遠くて近くにあるもの   桜庭 |  名教学院のブログ 

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遠くにあるはずなのに、近くにあるものがある。

今年の3月に母の七回忌、昨年の12月に父の十三回忌があった。

もう母とは6年、父とは12年、何も会話をしていない。亡くなっているのだから当たり前のことだが・・・。そして、これから、ただの一度も会話することはない。

これが最初は辛かった。できないと頭では分かっていても、それが事実なんだと思う時、空虚な空間がただただ広がるだけだった。手の届かない、声も届かないところにいってしまった・・・。

そして、思い出すのは、子供の頃の両親との思い出。

小学生の時の運動会、リレーでトラックの最初のカーブを曲がった時、足がすべって転んでしまった。起き上がって走り出すが、その間に抜かれたことが悔しくて、視界が霞んでいたのを覚えている。

家に帰ってから、「靴の底がツルツルだったからすべって・・・。」と悔しさを母にぶつけた。母が悪いわけではないのに、自分が転んだことがそもそもの原因なのに、でも、悔しさを自分で処理できるほど大人ではなかった。母から返された言葉は意外なものだった。「新しい靴を買ってあげられなくてごめんね。」母のこの言葉で、すべて吹っ飛んだ。転んだことなんてちょろいこと、もうどうでもよくなってしまった。何十年も経っているのに、今でもこの言葉は胸に突き刺さっている。

 

いつからだろうか。心の中で生きていると、実感できていることに気づいたのは・・・。物理的には両親の姿かたちはどこにもない。でも、現実以上に、ここにいると感じられる。遠くにいるはずなのに、こんなにも近くにいる。両親からしてもらったことは数えきれない。「あなたが今できることは何?目の前にいる生徒に全力を尽くすことでしょ。」という声が聞こえる。その声に、後押しされて今の自分がいる気がする。

これは、高校入学時に両親から贈られた腕時計。何十年も時を刻んできた。この時計が刻むこれからの時間を、両親がそうしてくれたように、誰かのためにその時間を過ごせていけたらこの上ない。

 

 

 

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