「大阪七墓巡り」その⑤ 蒲生墓地 | 乱読家ぽちんの独り言

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大阪七墓巡り。


今日は、現存する「蒲生墓地」に向かいます。







JR京橋駅を降りると、、、

立ち飲み屋が居並ぶ街、京橋です。




そして、京橋と言えば、、、


「キョーバシは、えーとこだっせ♫

恋のハーナもさきまっせ♫」

でおなじみグランシャトービル。

(僕らの世代の大阪人ならみんな知っています)





今はキャバレーも無く、恋の花は咲きません。(きっと、僕には昔も咲かなかった思うけど、笑)


さて、JR京橋駅を右回りに回り込むようにして、進みます。



この段差気になりますね。

どうやら、南北を川に挟まれた土地だったようです。


で、ありました蒲生墓地。

残念ながら、鍵がかかってて入れません。



南無阿弥陀仏。


この墓地の横に、大阪では有名な立ち飲み屋さんがあって、今日も大繁殖でした。



さて、京橋でのもう一箇所の慰霊ポイントに向かいます。



第二次世界大戦の終戦の日、「玉音放送」の前日に大阪で最後の大空襲がありました。

その時の犠牲者の慰霊の為に、釈迦牟尼仏尊像が建てられました。





【総務省のホームページより】

太平洋戦争終戦前日の昭和二十年八月十四日、大阪は最後の大空襲を受けた。B29戦略爆撃機は特に大阪城内の大阪陸軍造兵廠に対し、集中攻撃を加えたが、その際、流れ弾の一トン爆弾が四発、京橋駅に落ちた。うち一発が多数の乗客が避難していた片町線ホームに高架上の城東線(現、環状線)を、突き抜けて落ち

たため、まさに断末魔の叫びが飛び交う生き地獄そのものであったという。判明している被爆犠牲者は二百十名であるが、他に無縁仏となったみ霊は数え切れなく、五百名とも、六百名とも言われている。

当時、地獄のような惨状を目撃した大東市の森本栄一郎氏が、あまりの悲惨さに胸を痛め、その霊を弔おうと昭和二十二年八月十四日、自費で建立された慰霊碑である。


https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/virtual/memorialsite/osaka_osaka_city001/index.html






慰霊碑の川向こうは、大阪ビジネスパーク。

かつては、「大阪砲兵工廠」だったところです。

アメリカ軍はここを重点的に空爆しました。

今は、近代的なビルが立ち並ぶ街に変わりました。。。。





さて、ここからJR環状線に乗って、次の目的地「小橋(おばせ)墓地」に向かいます。



つづく(かもしれない)

あと、三つ、、、頑張ります!!💦💦💦