今日は「瞑想」について。
 
先日のYoutubeで、

 

 

瞑想中などの不思議な現象についてお話をしています。

 

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瞑想という“行為”はとても不思議なものです。

 

行為、と呼んでいいのかすらわかりません。

 

ただ、すごくシンプルに、

 

私たちは「活動」をして生きています。

 

活動とは、読んで自の如し「動く」ことです。

 

動の反対は「静」です。

 

その代表が「睡眠」です。

 

しかし睡眠の静は、「動かない」のではなく、「動けない」という状態です。

 

それは自らの意思で選んだ「動かない」という選択ではなく、

 

強制的に意識がなくなり「動けない」状態です。

 

もちろんそれはとても重要ですが、

 

瞑想は「動かない」という選択です。

 

通常の覚醒意識の状態、つまり、活動できる状況下で、

 

「動かない」「止まる」「なにもしない」という選択。

 

ここに意味があります。

 

私たちはただ流されて生きるだけの存在ではありません。

 

自ら選ぶことによって人生が進みます。

 

ただ、もちろんこの世界は「自分で選べないこと」がたくさんあり、

 

自分の意志の及ばない、太刀打ちできないものがたくさんあります。

 

瞑想とは、自分の意志で「動かない」選択をすることで、

 

自分の意志では及ばない“なにか”に、身を委ねることです。

 

瞑想する力、とタイトルに書きました。

 

これはまずじっと5分とか30分とか、瞑想という行為に挑む力です。

 

そこには習慣化とそのための反復が必要です。

 

世の中にはさまざまな瞑想法があり、

 

どれも効果や実績が謳われていると思います。

 

しかし、必ず途中で瞑想の深さは止まります。

 

例えば瞑想音楽とか、マントラとか、マスターの指導とか、

 

それらに頼ってると、必ず瞑想はある段階で止まってしまいます。

 

そこで真の瞑想力が問われます。

 

誰も、あなたを瞑想の不快には誘ってくれません。

 

あなた自身が、あなた自身の深みを体現するのです。

 

座る、ということは、ただ椅子に腰掛けるのとは違います。

 

床にあぐらをかくのとも違います。

 

瞑想や坐禅を「坐る」と表現するのは、

 

まさしく「坐る」という動作に大きな意味があるからです。

 

そして「集中」するということ。

 

「気づく」ということ。

 

「感性」「感覚」を開くこと。

 

それらが「瞑想“力”」です。

 

そんな講座を6月23日に行います。

 

瞑想をしているけど、よくわからない方、

 

より深い瞑想にご興味ある方、

 

お待ちしております。

 

坐禅瞑想歴20年の私が、探求し、研鑽してきた知恵を分かち合えたい、そう思っています。

 

 

また、さらに深い瞑想体験を共有したい方は、少人数で一緒に瞑想をする会もあります。

 

 

また、健康に生活することはもちろん、瞑想する体を作る上で、とても役立つボディワークもあります。

 

 

 

ワークショップ

 

 

 

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