昭和20年8月20日、樺太の眞岡では、終戦の日を過ぎてなお侵攻するソ連軍の戦闘を止めるため、停戦軍使が派遣されました。
ところが、初めに停戦軍使に派遣された村田中尉、そして次に派遣された村山中尉も、ソ連兵に射殺されてしまいます。

 


村田中尉が、直前に両親へ宛てた手紙の写真が、『樺太1945夏』という本に掲載されていますが、何と書かれているのか判らず、説明もありません。不鮮明な写真を睨めっこしながら捜しましたが、手がかりは乏しく、ようやく判ったときには胸が熱くなりました。


手紙に添えられていたのは、
「君がため散れと教へて己れ先づ嵐に向ふ桜井の里」
という、会津藩士矢野常方の和歌でした。
これを目にされたご両親のお気持ち、如何ばかりであったでしょうか。

一人でも多く眞岡の人々を守るために、村田中尉は、楠正成公を仰いだ会津藩士に自らを重ね、軍使の務めを果たされました。

数々の切なくも尊い犠牲のうえに、樺太の停戦は成り、スターリンが計画した北海道分割占領も阻止されたことを、心に留めてほしいと思います。
 

宗谷岬から僅か43㎞先。晴れた日には樺太の島影が、肉眼で見えるそうです。
ほんの70年ちょっと前まで、樺太に40万もの日本人の暮らしがあった事を、忘れてはなりません。

ロシアによる樺太の実効支配は違法であり、正当性がない事を訴えるのは、日本人しかいないのです。

 

『国家なくして平和なし―樺太・満洲 故郷はるか』

 


 

ぜひ、繙いてみて下さい。