椿山荘 三重塔


 「堺は始末で立つ」とは、堺商人の倹約さを称えたものである。~商人とよくいわれるが、歴史上、国政に最も重要な役割を果たしたのは堺商人ではなかろうか。信長が本能寺の変で殺された裏には堺商人の影がちらつく。それだけ堺商人が富を持っていたということであろう。
 本当の金持ちとは、ふだんは倹約を旨として質素に暮らし、いざというときには大金を動かすものであると西鶴は指摘する。西鶴は、商人にとって大切な徳の一つを始末(倹約のこと)におく。
 よく勘違いされるが、始末と吝嗇とは全く違う。始末とは不必要なものにお金を使わないことである。たとえば、正月の祝儀に、海老・熨斗鮑(のしあわび)・昆布・榧(かや)・栗・橙(だいだい)などを三方(さんぽう)に盛りつけた蓬莱(ほうらい)を飾るのが通例であるが、何も一匹小判五両もする伊勢海老や一個三両もする橙を飾る必要はないということであり、また、壊れてもいない道具を新調したり、必要のない内普請(屋内の改造)・畳の表替え・竈(かまど)の上塗りなどをするなということである。
 これに対して、吝嗇というのは、お金に汚く、お金を出し惜しみする単なるけちのことである。大成するのは始末の人に多いのは西鶴の時代だけでなく現代もそうである。
 
 井原西鶴「日本永代蔵 巻四 伊勢海老の高買ひ」は、堺の樋口屋を引き合いに出して始末の大切さを説く話である。
 樋口屋は代々続く酢を売る店である。手堅い商売をして、一生無駄な費(つい)えをしなかった。
 樋口屋の主人は、「蓬莱は、神代よりこのかたの習わしであるが、高価なるものを買い調えても何の利益もない。天照大神(あまてらすおおみかみ)も咎めることはない」と言い張り、伊勢海老の代わりに車海老、橙の代わりに九年母を積んで、春の気分を満喫した。ある年には、「才覚男の仕出し」として、伊勢海老・橙は一つも買わなかった。
 あるとき、夜が更けて、樋口屋の門を叩くものがいた。その人は酢を買いに来た客である。奥にいる下男が寝たまま「どれほど必要」と尋ねたところ、客は「一文ばかり」と答えた。すると、下男は返事もせず、そのままにして空寝入りをしてしまった。客は仕方なく帰っていった。
 翌朝、主人がその下男を呼びつけて、何の用もないのに「門口を三尺(約90センチ)掘れ」と命じた。下男は諸肌を脱いで、鍬を取って、固い地面を汗水流して掘った。深さ三尺ばかり掘っても、小石・貝殻以外何も出なかった。「それほどにしても、銭が一文もない事を心得て、重ねて一文商いも大事にしろ」と主人は言った。
 西鶴は続けて、始末の大事さを説いていくが、話の最後に、堺商人の豪気さを述べている。一つは、ある堺商人が一人で大金を出して、南宗寺の本堂・庫裏に至るまで建立したことであり、もう一つは、京都の北野神社で観世太夫の一世一代の勧進能があったとき、奈良・大津・伏見の商人は誰一人買わない大判金一枚(約七両二分)の桟敷席を京・大坂の商人に続いて大量に買ったことである。
 このことをもって、西鶴は堺商人を商人の鑑としているようである。

 江戸・京・大坂の三都の人間は派手好きが多く、始末に欠けるところがあるようである。西鶴は派手好きでしまいに落ちぶれる商人のこともおもしろおかしく書く。西鶴の目は成功したものにも失敗したものにも公平である。それは、説教をたれる道学者の目ではなく、人間を見る芸術家の目である。西鶴にとっては、金持ちだろうが貧乏人だろうが、はたまた善人だろうが悪人だろうが、関係ないのである。西鶴はつねに人間の生き様を描いている。
 結局、倹約についての西鶴の話がたんなる説教話に終わらないのは、西鶴が人間とはあやふやであいまいな存在であることをよくわかっているからであろう。

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 写真は、文京区椿山荘に建っている三重塔です。三重塔は、広島県竹林寺に創建され大正14年に藤田男爵邸(現椿山荘)に移築しました。

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