2014年下関〜九州北部の旅行記です。
福岡県太宰府市観光の続編です。
今日は大宰府政庁跡に来てみました。博多駅からバスが出ていたので、乗ってみました。
大体30~40分くらいで着きました。
大宰府(だざいふ)とは7世紀後半に、九州に設置された地方行政機関のことです。九州地方の統括と、古代律令国家の外交・防衛の最前線として重要な役割を担い、与えられた権限の大きさから、「遠の朝廷(とおのみかど)」とも呼ばれていました。
大宰府政庁跡は、その中枢施設があった場所で、現在は史跡公園として整備されています。
都督府跡の石碑がありました。
政庁跡にある展示館で、ガイドの方が詳しく説明してくれます。
これは大宰府展示館に展示されている博多人形(パンフ撮影)。
この博多人形は730年に開かれた「梅花の宴」の模様です。当時は、梅はシナから入って来たばかりで、まだ珍しかったそうです。一番左の紫の衣の人が、当時の大宰府長官・大伴旅人(万葉集の編者・大伴家持の父)。その隣の赤い衣が、当時の県知事にあたる山上憶良。ご存知、貧窮問答歌の作者です。
そしてその右隣のオレンジが小野老(おののおゆ)で、有名な「あをによし奈良の都は咲く花の匂うが如く今盛りなり」の歌を詠んだ人です。すごいメンバーの宴ですね。
これが、太宰府政庁跡にある小野老の歌碑です。なるほど!あの歌は大宰府で、遠く離れた都を思って詠んだ歌なんですね。
さて、太宰府政庁跡のそばに由緒ある「観世音寺」があります。そこも観光してみました。
『源氏物語』にも登場する観世音寺は、天智天皇が発願されたもので、80年後の聖武天皇の746年に完成しました。古くは九州の寺院の中心的存在で、たくさんのお堂が立ちならんでいたそうです。
どうもこの写真見ると雨が降ってますから、太宰府政庁と別の日に来てますね。
福岡には数日いたので正確な記憶がないんですが、何か別の日に来たような記憶があります。
現在の講堂は江戸時代の再建だそうです。
雨のせいか寂しげに見える。
かつては五重の塔が立っていたようですね。
国宝「梵鐘」です。
奈良時代初期のものと伝えられます。
この梵鐘はその古さに於いても優秀さにおいても正に日本一と称されています。
菅原道真公の「都府楼は纔(わず)かに瓦色を看る 観音寺は唯(ただ)鐘声を聴く」とあるのはこの鐘の事だそうです。
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