【鹿児島旅行記④〜知覧特攻平和会館〜】

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およそ数年振りに、【知覧特攻平和会館】を訪問しました。
 
 
知覧特攻平和会館は鹿児島県南九州市知覧町郡にある、知覧飛行場から特攻に出撃した隊員の遺品館です。
 
 
 
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特攻とは言うまでもありませんが、太平洋戦争末期、20歳前後の若者が爆装した飛行機もろとも、敵艦に体当たり攻撃をした人類史上類のない特別攻撃のことです。
 
 
【零式戦闘機のレプリカ】
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【三角兵舎】
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三角兵舎は敵機に発見されにくくするために、建屋の半分は地中に埋まっています。
 
 
ここで隊員達は出撃までの日々を過ごし、遺書を書いたりしていたわけです。
 
 
夏は異常に暑く、冬は極寒でした。
 
 
大多数の遺書には、「笑って往きます」とか「喜んで往って参ります」と親を心配させまいとした内容が書いてあるのですが、実際はこの暗い三角兵舎で、出撃の前夜に声を押し殺して泣く隊員がたくさんいたそうです。
 
 
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会館内には特攻隊員の写真や遺書などの遺品約4.500点、特攻隊員の遺影1.036柱などが展示されていて、足を踏み入れた瞬間から胸が押さえつけられるような感覚になります。
 
 
陸軍関連の総出撃者1.036人のうち、全体の4割ほどにあたる402人が、この知覧から出撃したと会館では記録しています。
 
 
一通り館内を見ると、かなりエネルギーを費やしたことに気づくくらい重い内容ですが、一度は見ておかなくてはならない場所だと思います。
 
 
隊員達の遺書は涙なしには見られません。
 
 
本当はもっと死ぬ前に伝えたい気持ちがあった、でも本心から思っていることを書くことができない時代。
 
 
しかし、少なくともご遺族は、親は、その気持ちを読み取っていたと思います。
 
 
言いたいことが言える時代、書きたいことが書ける時代、嫌なものは嫌と言える時代、やめたいことはやめられる時代、食うに困らない時代、夢をもてる時代、感謝しかありません。
 
 
今この自由がある時代に生まれて、この日本を思い、一命をかけて出撃していった若い隊員達にただただ感謝をしました。
 
 
世界人類永遠の平和を願いながら。
 
 
なお、館内の展示品は全て撮影禁止となっています。
 
 
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P.S、知覧は「知覧茶」も有名で、特産品です。
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 

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