世田谷区豪徳寺 三重塔


 この世に長く生きていると、つくづくと、世の中何が起こるかわからないと思う。今、貧窮のどん底にいる人も、明日大金持ちになるかもしれないし、逆に今、栄耀栄華の真っ只中にいる人も、明日奈落の底に落ちるかもしれない。まさに、一寸先は闇である。程度の差こそあれ、誰しもが幸不幸の波に翻弄される。
 はっきりいって、他人の幸福の話よりも、他人の不幸の話の方がおもしろい。現在のテレビでは、有名人の不幸をえげつなくこれでもかというほど分別顔に報じている。そうしないと、視聴率が上がらないからだろう。
 他人の不幸話が喜ばれるのは、何も現代に限ったことではない。古来からそうであり、当然、江戸時代もしかりである。ジャーナリストであった西鶴は読者の好みというより、人間の心理をよく知っていて、他人の不幸話を取材し、それを文章に残した。
 「日本永代蔵」には不幸話がたくさん載っている。特に多いパターンは、二代目没落譚である。何不自由なく贅沢に育った二代目が遊び(大体遊女遊びと決まっている)にうつつを抜かして無一文になる話である。おそらくこの話を読んだ読者は胸がスカッとしたと思われるが、と同時に人間の本質的な悲哀を感じて、考えさせられたはずである。これが、西鶴の作品が現代にも残っている大きな理由だと思う。
 二代目没落譚は、大金を譲られた二代目が、ただ金を使って没落するという話が一般的である。しかし中には、財産を譲られた子が先代より金持ちになって、ひょっとしたことで大金を使い果たして無一文となり、露となってこの世から消えていく話もある。
 「<日本永代蔵>巻三「国に移して風呂釜の大臣」もその一つである。この話はタイトルが示すように、平安時代の大金持ちである河原左大臣すなわち源融(みなもとのとおる)の故事に因んだ話である。
 源融は京都の六条河原に、陸奥国(今の岩手県)塩釜の風景を模した庭を造ったほど、贅沢な人であった。この源融以上に贅沢な男がこの話には登場する。

 主人公は豊後(今の大分県)の万屋三代目である。二代目は手堅く店を維持し、死んで三代目に家督を譲った。二代目は死に際、遺言として「すぎわひ(生計のこと)の種を忘れるな」という言葉を残す。三代目はその遺言を菜種の種と思い込み、遺言通りに荒地に菜種の種を蒔いた。すると、花が咲き実がなった。菜種さえできるのだから、米もこの荒地でもできると思い、米作りに励んだ。米は予想以上に収穫できた。三代目はどんどんと金持ちになり、しまいに、西国(九州)一の大金持ちになった。
 三代目は堅実であったが、母親と一緒に京都に行ってから豹変する。京都の春と色香に惑わされ、田舎にいる自分を憐れと思い、妾を十二人連れて豊後に帰った。
 それからは毎日が贅沢三昧である。自宅を京風にした。四方の三階の宝蔵を築き、大書院を作り、六十間の廊下を作り、東西に築山を造り、南に泉水を掘らせ、泉水には中国の西湖を思わせる石を配置した。
 女遊びも派手で、屋敷にたくさんの妾を抱え、あの楊貴妃と浮名を流した玄宗皇帝もやったという花軍(はないくさ)にも負けないことをした。たくさんの美女の妾を左右に分けて、自分はその真ん中に坐して、両方に扇を煽るらせ、その風の強さを競わせるのである。負けた方の扇は池に浮かべた。このような贅沢は、古来、日本でも中国でもした者はいないはずである。
 極め付きは地元の水は重くお茶にあわないとして、わざわざ京都の音羽の滝の水を毎日送らせたことである。これにはさすがの源融もあきれるのではないか。
 これではいくらお金があっても足りるはずがない。ほどなく、三代目は千丈の堤も蟻穴(ぎけつ)より漏れる水に滅するかの如くに、命まで失った。

 全く嫌味がなく、格調高い滑稽な没落譚である。西鶴らしい話である。

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 写真は、世田谷区豪徳寺に建っている三重塔です。豪徳寺は招き猫の発祥の地の一つといわれています。豪徳寺は彦根藩井伊家の菩提寺になっているので、桜田門外の変で暗殺された大老の井伊直弼の墓所があります。
 舟橋聖一「花の生涯」は、井伊直弼を扱ったものです。数学道場・作文道場の読書感想文アーカイブスに掲載していますので参考にしてください。

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