15才で姓名判断を知った私は、すぐに「手相」も知ることになりました。


何冊かの本の中で次の2冊が私の愛読書になりました。


『 手相術 』 浅野八郎  光文社カッパブックス

『 手相の事典 』 沢井民三  白揚社


前者は楽しく読めて、かつセンスが身に付くという点で最高の大衆本です。後者は本格的な知識を学ぶための大変優れた書籍です。


さて、手相は迷信ではありません。私たちの気持ちや体調が「顔」に現れるように、手にも気持ちや体調のコンディションが表示されます。


男女とも「右手」を重視します。


「本能的な活動」を担当する右脳につながる「左手」よりも、「理論的な活動」を担当する左脳につながる「右手」を重要視するのです。


ただし、「左利きの人は左手を主力に見る」と、沢井民三氏は「手相の事典」の中で語っています。ただ、私はこの点に関しては疑念を持っています。


両手を見て、左右の違いに着眼します。左右の手相が大きく違う人は「先天的な傾向とは違う傾向が生きる過程で形成された」と考えます。もちろん、形成された結果が「右手」の表示になります。


手相は変化しますが、その変化は緩慢ですから、常に手を見る習慣がついていなければ変化を認知することは難しくなります。



 さて、「手相」では何がわかるのでしょうか?


「気質」と「体質」を主に表示します。

どんな性格的タイプなのか? どんな体質で健康状態はどうなのか? 病気では近い将来の危険を警告する場合があります。


「運命」に関しては手相は明確とは言えません。

運命線があるから成功するとは言えません。運命線は「精神的な自立心」と呼ぶべきもので社会的成功者の多くにも存在しますが、それは結果論で、立派な運命線がなくても立派な人生を送っている方は多く存在しています。

 また「結婚線」が結婚の回数を示すというのも誤りで、結婚線は「結婚観」を示すと考えています。太い線が1本の場合は「結婚願望が強く、貞操観念も強い」と見ます。結果として1回の結婚で済むことが多いというわけです。また、先端が二又になっていると「離婚」といわれ、実際二又で離婚した方を知っていますが、離婚しても二又がない方のほうが多いものです。

 「いつ起こるか?」という時期予想を「流年法」といいますが、これも手相の場合は大雑把と言わざるを得ません。



 「手相」は、その趣旨を「気質・体質の解説」に止めておけば、迷信と言われる余地は少なかったと思われます。けれど、クライアントの要望に応じて「運命」にまで踏み込んでしまってから、怪しくなりました。確かに「運命」がある程度推察できる場合はありますが、それは「性格の延長線上での推察」にすぎません。


 「手相」の良い点は「気楽さ」です。かわいいコンパニオンが自分の席に来たときに「ちょっと手を見せてくれない?」と両手を見せてもらうことがあります。もちろん結婚線も見ます(笑)。すぐに気質タイプがわかります。男性に対して弱いタイプかどうかも見ます(笑)。こうした即席性が楽しいのです。


 ですから、手相で悪いことを言われても、運命的なものではなく、性格の延長線のものととらえるべきなのです。



 運命の分析と未来予測に関しては、やはり「西洋占星術」が世界最高の術学です。