大自然の中でのびのびと生命力に溢れて育つ木々と、針金でがんじがらめにされて他人の価値観に無理やり合わせられる盆栽と、どちらが力強く、自然でしょうか? 


生活習慣や気持ちの持ち方、心の状態等について「~であるべき」と細かな制約をつけるのではなく、あるがままに、魂の望むがままに、自律的に生きてゆくことこそ瞑想的な生き方なのです。


「心の欲する所に従ひて、矩を超えず」


これこそ孔子が到達した悟りの境涯であり、また、瞑想的境地の理想なのです。

他人の価値観に合わせて、それに判断を委ねるのは、たしかに楽かも知れません。

でもそれでは自分の鼻で呼吸をし、自分の足で歩いていることにはならないと思います。

 

マズローは3段階目に帰属意識の欲求を、5段階目に自己実現の欲求をあげています。

彼が説くように、何かに依存(帰属)して安心を得ているうちは、自己実現には程遠いのです。

独立なくして自由もないのです。

魂の自由は、まさに自己実現と共に訪れるのです。