上野東照宮の五重塔


 借金に苦しむ人が後を絶たないのはいつの時代も同じである。現在では、クレジットカードを使い過ぎて返済ができず、果ては自己破産に追い込まれるケースが多い。江戸時代も似たようなもので、クレジットカードという便利なものはなかったが、代わりに、掛け売りの習慣があった。掛け売りとはいわゆる、つけで買い物ができるということである。クレジットカードと掛け売りの最大の共通点は、現金の持ち合わせがなくても買い物ができるということである。
 現金を持っていなくても買い物ができることほど恐いものはない。限度を知っている人ならば問題はないが、限度を知らない人は、欲のおもむくままに買い物をして、結局返済できなくなってしまう。
 現在では自己破産というが、江戸時代では分散(ぶんさん)といった。分散になると、資産を全部債権者に渡し、債権者はその資産を競売などで処分し、それで得た資金を債権額に応じて債権者に分配する。提供する資産はあくまでも分散した本人のもので、隠居した父親や妻の資産は含まれない。高額な着物を妻に買ってあげて、分散した後、その着物を売って、身代を再び築いたという輩もいた。
 借金をするのは悪いことではない。むしろいいことであるが、返済の見込みのない借金はやはり罪深い。
 さて、江戸時代では、つけで買い物ができたが、その支払いは大体盆と暮れで、暮れの方が比重が高い。暮れとは十二月の末すなわち大晦日である。大晦日にすべての借金を清算するわけだから、返せない人には大晦日は地獄と化す。当然、多くの家で、悲喜こもごもの物語が展開される。
 抜け目のない西鶴がその一日を見逃すはずがない。西鶴はいろいろな著作で大晦日のことに触れているが、遂に、大晦日一日に焦点を当てた短編集を書いた。それが、「世間胸算用」である。私は正直、古今東西随一の短編集といったらこの「世間胸算用」をあげる。私の敬愛しているモーパッサン・ゴーゴリ・チェーホフも「世間胸算用」にはかなわないと勝手に思っている。
 「世間胸算用」を読んで身につまされない人がいるであろうか。私には一つ一つの話が身にこたえる。しかし、暗い気分にはならない。話の底流には独特の滑稽さ・諧謔があるので、読んでいてたのしいのである。人の不幸をここまで見事に滑稽に描いた西鶴の技量に感服せざるを得ない。西鶴にとってすべての人間(神様も含めて)は滑稽なものに見えるのであろう。西鶴が大芸術家たる所以である。

 「世間胸算用」の巻頭を飾る巻一の第一話は「問屋の寛闊女」である。これはある問屋の主人が、身の程を知らずに贅沢に暮らして、最後は不渡りになるのも構わずに振出し手形(現在の手形と同じ)を切りまくって、大晦日を切り抜ける話である。
 問屋の主人の女房はとにかく贅沢好きである。普段も出かけるときは乗り物(駕籠よりはるかに高額)に乗り、月夜の晩でも提灯(ちょうちん)を持った供を二人つけるし、暗闇でも錦の着物を着たり、せっかく湯を沸かせても水になってから入るようなことをしていた。
 主人は女房に文句の一つも言わず、おのれも贅沢をし、家業に勤しむどころか、借金ばかりしていた。あの世にいる先代の父親が持仏堂から息子のていたらくを見るに見かねて、神となって、息子の夢枕に立ち、説教をした。息子は、そんなことも気にしない。
 大晦日には八十貫目(約千三百両)の借金を返済しなければならないが、二十五貫目(約四百両)を両替屋に預け、それを元手に振出し手形を乱発し、大晦日を乗り切った。
 そして、一夜明けたら豊かな春が訪れたのである。

 この話、現在でも日常的に起こっていることである。

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へ

 写真は、上野東照宮に建っている五重塔です。上野東照宮について案内板に次のように記されています。
< 1627年(寛永四年)、津藩主藤堂高虎と天台宗僧侶天海僧正により、東叡山寛永寺境内に家康公をお祀りする神社として建立され、1646年(正保三年)には正式に宮号を授けられ「東照宮」となりました。
 現存する社殿は1651年(慶安四年)に三代将軍・徳川家光公が造営替えをしたものです。>



世間胸算用 (新潮日本古典集成)/井原 西鶴

¥3,024
Amazon.co.jp

世間胸算用 (角川文庫)/井原 西鶴

¥756
Amazon.co.jp