石川県 那谷寺 三重塔

 四十年近く、古今東西の文学作品というものを読んできたが、衝撃的な作品というものはそうざらにあるものではない。もちろん、すばらしい作品、いわゆる名作というものは数えあげられないくらいたくさんあるが、心を抉るほどの感動を与えるものは、私に限っては多くはない。私の場合、ドストエフスキーの「罪と罰」、夏目漱石の「こころ」を筆頭に、デュマの「モンテクリスト伯」、森鴎外の「雁」、井原西鶴の「日本永代蔵」、近松門左衛門の「曽根崎心中」などがある。
 「日本永代蔵」を初めて読んだのは、もう世の中の酸いも甘いも多少は経験した中年になってからであるが、巻一の「二代目に破る扇の風」を読んだときの衝撃はいまだに忘れられない。西鶴は世界最高の短編作家だと正直思った。確か、「新釈諸国噺」を書いた太宰治も同じことを言っていた。私は西鶴の虜(とりこ)となり、「日本永代蔵」だけでなく、その他の作品も含めて、今も、繰り返し読み続けている。
 「二代目に破る扇の風」は生まれながらの大金持が遊びに金を湯水のごとく使って、身を持ち崩すという典型的な二代目没落譚である。西鶴の最も得意とするテーマの一つである。四百字詰の原稿用紙で六枚にも満たない短編であるが、読み終わった後、大長編を読み終わった以上の感動が湧きあがった。全人生がすべてここにある、と思った。
 内容は大金持が乞食に身を落とすという残酷なものであるが、残酷さは微塵も感じない。それは、滑稽に描くことで、残酷さをより高みに昇華させているからである。高みは、男というどうしようもない人間の性(さが)と言っていいかもしれない。まさに、世界の果ての大笑いである。
 滑稽さこそ、西鶴文学の真骨頂である。滑稽はユーモアとは違う。ユーモアとは教養人が身に付けるものだが、滑稽さは身分・立場関係なく誰でもが醸し出すものである。

 扇屋の初代は、まさに爪に火を灯すような生活をし、家業に励んで、一代で二千貫目(現在の感覚でいうと五十億円ぐらいか)貯め込んだ。
 この男は一生のうちで、草履の鼻緒を切ったこともなく、釘の頭に袖をかけて破ったこともない。もちろん医者にかかったこともなく、八十八歳の米寿の祝いには升掻(ますかき)を切った。この男は商人の鑑のような男で、吝嗇を最高の徳としただけでなく、芸術の域まで高めた。
 この男の財産はすべて二十一歳の一人息子に譲られ、息子は二代目になった。二代目は父親に似て、吝嗇を最高の徳とし、遺産はすべて自分一人のものにし、箸一本も親戚にあげなかった。
 父親の一周忌に、二代目は下女を伴って墓にお詣りをした。その帰りに、下女は封書を拾った。手紙には、「花川様へ、二三より」と書かれていた。二代目は公家への手紙だと思ったが、人にきいてみると、遊里の客(名前が五と六に関係があるのだろう)が女郎に送ったものであることがわかった。
 手紙には一分金一つが入っていた。二代目は大喜びしたが、手紙を読んでみると、その金は、年末の資金繰りに困っている女郎に渡すために無理をしてつくったものであることがわかった。二代目はぜひともその金を女郎に渡そうと思った。
 二代目は恐る恐る島原遊郭の大門をくぐり、花川を探したが、見付けることはできなかった。あきらめて帰ろうと思ったが、一生の思い出に、その一分金で遊んでいこうと思い、茶屋に入り、安い女郎を揚げた。そして、これをきっかけに、二代目は遊里にはまり込み、五年で全財産を使い果たし、門付け(乞食みたいなもの)に身を落とした。

 物語の最後、ほんの百五十字ばかりで、金を使い始めて、二千貫目を使い果たすまでを描いている。このスピード感がたまらない。大金持から乞食になるまでは、わけがないと西鶴は言っているようだ。
 この話は教訓話のようだが、まったく教訓臭さを感じない。まさに西鶴らしい。

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へ

 写真は、旅行で訪ねた石川県那谷寺にある三重塔です。本文とは関係ありません。那谷寺は、奈良時代、泰澄法師によって開かれ、三重塔は重要文化財になっています。
五木寛之著「百寺巡礼」にも掲載されています。松尾芭蕉が奥の細道で詠んだ句碑があり、秋には紅葉が色彩やかに庭園一杯に広がります。

日本永代蔵 (岩波文庫 黄 204-5)/井原 西鶴

¥648
Amazon.co.jp

新版 日本永代蔵 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)/井原 西鶴

¥1,339
Amazon.co.jp