○お茶の水駅から駿河台の坂を下って古書店街へ出ました。正面に「大屋書店」和本の取りそろえにかけては神保町一番と思います。高い本ばかりで買ったことは一度しかありません。ショーウインドウをのぞく程度です。

○すずらん通りの入り口にある文房具屋です。これは昭和10年前後の建物と思います。歴史を感じさせます。

○すずらん通りからさくら通りの出口あたりの鰻屋さんです。一軒だけ残った木造建築。大正震災前のものかも知れません。さくら通りには「山形屋」さんという和紙の専門店があります。和本や古い和紙の史料の虫食いの補修に最適の和紙を買うことが出来ます。

 

○ついこの前まで、この先の九段坂のあたりに昭和初期の「中根式速記」と壁に大書した木造モルタルの細長いアパートがありましたが、今は無人の駐車場になりました。

○ビルの谷間に残った木造モルタルの建物です。これは関東大震災の後のものと思います。昭和初期の写真ではこの屋根の建物が横に並んでいました。

 

○この写真は靖国通りの「ランチョン」というレストランから撮ったものです。ランチョンは歴史あるレストランでビールがおいしいところです。少し高いですがここも、神保町へ来たなと思わせるお店です。

 

○この2枚は、神保町から徒歩15分くらいの須田町にある甘味屋さんとあんこう鍋屋さんです。ここはグルメ番組でも有名なお店です。隣り合うようにして残ったこの建物は奇跡のように思います。

 

○戦前は須田町は市電の乗り換えポイントとして繁華な場所でした。国電の須田町駅もあったのです。駅前には広瀬中佐と杉野兵曹の像がありました。絵はがきでしか見れないのは残念です。今のこの界隈は静かな場所になっています。

 

○須田町は落語のまくらでよく出てきました。今は誰も知らないので、いいません。都電のあった昭和30年代までのくすぐりです。「おまえは本当に馬鹿だね。お前みたいな馬鹿を須田町の手前てんだょ。」

「なんでさ。」 「慢性の馬鹿だから。」 都電の停留所で須田町の前は「万世」橋だったところからきたくすぐりです。

 

●このような建物がだんだん少なくなってきました。新潟市でも20年くらい前は木造3階建ての旅館が2軒残っていましたが、どちらも同じように無人の駐車場になってしまいました。