3年目の記者が思う報道という仕事について自分なりの考えをまとめておこうと思います。

もちろん報道にも、新聞やテレビ、雑誌やWEBなど媒体特性による違いや、東京・主要都市かローカルエリアかによってその役割は大きく変わるとは思いますが、僕は
ローカルエリアの一媒体の記者として思うのは「報道」とは「地域の物語を紡ぐ仕事」だと思います。もちろん、災害や社会問題については多少なりとも毛並みは違ってくるでしょうけど、大筋はこの「物語を紡ぐ」仕事になると思っています。

地元の小さな小学校から国立大学、または小さな商店から、世界へと発進していく大企業まで、路上生活者から大富豪、赤ん坊からお年寄り、そうした多種多様な生活の中で日々を生きる人々が出会う物語を取材し、編集し、世に発信していく仕事。

その中で、人々の生活に寄り添い、何が正しくて何が間違っているか、、という価値判断ではなく、それぞれの主義主張とその論拠、原因など事実を丁寧に抑えていくことが大切な仕事です。

だからこそ、「報道」の中枢にいる記者に求められるのは、常識にとらわれることなく、目の前にある事実を中心に、取材を進めていくことです。

そして、多種多様な人々の生活を捉えるためにも、いわゆる「絶対」という価値基準を作らず、丁寧に主張する根拠を聞くこと、そして、根拠が足りない場合でもその声を無下にしないこと、また逆に、主張が明晰で、事実をきちんと押さえていても、
自分の中で、どこか違和感を感じたらその声を信じて疑って見ること。

こういったことが「報道」に求められることだと思います。

3年目を迎える私はまだ全然こうしたことが実践できていません。でも、あるべき記者の姿、目指すべき記者像はようやく
固まったように思います。

自分の中でできた記者像を誰かに押し付けたいわけではないですが、この記事がジャーナリズムを志す方、そしてまだお会いしたことのない記者の同僚や後輩に再度「報道」とは何かを考える材料になればいいなと思います。