太宰治の生家 | 目からウロコの異文化交流

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―日本語教師のつれづれ日記―


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8月16日は雨の中、五所川原市にある太宰治記念館「斜陽館」へ。
 
太宰が生まれる2年前の明治40年(1907)、父・津島源右衛門によって建てられました。
津島家が手放した後は旅館として観光名所となりましたが、平成8年に旧金木町が買い取りました。
写り込んでいるしじみラーメンは食べませんでしたけどウィンク
 
和洋折衷・入母屋造りの建物は、米蔵にまで青森ひばが使用された重厚な建物で、国の重要文化財建造物に指定されています。

その広さと細部までこだわった贅沢な造りに圧倒されました。

 

ただし太宰は「苦悩の年鑑」で「この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何もない、ただ大きいのである」と。

これには承服しかねますきゃぁ~

 

庭も広々としています。

この日は五所川原の一部に避難勧告が出たほどの大雨で、池と地面の境目がなくなってました。

 

立派な米蔵です。

 

 

すごい仏壇です。

 

 

 

父親が営んでいた金融業の店舗には大きな金庫。

右の空間にも金庫がもう一つあったのかしらん?

 

 

ここで商談をしたのでしょうか。

 

 

各部屋の調度品もすごい。

 

 

二階は洋風です。

 

 

シャンデリアも見えます。

 
洋間の調度品もすごいです。
 
使用人部屋に通じる扉の上にも凝った細工。

 

 

 

二階には母の居室。

夏休みには、ここで太宰は寝転んで小説を読んだり、レコードを聴いたり。
右から三枚目の漢詩の「斜陽」という文字は少年の頃から見慣れていたそう。
 
西側和室は来客や議員のお付きの人が通された部屋。

 

 

 

 

二階には資料展示室があって各国語に翻訳された太宰の本がありました。

写真も展示されていて、私は乳母のタケと妻の美知子の姿に見入りました。

 

太宰の生家を実際に見て、津島家はとてつもない金持ちだったことを実感。

頭では分かっていたけれど、まさかここまでとは。

 

太宰は自分の生活が貧しい人々からの搾取で成り立っていることに後ろめたさを感じていました。

斜陽館を訪れて、もう一度太宰の作品を読み返したいと思いました。

 

八戸に向かう途中で大きな虹が目

 
久しぶりに見たなぁ!!
 
ペタしてね

 

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