという土地が出来たのは、フアラライが噴火したからである。フアラライが、コナを生んだ。
こうした現代に於ける土地が出来て行く地学的な現象、イベントには、全て神が登場し、今も神話で讃えられているのがHawai'iです。
私は地理の専門なので、Hawai'iという場所を単に地理的に調査したり解釈する事自体は可能だと思っています。
しかし、Hawai'iでは、こうした神話を越えた自然現象の役割一つ一つを神の役割と捉え、出来上がった土地そのものを神そのものであると捉えている場合、外国人である者が土地の研究をするというのは、直接これを聞いた訳では無いが、恐らく歓迎されないだろうと強く感じる。
なぜなら、Hawai'ianが、土地に纏わる神について学んで来たその方法で、現在も平和に人々が生きられて居るのなら、わざわざアカデミックな研究を外部の者が行う必要はなく、地元の研究者が地元の神話と共に研究を進めることが、1番自然だと考えられる。
正直、文化・民俗地理の観点からすると、この、神というスピリチュアルな存在がその土地を理解する第一歩であるという、その様な特徴を追求することこそが学問の焦点ではあるのだが、
今回の旅で、Hawai'iの土地は、Hawai'i人そのものであると理解をすると、1番大切な部分はカプとして秘密にしておく風習が今も僅かながら残るHawai'iに於いて、外国の私たちがHawai'iを余りに知りたがること自体がカプなのでは無いだろうかと思う様になった。
私たち日本人は、Hawai'iが好きです。
その気持ちに答えてクムやその周りの方達は、私たちの叡智が拡がる様なフラやオリを教えてくれた。
しかしそれ以上の余りに深い何かを知った所で、私たちはHawai'ianでは無い。私たちはそれを知った所でHawai'iの土地に、本当の意味でマナを還せないのだ。
日本で言う先祖神と繋がるお墓での法事を、わざわざHawai'iでやりませんよね、ということ…。
私たちはこういうことを、今後は自分を生かしてくれている日本の土地でやらなくてはならない。
つまり、これまで教えてくれたことに感謝をして、どこかの地点で「知りたがる」という気持ちにパウ(終わる)しないといけないのではないかと今回私は感じたのです。
これまで教えてくれた沢山のフラとオリを今後更に深めるだけでも、私には十ニ分の回路の拡がりを与えられると感じることでしょう。
フアラライ、
Kū とHinaが暮らした場所。
戦いと癒し。
今回のフアカイは、私にとって普段の旅とは違った。いつもの私にとって旅は現実からのトリップで、癒しだけを求めていた。しかし今回の旅は、どちらかと言えば自分を乗り越える為のKūであった。
そして人生も同じ。
ここ6年程、単に好きな事を追求しているだけだったのに、気付くと、わざわざしなくても良い様な大変なことに挑戦している自分がいた。自分の中のHinaは、いつのまにかKūへと変貌していたのです。
それは、私に必要だったからそうなったのですが。
しかし、今回のフアカイで感じた。
また、Hinaに戻りたい。
そして、もう私は自分と戦うKūになるのは、もはや逆に不自然に感じて来たのだ。この分岐点は人それぞれだと思います。
年齢や体力というのもある。しかし、それだけでは無い。
もう、これまでに自分が培ったもので生きていこうと思うのだ。「まだ足りない!まだ足りない!」とインプットして、常に知識欲でガツガツするのではなく、自分がやって来たことが仮に完璧じゃなくても、今度は溶岩の様に滔々と出すことに専念しようと思う。
現実世界に疲れたHinaは、虹をわたり、月で大好きなタパ作りに専念します。
私も大好きな事に専念する為、今、虹の麓に立っている気がします。もう十分、現実世界では私なりに頑張った。こうして、目の前に虹の階段が出ているのに、
「あ!まだアレやってない!コレもまだ出来てない!」と、焦って現実社会に小走りで戻って行くのは、なんだかHinaでも無ければ、そんな焦ってばかりの自分がカッコ悪いと思えて来たのです。
でも、ついこの前までは、自分はまだまだ何も出来ていないと思い、小走りしてあちこち行ったり来たりすることこそか謙虚な生き方だと考えていたのです。
フアカイに行く前日に、トリプルの虹が予兆として出ていました。正に私は虹の麓に居ました。
こういう心境の変化が、面白いですね。
後数ヶ月かけて、虹を登る準備をします。
(死ぬ!という意味では無いですよ!(笑)
ファイヤーする経済力もないし、勿論仕事も続けます。でも、生き方として、違うクールに自分が行くということです。)
やっぱり、Hawai'iに行くと、何かしらメッセージが来ますね…。
Kalaemanō での夜明け
me ke aloha!