〇昭和41年文芸春秋刊。池島信平の司会で進められたラジオ番組対談本。

〇池島信平 文芸春秋社

〇小西四郎 東大史料編纂所教授

〇津久井竜雄 著述家

〇松本清張 作家 

 

●松本 公武合体といえば、土佐の山内容堂ね。あれが熱心な指導者だったわけですね。

 

●小西 そうです。しかし土佐の場合は、公武合体でも、大政を奉還させる。幕府を武力では討たないけれども、幕府の政権は認めない。というところまでいっていますね。

 

●松本 和宮の降下ね。あれがだいぶ志士たちの激憤をかったですね。

 

●小西 それはたしかにありますね。

 

●津久井 しかし孝明天皇の亡くなるころは、すでに攘夷の密勅というのですか、それはもう出ているのですし。

 

●小西 いや討幕の密勅、これは慶応三年ですから、慶応三年は明治天皇のころだから、ああいう討幕の密勅も出るので、孝明天皇に討幕の密勅を出して欲しいといっても、それはもう出るものではないのです。

 

●津久井 あのころは密勅の正体もわからないのだ、いろいろ出ているんだから。                                                                                    

 

●小西 志士たちが何人かで密勅だといって出せば、それでできたんでしょうが、とにかく文久三年の八月に孝明天皇は、いままでのような攘夷は自分の意志でやっているのではないと―それで政変が起こって、公武合体の方が力を力を持つわけですね。ですから討幕派にとっては、天皇の公武合体の方針というのはやりにくかったと思いますね。 

 

〇文久三年の八月の政変 孝明天皇の公武合体の意を受けて、攘夷派の長州藩が薩摩藩や会津藩の力で御所から追放された。

 

〇後に会津は戊辰戦争で賊軍とされますが、孝明天皇の在世中は忠義の藩として天皇から賞詞を受けています。