「真我は観えるのか?」と、疑問に思う方もいることでしょう。

 

ですが、密教ヨーガならいざ知らず、ウパニシャッドの理想を実現する為に作られた顕教ヨーガにおいては、修行者が当然通過すべき「初歩的な関門」なのです。ですからヨーガの入門書であるヨーガスートラに登場するわけです。


通常、真我は、アートマンとプルシャの訳語として使われています。

古ウパニシャッドによれば、両者の定義は明らかに異なりますので、もしもこれらを混同していたら、ヨーガの本質は永遠に理解できません。同じだという人は、真我を体験(観照)していないと告白しているようなものです。


アートマンは、プルシャを構成する五つの要素の一つであり、その中心力を以って、他の四要素を統括しています。

 

これら五つの要素は、古ウパニシャッドによれば、白、赤、黄、緑、青の5色の輝きをもっています。ですから真我を観ますと、この5色が混合した輝き(色彩)になります。そして、人それぞれ各要素のバランスが異なる為、真我の輝きに個別性があるのは勿論、また同じ人でもその時々の状態によって変化するので、いつも同じに観えるというわけではありません。


正確に言うと「アートマンが、それ自身を含むプルシャを純粋観照する」ということです。

古ウパニシャッドでは、それを「鏡のなかに映る像のように、自己の中にみられる」と表現しています。確かに、自分で体験しますと、「全くそのとおりだ」と、その表現の秀逸さに頷けます。