弥生時代といえば | 目からウロコの異文化交流

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―日本語教師のつれづれ日記―


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弥生時代は紀元前5世紀から紀元3世紀まで約700年続きました。
 
かつて弥生時代の遺跡といえば、我が静岡の登呂でした。
ところが今は、社会科の教科書には吉野ヶ里遺跡が載っています汗
 
5月1日に福岡から佐賀県に入り、吉野ヶ里歴史公園に行きました。
人工物が見えない山が背景だと復元とはいえ当時の様子はかくありなん。

 

ボランティアガイドさんの前にある銅鐸は自由に鳴らすことができます。

 

さあ、本格的に弥生時代後半にワープしましょう。

それにしても、この先の尖ったは一体何なんでしょ!?

 

去年行った八戸の縄文館では、縄文人は豊かな生活を営み、各地との交易もあったと知りました。

てっきり弥生時代もそれを踏襲して、稲作をしながら平和に暮らしていたと思い込んでおりました。

 

さにあらず!!この柵は外敵を防ぐためのもの。

こちらは内濠ですが外濠もあって、二重の防御です。

 

弥生時代前半には集落がムラからクニへ変わる兆候が見られ、中期にはクニ同士の戦いが激しくなっていきました。

その証拠に、首を切られたり、胸に矢じりが刺さった人骨が発掘されています。

 

この鳥居を抜けてさらに進みます。

 鳥居の上に設えられた鳥にご注目目

 鳥居は鳥の居場所という意味で、鳥居の原型はその宿り木の形からきているそうです。

 

 この植物から繊維を取り、織って平民の衣服になりました。

 

 さすが戦いの時代だけあって物見櫓が東西南北に四つもあります。

 

 いよいよ竪穴式住居に入ります。

軍事や土木工事を仕切る大人(たいじん)の妻の家です。

 

中で母親が娘の髪を梳いている様子が再現されています。

 身分の高い彼女たちは絹の衣を身につけていました。

 

当時はすでに繭から絹糸を取り出し、布に織上げる技術があったとのこと。

当時の様子が手に取るように分かります。

 

 王の寝所にはベッドらしきものが。

 

 この煮炊屋で作られた食事は王や大人(たいじん)たちの家に運ばれました。

 

 展示室に発掘された品々。

 

 大きな甕には遺体を入れて埋葬したそうです。

 

 弥生時代前半を再現したエリアには高床式の倉庫が見えます。

 でも、どうやって中に入るんでしょうかはてなマーク

だって扉という扉は全部開けられないようになっているんだもの。

 

弥生時代中・後期に戦いの時代になったのは、青銅製武器が大陸から渡来したからだそうです。

縄文時代の石の武器とは殺傷能力が明らかに違います。

 

こんな盾や甲冑もあったそうです。

 

こんなに太古の昔からクニを征服したりされたり、人間の業のようなものを感じます。

縄文土器には様々な模様がほどこされ、美しくてお洒落で魅了されます。

 

ところが、弥生土器はフォルムは美しいものの、何の装飾もなく面白味がありません。

人々は戦いに明け暮れていると、余裕をなくして実用一辺倒になるんでしょうか。

 

武器は石器から青銅器へ、そして鉄器を経て火薬が発明された後は銃器へ。

それが爆弾、核、ミサイルへと大型化してきました。

 

これから人類はどうなるんでしょうか。

あらら、吉野ヶ里遺跡でこんなことまで考えちゃうなんて、私としたことが。

 

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